第四話 狩る側へ
目を開ける。
見慣れた、病室の天井。
――戻ってきた。
そう思った次の瞬間、違和感に気付く。
起き上がろうとして――動かない。
腕が。脚が。
一切、応えない。
(……動かせない)
息を吸う――静かすぎる。
音が、ない。
病室の機械音も、足音も、声も。
世界が、切り取られているかのよう。
(聴こえない)
理解が、順に追いつく。
視線だけを動かす。
すぐ近くに、人影。
女性が、顔を寄せている。
何かを言っている。
口が動いている。
必死に、何かを伝えようと。
(……誰だ)
分からない。
顔に見覚えがない。
――違う。
覚えているはずの何かが、抜け落ちている。
(私の……名前は)
呼ばれている、はずなのに。
それが、分からない。
(記憶が……削られている)
不思議と混乱はなかった。
夢の中で、何度も死んだ。
何度も選んだ。
その結果だと、理解しているから。
(……まだ、終わってない)
動けない。聴こえない。思い出せない。
それでも。思考だけは、残っている。
再び、夜が落ちる。
気づいたときには、もう夢の中だった。
すぐ隣に、気配。
「……まさか、スポーン地点まで同じとはな」
振り向く。
ブラウン管テレビの頭部。黒い患者服。
エニグマだ。
「再会を喜びたいが――先に確認だ」
その声は、低い。
「今回はチーム戦だ。少なくとも、私たちは味方同士」
一拍。
「ただし、この領域は見覚えがない。勝利条件も不明」
さらに、視線を外す。
「それと……あれだが」
顎で示す。視線の先。
四人の男たちがいた。
年齢も体格もばらばらの男たちが、辺りを見回している。
どこか浮ついた足取り。たまに笑い声。
場違いな、軽さ。
「同じチームらしいが――決して当てにするな」
淡々と言い切る。
「この場所で“慣れていない”というのは、それだけで致命的だ」
私は、彼らを見る。
(……危うい)
そう思ったとき。
「あー、おい!」
一人が手を振る。
こちらに気づいたらしい。
「そこの二人!これ、なんなんだよ!?」
距離が、縮まる。
エニグマは、わずかにため息をついた。
「……来るな、と言っても来るだろうな」
先頭の一人が、迷いなくこちらへ来る。
その背後で、三人はまだ周囲を見回していた。
軽い足取り。笑い声。場違いな温度。
やがて、先頭の男が口を開く。
「初めまして――って言っても、夢の中で名乗っても残らないんだろ?」
一瞬で分かる。
こいつは、理解が早い。
「サイファーでいい。頼む。足手まといにはならない。――生きて出たい」
短い。無駄がない。
私はエニグマと視線を交わす。
頷きは一つ。
エニグマが前に出る。
「さっきの大声で位置は割れてる可能性が高い」
視線は周囲へ。隙がない。
「今からは“音を出すな”。走れる準備をしておけ」
残りの三人の方を見る。
「離れるな。私たちの背後に付け」
間が空く。
「できないなら――死ぬ」
空気が、冷え込んだ。
サイファーはすぐに頷いた。
「了解。後ろの三人、聞いたな。黙って付け」
だが――
一人が笑う。
「いやいや、大げさだろ。これ夢だぜ?」
その瞬間。どこかで、ガラスが鳴った。
――カラン。
全員の視線が止まる。
エニグマが、小さく息を吐く。
「……来たな」
エニグマ、私、サイファー。
三人は言葉を交わさず、広場の縁へと流れる。
鬱蒼とした草木。
奇妙な色、歪んだ形。
その陰に身を滑り込ませ、音のした地点へ――迂回して回り込む。
低く。静かに。
呼吸すら、抑える。
一方。
広場に取り残された三人は、まだ状況を掴めていなかった。
「なんだよ、急にどっか行きやがって。森林浴か?」
「つーかさ、この夢おかしくね? 全然覚めねぇし」
「まるで現実みた――」
――ピッ。
空気が、鳴る。
「いっ!?」
言葉が途切れる。
男が、ゆっくりと自分の脚を見る。
そこに――
小さな矢。
深く、突き立っている。
一拍遅れて血が滲む。
赤黒く、じわじわと広がっていく。
男の顔から、笑みが消えた。
ヒュン。
ヒュン。
間を置かず、二射。
二人目の首筋に、一本。
三人目の眼窩に、一本。
――貫通。
三人目は、その場で崩れた。
矢は脳に達している。即死だった。
首を射抜かれた男も、膝をつく。
血が噴き出し、もうもたない。
残った一人。
脚に矢を受けた男が、這うようにして森へ逃げ込もうとする。
(間に合わない)
その次の瞬間。
茂みが、割れた。
影が、二つ跳び出る。
低い姿勢のまま、滑るように。
全身に草花を纏い、背景に溶け込む擬装。
小型のボウガン。腰には大型の鉈。
顔は、ガスマスクとゴーグルで覆われている。
性別も、表情も読めない。
だが――動きが、揃っている。
無駄がなく、故に一目で分かる。
(……チームだ)
(強い)
ヒュン、ヒュン、ヒュン。
エニグマの投石帯が、空気を裂く。
回転数が上がるたび、唸りが低くなる。
私は枝を掴む。なるべく硬く太いものを選別する。
ナイフで先端を削り、迷いなく尖らせる。
即席の投槍作成。
エニグマと視線を合わせる。
――行く。
同時に放った。
石と槍。
鋭い致命の二発。
森の隙間を縫って飛翔する。
石は、先頭の頭部を捉える。
ゴーグルに直撃し、眼窩に勢いよくめり込む。
頭蓋が砕ける音。
投げ槍は、脚に突き立つ。
大腿部に深く刺さる。
鈍い手応えに、血が溢れる。
敵の隊列が、わずかに乱れた。
(効いてる)
エニグマと私の狙撃は止まらない。
断続的に撃って、動く。
また撃って、隠れる。
位置をずらし続け、痕跡を残さない。
こちらの位置を悟らせないまま――削る。
その背後ではサイファーが、息を詰めて見ていた。
やがて彼も動く。
太い枝を拾い、不器用な手つきで削る。
遅く粗い手つき。
だが――殺戮の外縁に加わろうとしている。
しかし、敵の反応は速かった。
「――【スモークディスチャージ】」
白煙が、瞬く間に森を飲み込む。
視界が消える。そして間髪入れず。
「――【エネミーディテクション】」
ぞわり、と背筋が鳴る。
(見られた!?)
私たちの位置が、一瞬で割れたようだ。
エニグマは既に立っていた。
太刀を抜き、低く構える。
私は投槍とナイフを握る。
いつでも間合いを詰められる形。
一拍遅れて、サイファーが寄る。
背後を取る位置。死角を潰してくれた。
足音による感知は、当てにできない。
音そのものが小さすぎる。
(一つの感覚だけに頼るな)
気配。
空気の歪み。
――来る“前兆”。
それだけに、全神経を絞る。
煙の中。世界が消えている。
呼吸だけが残る。
私は、息を止めた。
前方。気配が二つ近づいてくる。
わざとらしく大きい。
(……陽動?)
エニグマと視線が合う。
意図を理解した頷き。
数瞬の後。煙を裂いて、影が出た。
大鉈の振り下ろしが猛然と迫る――迎撃。一閃。
エニグマの居合斬りが空間を走る。
敵の首筋に血が開く。
同時に私は大きく踏み込み、突きを放つ。
槍が敵の胸を抉る。
二人とも、深手を負わせた。
(まだだ!)
直後に背後から気配が、二つ増える。
振り返れば、小型のクロスボウを構えた二人の人影。
慎重に間合いを詰めてくる。
(本命は、こっちか――)
その時、草木が割れた。
サイファーだった。
彼は躊躇なく、即席の槍を一直線に投げる。
槍は敵の胸部に突き立ち、貫通する。
サイファーはそのまま踏み込み、クロスボウの矢の軌道を読んで寸前で回避した。
そのまま残る一人に、飛びかかる。
組み付いて拳を幾度も叩きつける。
一発。二発。三発。鈍い音。
血と無残な叫び。
やがて、敵の動きが止まった。
沈黙が戦場を支配する。
「――全員、死んでいるか確認しろ」
エニグマの声が飛んだ。
私たちは散開し、倒した敵を一人ずつ確認していく。
呼吸。脈。眼。
動かない。
六人全員、死亡していた。
死体を一箇所へ引きずって集める。
血の匂いが濃い。
遠くで呻き声が聞こえる。
脚に矢を受けた男が、地面を掻いていた。
「クソ痛ぇ……! マジで痛ぇよ! 俺の脚が――」
――バシン。
エニグマの拳が、男の横顔を打つ。
勢いよく地面へ倒れ込む男。
男だけじゃなく、サイファーも、私も、言葉を失った。
エニグマが、冷たく見下ろす。
「連携を軽んじたな」
低い声。
「状況判断もできず、チームを壊滅寸前まで追い込んだ」
一歩、近づく。
「その上、敵を一人も倒せていない」
沈黙。
「……お前を無能以外、何と呼べばいい?」
テレビ頭で表情は見えない。
それでも分かった――激怒している。
一度、深く息を吐いて、エニグマは先ほどより穏やかな声で言った。
「……今回、我々は二名を失った」
静かな確認。
「夢から覚めれば、生き残った全員が代償を支払うことになる」
誰も、口を開かない。
エニグマは続ける。
「以前な、もっと酷いチームに当たったことがある」
一拍。
「連携も、判断も、何もなかった」
暫しの沈黙。
「――全滅したよ。私以外は」
空気が、凍った。
サイファーがわずかに目を伏せる。
脚を撃たれた男も、もう喚いていなかった。
エニグマは、ゆっくりとこちらを見る。
「代償に、私が何を失ったと思う?」
答えはない。いや。
誰も、聞きたくなかった。
数秒の沈黙。
そして、エニグマは肩をすくめる。
「……それは、夢から覚めてのお楽しみだ」
軽い口調だが、ブラウン管の奥で、きっと笑っている。
私はそんな気がした。




