第二話 夢の底で出会った者
その夜も――いや、私にとって“夜”かどうかは曖昧だ。
一日の大半を眠って過ごす今、まともな夢など見られない。
悪夢が、基準になっている。
黒と、くすんだ緑。
そこにショッキングピンクが混ざる、最悪の配色。
夜闇の住宅街が、どこまでも続いている。
空には、小型のクラゲが浮かんでいた。
唯一の光源。
だが知っている。
あれは近づくと降りてきて、棘で毒を打ち込んでくる。
故に距離を保つ。視線で追う。回避。
そうして進んでいく。
目的地はない。
灯りもない。
ただの、死んだ街。
(やることは一つ)
ここでは、殺しに来る存在を――返り討ちにする。
そのとき。
廃墟の前を通り過ぎかけて、足が止まった。
(……いる)
窓の奥。
ほんの一瞬、何かが動いた。
異形の影。
恐れず、迷わない。
足元のガラス片を拾う。
服を裂いて巻き付ける。
即席のナイフ。
しっかりと握り、走る。
走り出して、すぐに気づいた。
――鏡。
廃墟の壁に埋め込まれた、ひび割れた鏡。
そこに映っていたのは――私だった。
目が五つ。
歪に肥大した頭部。
縦に裂けた口から、黄色い液体が垂れている。
紛れもなく――異形。
(……私が?)
困惑が、遅れて追いつく。
この世界で生き残る条件が“異形を殺すこと”なら――私は。
自分を、殺さなければならない。
ガラス片を握る。
首筋に押し当てる。
そのとき。
「夢の中を彷徨う異形に、自殺する個体は存在しない」
背後から、声。
振り返る。
そこに立っていたのは――
ブラウン管テレビを頭に被った、女。
黒い患者服。
異様に静かな立ち姿。
「……ってことは、お前がこの夢の主ってことでいいのかな?」
軽い口調。
だが、視線は鋭い。
「さて。君はログアウトできるタイプか、それとも暗号認証が必要なタイプか……」
肩をすくめる。
「できれば、殺さずに済ませたいんだけどね」
私は声を出そうとする。
だが、出ない。
喉が動かない。
それでも、伝わったらしい。
「……なるほど」
女が一歩、近づく。
「異形との親和性が高い。だが、異形を殺そうとしている。しかも言語機能を失っているが、判断力は残っている」
わずかに首を傾げる。
「面白いね。初めてのケースだ」
一拍。
「なら――少し強引にいこう」
右腕が上がる。
次の瞬間。
赤い光が、夜を裂いた。
照明弾――音。
四方から、何かが集まってくる気配。
大量の異形が押し寄せてくる。
女は、私に向き直る。
テレビの画面ごと、こちらを向く。
「私はエニグマ。夢から覚めたら、探してみるといい」
そのまま、腰の太刀に手をかける。
抜刀。
――速い。
一閃。
異形が、崩れる。
二体、三体、五体。
間合いに入ったものから順に、切り捨てられていく。
無駄がない。
まるで、処理だ。
押し寄せる異形の群れ。
その中で――私は小さな一体に、必死に刃を突き立てる。
それが、精一杯だった。
そのときだった。
――銃声。
連続。高レートで途切れない。
「伏せて!」
言葉より先に、エニグマの体が私に覆いかぶさる。
次の瞬間、弾幕が頭上を薙いだ。
壁が砕け、建物が半壊する。
「立って!走るよ!」
さっきまでの余裕はない。
手を引かれ、私は走る。
「……あいつは強すぎる。今の私たちじゃ無理だ」
背後で、重いエンジン音。
「エスケープポイントは? 出口、作ってるよね。位置は?」
意味は分からない。
だが――この街には見覚えがある。
(外部に通じる道は、二本)
北と南。
ここから近いのは、北。
私は、指で示す。
「あっちか。了解」
それだけで通じた。
後方から装甲車が迫る。
砲塔がこちらを向く。
赤いレーザーサイトが、胸元をなぞる。
――回転音。
ガトリング砲塔の照準に追われている。
「……来る!」
そのとき。
エニグマが、止まった。
「一つ、誤解しないでほしい」
振り返る。
「私は、今すぐ君を殺す必要がある」
一瞬、言葉の意味が追いつかない。
「被害を最小限にするため……って言えば、分かるよね」
間。
そして、続ける。
「大丈夫。夢の中の“メア”は基本、味方同士だ」
「メア同士で殺し合っても――現実の肉体は削られない」
新しいルール。
だが――
(それでも)
彼女は、一人であれを相手にするのか?
装甲車。あの火力。
勝てるはずがない。
エニグマは、わずかに肩をすくめる。
「心配しなくていい。先輩として、格好はつけたいんだ」
軽い声。
だが、目は笑っていない。
「……逃げ切るさ」
待って。
そう言いたいのに、声が出ない。
「じゃあね」
太刀が、わずかに持ち上がる。
「また夢の底で会おう――不思議なメアちゃん」
一閃。
黒い太刀が、私の胴を断つ。
――暗転。
次に目を開けたとき、見慣れた病室の天井があった。
息を整える。
痛みはない。
私はすぐに、枕元のスマートフォンを掴んだ。
画面を開く。
検索欄に、打ち込む。
ブラウン管テレビ頭の女。
五つ目の異形。
ガトリング砲の装甲車。
ログアウト。エスケープポイント。
メア。エニグマ。
指が止まらない。
夢の記憶は、鮮明だった。
現実よりも、はっきりと。
――だが。
検索結果は、空白に近い。
断片的な単語だけが並ぶだけで、繋がらない。
(やっぱり……)
現実には、存在しない。
少なくとも、表には出ていない。
そのとき。
重い眠気が、波のように押し寄せてくる。
抗えない。
視界が沈む。
意識が、ゆっくりと落ちていく。
――夢の底へ。
エニグマの言葉が、かすかに蘇る。
(また、会える)
暗闇に、沈んだ。




