第一話 夢で死ぬと、現実が欠ける
目が覚めると、見知らぬ戦場だった。
味方は――いない。
夕闇の塹壕に、何かが雪崩れ込んでくる。
人間の子どもほどの大きさの異形。群れ。
手には粗末な刃物。耳障りな悲鳴をあげながら、一直線にこちらへ。
(殺される)
直感の次の瞬間、脚を掴まれ、胸倉を引き寄せられる。
刃が落ちる。
一度、二度、数えきれない。
視界が赤に染まり、私は血溜まりの中で途切れた。
――覚醒。
見慣れた、病院の天井。
上体を起こす。廊下が騒がしい。
足音。叫び声。
扉が開く。
そこに立っていたのは――さっきの異形だ。
鈍い刃が、迷いなく振り下ろされる。
首筋に冷たい線が走り――暗転。
また、目が覚めた。
だが今度は、何も見えない。
光がない。輪郭がない。
あるのは、音だけだ。
「……精密検査でも異常は見つかりませんでした」
「急に盲目になる症例は前例がなく……」
母の声。主治医の声。
どこか遠い。
まるで、別の人間の話を聞いているみたいだ。
私は知っている。
これは病気じゃない。
私は、誰にも知られない場所で死んだ。
そして――その代償を、ここで払っている。
(次に死ねば、もっと削られる)
確信が、静かに胸の奥に沈んだ。
(次は、死に方を選ばないといけない)
やがて眠りに落ちる。
――また、夢。
一面の荒野。
対峙しているのは、ひとりの巨躯の剣客。
黒い襤褸。菅笠で顔は見えない。
だが、濃密な怨恨と殺意だけが、皮膚を刺す。
一歩。
それだけで間合いが消えた。
(無理だ)
手元にあるのは、錆びた鉈一本。
勝てる相手じゃない。
刹那――
首が、宙を舞う。
回転する視界の端で、男がわずかに笑った。
菅笠の影。
そこにあったのは、歪んだ笑みと――血涙を流す、単眼の異形。
――暗転。
目が覚める。
病室。
盲目の暗闇は変わらない。
そしてもう一つ。
右手の感覚が、ない。
「なるほど。それで■■さんは、夢の中で化け物に襲われ続けているんですね」
夢と心理の相関を研究しているという精神科医に、主治医は替わっていた。
「夢で攻撃された部位が、現実で麻痺する……そういうことでしょうか?」
「いいえ。そこに法則性はありません」
少しだけ考えてから、私は続ける。
「ただ……敗北するたびに、ランダムで何かを奪われている気がします」
――落ちる。
また、夢の中だ。
さっきまで、誰と話していた?
……思い出せない。
そもそも、私は――いや、どうでもいい。
逃げろ。
背後の丘から、轟音。
大地が震える。
稜線の向こうから現れたのは、一台の戦車。
黒い。巨大。
履帯は崩れかけているのに、速度は落ちない。
木をなぎ倒し、岩を砕き、一直線に迫ってくる。
全力で走る。息が切れる。脚が重い。
(間に合わない)
次の瞬間。
衝撃。
身体が潰れる。
視界が弾け、音が途切れ――戦車は一度停止した。
そして、ゆっくりと後退する。
もう一度、踏み潰すために。
――暗転。
目が覚める。
病室。変わらない盲目の暗闇。
深く息を吸う。
……匂いが、しない。
今度は嗅覚が消えている。
そのとき。
ふと、一つの考えが浮かんだ。
(……なら)
(勝てば、取り戻せるのか?)
最初から勝てなくてもいい。
地形。状況。選び方次第で――次は、変えられるかもしれない。
再び、夢に落ちる。
――厨房。
見知らぬ空間。
巨大な鍋。立ち上る異臭。
目の前には、蒼い肌の子ども。目が四つもある。
原形を留めたままの動物の死体を、淡々と刻んでいた。
その時、気づく。
(……見える)
現実で失ったはずの視力も嗅覚も、ここでは戻っている。
(なら、戦える)
視線を巡らせる。
包丁。鍋蓋。火。
武器になり得るものは、いくらでもある。
相手は子どもサイズ。
一気に畳みかければ――
(いける)
そう思った、次の瞬間。
刃が飛んだ。
遅れて、痛み。
脚に、ナイフが突き立っている。
速い。
正確すぎる。
子どもの見た目をしたそれは、達人の手つきで刃を操っていた。
「……ッ!」
体勢が崩れる。床に膝をつく。
異形が、笑う。
ゲタゲタと、歪んだ声で。
(終わる)
だが――這う。
引きずる。
距離を詰める。
異形の見せた油断。
その一瞬に、包丁を叩き込む。
手応え。
だが、止まらない。
互いに、刃を振るう。
刺す。
刺される。
もう一度。
赤と蒼の血が混ざる。
床に広がる。
視界が揺れる。
――暗転。
目が覚める。
いつもの病室。
思わず呼吸を整える。
……変化がない。
何も、失っていない。
(引き分け……?)
直感する。
(なら)
(負けなければ、削られない)
勝つ必要はない。
少なくとも――負けなければいい。
答えはまだ出ない。
だが、悪夢の進み方は見えた気がした。
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