第十七話 戦友たちの食卓
サイファーに半ば強引に諭され、私たちはエニグマの案内で隣室へ移動していた。
そこは先程までの近未来的なダイブルームとは違う、広々としたリビングルームだった。
白を基調とした空間に洗練されたデザイン。高級感はあっても生活感は薄い。だが妙に居心地が良かった。
視線の先、中央の壁際には大型液晶テレビが備え付けられている。
薄型で高精細な、いつもの古ぼけたブラウン管テレビとは違う。正規品の、真っ当な最新家電だった。
「普通のテレビも持ってたんだ……」
思わず呟く。その横でエニグマとサイファーが、吸い寄せられるように大型冷蔵庫へ向かっていく。
両開き式で、やたら高そうな家電だ。
私はその隙に、ガラステーブルの上へ置かれたリモコンを手に取った。
さりげなくテレビを点ける。
次の瞬間、映し出されたのはニュース番組だった。
『女子高校生■■さん行方不明事件』
『失踪から既に――』
『警察は現在も――』
複数のチャンネルでどこも同じ話題を報じている。
熱っぽく、大袈裟に、まるで世界的大事件みたいに私を報道していた。
少しだけ画面を見つめるが、不思議ともう現実感がなかった。
「……今さら、どうでもいいんだけどね」
私は小さく呟き、テレビを消した。その時。
ジュゥゥゥ……。
堪らなく良い匂いと音がした。
振り返ると、熱々のマルゲリータピザがテーブルへ置かれていた。
「フッフッフ〜♪」
エニグマが得意げに胸を張る。見れば大型電子レンジがフル稼働していた。
次々と投入される冷凍食品。ピザ、ラザニア、グラタン、何か分からない高級そうなスイーツ。
サイファーがそれらを運ばされながら、こっそり私へ耳打ちする。
「……あいつ」
苦笑していた。
「多分っていうか、絶対料理できねぇぞ」
言われてみれば、私は改めて食卓を見回した。
凄い。確かに凄い。高級感もあり、美味しそうでもある。
だが内容が極端だった。ピザ七割。豪奢なフルーツ二割。華美なデザート一割。
統一感が皆無である。しかも全部、高そうな冷凍食品。およそ日常離れした食卓だった。
しかし、私は自然と笑っていた。
「……でも」
空腹感が強くなる。
「めちゃくちゃ美味しそうだね」
それが、今の私の偽らざる本音だった。
私たちは無我夢中だった。
ピザ。ピザ。またピザ。熱々で、濃厚で、香ばしい。
チーズ、トマト、肉、油、塩気。その全部が暴力的に美味い。
どれだけ飢えていたのか、もう考える余裕すらなかった。
「うまっ……」
「美味ぇ……!」
「んふふふふ〜♪」
ただ食べる。咀嚼して呑み込む。また次へ手を伸ばす。それだけだった。
気付けば豪奢なフルーツもどんどん消えていく。葡萄、苺、オレンジ、見たこともない高そうな果実。
さらにケーキ、ブラウニー、ティラミス。デザート類まで、猛烈な勢いで減っていった。
そしてようやく、私たち暗号トリオの理性は、会話が成立する程度には回復していた。
「いやぁ〜……」
サイファーがソファへ沈み込む。満腹で満足そうな顔だった。
「食った食った……」
深いため息。
「こんな高級な食事、人生で初めてだぜ……」
私も小さく頷く。
「すごく美味しかった」
自然と笑みが浮かぶ。
「ありがとう、エニグマ」
その言葉に、エニグマは得意げに胸を張った。
「フッフッフ〜♪」
黒猫頭が上下する。
「戦友に食事代なんざ請求しねぇから安心しな」
ぽんぽん、と自分のお腹を叩く。かなり膨れている。
「いくらでもある。腹減ったら、また言ってくれや」
その声音は、悪夢を語る時より少しだけ優しかった。
食後。片付けもそこそこに、エニグマはすでにメアダイバーの部屋へ戻っていた。
私は食器を流しへ置き、少し遅れてその部屋へ入る。白い空間。静かな機械音。淡く点灯するモニター群。
その中央で、エニグマは一人、機材の調整を続けていた。
先程までの騒がしさが嘘みたいに、今は妙に静かだった。
「何の準備してるの?」
私が尋ねると、黒猫頭がこちらを向く。
「ん?これかい?」
エニグマはモニターを指差した。そこには無数の波形、映像断片、ノイズ混じりの夢の記録が並んでいる。
「次に侵入する悪夢を厳選してるんだよ」
軽い口調。だが恐らく、今のエニグマはかなり真剣だった。
「我々の時間は有限だ。だが現代の悪夢供給量は、ほぼ無尽蔵」
モニターが次々と切り替わる。戦争。怪物。火災。深海。落下。無数の悪夢。
「だから、より強固で、より作り込まれた、影響力の強そうな悪夢を狙い撃ちしなきゃ効率が悪い」
私はその言葉を反芻する。そして自然と答えへ辿り着いた。
「なるほど」
エニグマがこちらを見る。
「上手くいけば、夢の主が味方になってくれるかもしれないんだね」
暫しの沈黙。次の瞬間、エニグマが小さく笑った。
「そういうことだ。理解が早いな、戦友」
その言葉に、少しだけ胸が熱くなる。
「次も頼りにしてるぞ」
私はそこで初めて気付いた。
あぁ。今の私は、ちゃんと誰かに必要とされているのだと。
そしてそれを、心の底から嬉しいと思っている自分が居た。
その時だった。
《ニャニャーン♪ ガルルルル!!》
異音が部屋中へ響き渡り、私とサイファーは同時に肩を震わせた。
「……なに今の?」
「知らん、怖ぇ」
視線の先で、エニグマがのそのそとスマホを取り出す。
またしてもショッキングピンク。しかもジャラジャラと、猫、猫、猫、無数の猫モチーフストラップがぶら下がっていた。
「センス終わってる……」
思わず本音が漏れる。
「んぁ?」
エニグマが不服そうにこちらを見る。
「この可愛さが分からねぇとは、戦友として教育が必要だな」
「いや絶対いらない」
サイファーが即答した。
そんなやり取りをしつつ、エニグマはスマホ画面へ視線を落とす。
そして数秒後、露骨に嫌そうな空気を醸し出した。
「あ゛〜〜〜〜〜……」
黒猫頭が天を仰ぐ。
「げぇー……」
嫌そう。本当に嫌そう。
「LUCIDの連中との協働作戦じゃねぇか……しかも強制任務ぉ……」
深いため息。
私とサイファーは顔を見合わせる。
当然ながら、何のことか分からない。
「LUCID?」
私が首を傾げると、エニグマは心底面倒臭そうにソファへ沈み込んだ。
「あいつらなぁ……規律がどうの、作戦行動がどうの、安全管理がどうの、いちいちうるせぇんだよ……」
指を一本、二本、三本と立てたあと、ぐったりと項垂れる。
「そのくせ、仕事はめちゃくちゃ出来るから、なんも言い返せねぇし……」
そしてサイファーが、ぽつりと言った。
「つまり……」
少し考える素振り。
「エニグマと真逆ってことか?」
沈黙が降りる。
黒猫頭がゆっくりとサイファーに向く。
「おい戦友」
低い咎めるような声だった。
「今すげぇ失礼なこと言わなかった?」
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