第十六話 世界を救う悪夢
目が覚める。
私はゆっくりと息を吐いた。
頭部へ装着されていた近未来的なバイザー型デバイスを外し、サイドテーブルへ置く。
視界の端では、エニグマの部屋の壁に掛けられた、幾何学的デザインの白いデジタル時計が、悪夢の中で過ごした二時間の経過を告げていた。
たった二時間。されど二時間。
まるで数日間、戦い続けていたような疲労感だった。
私はそのままメアダイバーへ身体を預ける。
柔らかく、快適すぎる。下手をすれば、このまま普通に眠れてしまいそうだった。
ぼんやりしていた、その時。
ぬっ。
視界の横から黒猫頭が生えてきた。
「戦友ぅ〜」
至近距離での戦友コール、妙にビブラートが効いている。
「呆然自失といったところかね?」
「いや」
私は半目のまま答える。
「ちょっとこの椅子の寝心地が良すぎて、普通に寝そうになってるだけ」
一瞬の沈黙。
そして次の瞬間。
「ははははっ!!」
エニグマが笑った。
「悪夢を見た直後にまた眠るつもりとは!!我が戦友ながら剛毅よのぅ!!」
黒猫頭が愉快そうに揺れる。
その横で、むくりとサイファーが起き上がった。
まだ少し顔色が悪いが、その目は真剣だった。
「なぁ」
静かな声。
「あの悪夢……あれで良かったのか?」
空気が少し静まる。
守り切れなかった結末。私たちの全滅。
それでも夢の主は、確かに言った。
――これで先へ進める。
エニグマは軽く肩を竦めた。
「ん?」
気楽そうな声音。
「間違いなく攻略には成功してるぜ?」
親指を立ててサムズアップする。
「その証拠にほれ」
ニヤリと笑う。
「私たち、何も代償を支払ってないだろ?」
その言葉にサイファーは少し考え込み、やがて小さく頷いた。
「確かに……」
安堵の息を吐く。
「でも、やっぱ悪夢ってやつは後味悪ぃな」
「まぁねぇ」
エニグマが天井を見上げる。
「だが私らは、貪欲に勝利条件を推測して、その達成を目指すだけさ」
どこか遠くを見るような声音だった。
私はそこで、ずっと引っ掛かっていた疑問をようやく口にした。
「ねぇ、エニグマ」
黒猫頭がこちらを向く。
「どうして他人の悪夢に潜るの?」
静かな問い。
「代償を支払うかもしれない危険を冒してまで」
そして核心を突く問いでもある。
「どうして、夢の主の望みを叶えようとするの?」
サイファーもまた、黙って聴いていた。
「……確かに」
そう呟きながら、私とエニグマを交互に見比べている。
「よっっっくぞ聞いてくれましたぁぁぁーーッ!!」
瞬間、パァァァッ!!
そんな擬音が似合う勢いで室内照明が突然七色へ変化した。
ピンク、青、紫、黄色。意味不明なテンションで点滅し始め、しかもエニグマ本人まで小躍りしている。
「ズバリ!!」
黒猫頭がビシィッとこちらを指差す。
「世界を救う為なのでしゅ!!」
沈黙。
……噛んだ。今、確実に噛んだ。
だがエニグマは止まらない。止まる気がない。
「分かり易く一回しか言わねぇからなぁ!!耳かっぽじくってよぉぉく聞けチンパンジーどもぉ!!」
私とサイファーは、すでに真顔だった。
エニグマはそこで急に声音を落とす。
「この世界では、現実と夢、二つの領域が相互に支え合うことで整合性を維持している」
空気が少し変わる。指を二本立てる仕草だけはふざけているのに、声は静かだった。
「だから、破綻のない平和が成立してる」
私は思わず聞き入っていた。
「だが最近になって、爆増し始めた悪夢によって」
エニグマが指を鳴らす。部屋の照明が赤く染まった。
「夢のサーバー全体が、ダウンしかけてる」
「夢の……サーバー?」
サイファーが眉を寄せる。
「なんてったって悪夢ってやつはなぁ、データ量がデカい。処理が重い。しかも普通の夢より遥かに長時間起動し続ける」
指が一本、二本、三本と立つ。
「つまり悪夢は、クソ燃費の悪ぃ超大飯喰らいってわけだ」
「なるほど……」
私は呟く。
「でも、それなら悪夢を見る人を排除すれば……」
「そこが甘ぇんだよなぁ〜」
エニグマが楽しそうに笑う。
「適当に因縁つけて悪夢を排斥したところで、状況は好転しない。何故か分かるかね?」
少し考える。そして、私は答えた。
「夢の主が心から満足しない限り、また同じ悪夢を見続けるから……かな?」
「コード!!」
エニグマが勢いよく立ち上がる。
「完璧な回答だ!!褒美にエナジードリンクを授けよう!!」
どこからともなく缶を取り出す。ラベルには《ドリアン味》と書かれていた。
「なんか凄く不味そうね」
「で」
サイファーが真面目な顔へ戻る。
「その夢サーバーってやつがダウンすると、どうなるんだ?」
その瞬間、エニグマが少しだけ皮肉げに笑った。
「現実と夢の境界が曖昧になる」
静かな声。だが明確な危機感がにじんでいる。
「やがて混ざる」
照明が明滅する。
「最終的には統合されるだろうね」
「物理法則すら、夢に書き換えられる」
暫しの沈黙。誰もが最悪の事態を想像する。
「そいつは……やべぇな」
サイファーが顔を引き攣らせる。
「ここからは私の推測だが」
エニグマが続ける。
「夢サーバー崩壊後の世界では、より強い悪夢を持つ者が現実を支配する」
ぞくり、とした。
「夢が法則を書き換える燃料なら、その夢が濃密で、重く、作り込まれているほど影響力は飛躍的に高まる」
声が低くなる。
私はそこで理解した。
「つまり……」
言葉が自然と零れる。
「今、私たちがやってることって」
そして、答えへ辿り着く。
「近い未来、現実世界を支配するかもしれない悪夢保持者たちとの……事前の和解?」
エニグマが、嬉しそうに笑った。
「うむうむ!!」
黒猫頭が上下する。
「君たちを戦友として迎え入れられて」
少しだけ、本当に誇らしげに言う。
「私は、本当に嬉しいよ」
「さーて!!」
エニグマが勢いよく立ち上がる。
「世界の平和を守る為!! 我々には時間がないッ!!」
無駄に照明が点滅する。
「早速!!」
メアダイバーを叩く。
「次の悪夢へ侵入したいのだが!!いいかね戦友諸君!!」
「いや」
サイファーが真顔で立ち上がった。
「その前にだな」
静かに、だが力強く言う。
「いい加減、飯にしないか?」
「「……あ」」
私とエニグマの声が重なる。
サイファーが呆れ顔で続けた。
「もう何時間食ってないか分からねぇぞ。お前ら、よく平気だな?」
そして少し心配そうに。
「大丈夫か?」
言われてみれば、私は自分のお腹へ手を当てた。
……空腹だった。
かなり。相当。というか、急に猛烈な空腹感が襲ってくる。
「…………」
ぐぅぅぅぅ。
室内に、情けない音が響いた。
「コード」
エニグマが肩を震わせる。
「お前の腹、めちゃくちゃ正直だな」
「う、うるさい……!」
私は思わず顔を赤くした。
だがエニグマも、その直後。
ぐぅぅぅぅぅ。
かなり大きな音を鳴らした。
沈黙。
「……」
「……」
サイファーが天を仰ぐ。
「世界を救う前に」
彼の深いため息で我に返る。
「お前ら、まず飯食え」




