第十五話
ぎゅおおおぉぉぉぉおおぉぉぉぉんんん
セイは空間全てを揺るがすような大音量の断末魔を床に横たわり全身で感じ取っていた。
加速がつきすぎたためか、セイの体は槍とともにクラゲの“目”だけでなく、全身を貫通し、床に叩きつけられた。
普通なら即死だが、クラゲの柔らかい体が衝撃を幾分か吸収したため、セイは絶命には至らなかった。
それでも起き上がることはできない状態だった。全身の至るところの骨は折れているらしく、指一本動かせない。
呼吸も苦しく、息を吸い込み、吐くたびに痛い。おそらく折れた露骨が肺に刺さったのだろう。
それでもセイの心は穏やかだった。
視界の隅でクラゲがゆっくりと崩れ、黒い海水に戻っていくのが見えた。
楽園を取り戻せたのだ。
その満足感と、クラゲに受けた麻酔毒のせいで痛みもケガの状態に比べて軽く、意識もハッキリしている。
『──セイ、セイ! なんっという無茶を……!』
トゥトゥの声が聞こえる。
「……だって、しょうがないだろ。あの高さから落ちたら奴が絶対邪魔してくるし、その邪魔を逆手に取る以外にないだろ。実際うまくいったし」
自分でも驚くほど穏やかで、なめらかに話すことができた。
もうすぐ自分は死ぬだろう。
しかし死への恐怖も驚くほど少なく、冷静でいられる。おそらく相当体へのダメージが大きいのだろう。人間は本当に深刻な、命にかかわる大けがをした場合、死の恐怖でパニックに陥らないよう脳から大量に痛み止めの物資が分泌されると聞いたことがある。そう考えると自分は本当にもうダメなんだろうな、とセイは冷静に考えられた。
『ですが、そのせいであなたは……!』
「意外だな。お前でも泣くのか」
『茶化さないで! 私はアティフィシャル・インテリジェンスです! 泣くだなんて、感情は、私には……!』
トゥトゥの声には嗚咽が混じっていた。
「いいじゃないか。泣いたって」
『でも、でもソレイユは……!』
「ソレイユ……」
最後にソレイユの笑顔をもう一度見たかったな。
セイがそう思った時だった。
「セイ!」
ソレイユの声が聞こえた。セイの目の前にソレイユが立っていた。
「ソレイユ、もう出てきても大丈夫だよ。楽園、取り戻したから」
「セイ……!」
ソレイユがセイのそばに屈みこんで、セイの手をそっと握った。
「待ってて! すぐ治してあげるから!」
『ソレイユ! ダメです! それは──』
「天使さま……お願い。私、セイに生きてて欲しいから……!」
セイはソレイユの手の暖かさを感じながら言った。
「また、前みたいに治せるかな。オレのこと」
「……うん。うん! 大丈夫だよ! 絶対、治すから! もうほとんど残ってないけど、私の全部、あんたにあげるから……!」
『ソレイユ……!』
全部あげる?
残っていない?
セイはぼんやりとソレイユの言葉を聞いていたが、つないだ手から暖かいものが全身に駆け巡ってきた。
「ソレイユ……オレ、セイに、君の弟に、会ったよ」
「え?」
「やっぱり、同じだ。姉弟だからかな。同じ暖かさだ。君が塔でオレを治してくれてる時、夢に出てきたんだ。そうか。あの子の言う“あの人”ってソレイユのことだったんだな」
どんどん全身が暖かくなってくる。
それと同時に、麻酔独で麻痺していた思考も徐々に明瞭になってくる。
ふと、ソレイユの顔を見た。
「ソレイユ……!?」
ソレイユの顔が真っ青になっている額に汗を浮かべ、苦痛に耐えているのが分かる。
「ソレイユ! 大丈夫か!? 無理するな!」
「無理なんか……して、ないよ。同じだから。塔の、時と、同じ……」
セイの胸に言いようのない不安がよぎった。
「ソレイユ……!」
セイは手を振り払って手を離そうとした。しかし全身に痛みが走り、ソレイユにもより強く手を握りこまれてしまう。
「もうすぐ……終わるから……」
「ソレイユ! ソレイユ! 絶対大丈夫じゃないだろ! もうよせって!」
『セイ……あなたはソレイユの能力を治癒の類と思っているようですが、実際には──』
「天使さま……お願い……!」
『いえ、私、もう我慢できません! セイ、ソレイユの能力は生命力の投与、つまり彼女自身の生命を他人に分け与え、その負担を彼女自身が肩代わりすることなのです!』
他人に生命を分け与える? 肩代わりする?
その言葉を理解するのに少し時間がかかった。少しづつ、その言葉がセイの頭に沁み込むように、その意味を理解してきた。
あの時だ。
セイがソレイユに塔で助けてもらった時、ソレイユは明らかに疲れた顔をしていた。
浄灯篭の中でもそうだった。
ソレイユはずっと、セイが受けた傷の痛みの半分を自らに受け入れ、耐え続けていたのだ。
「ソレイユ! もうよせ! やめろって! オレ、もう助からないんだ! そんなオレの肩代わりしたら、今度は君が──」
セイの焦りと裏腹に体の痛みはどんどん引いていく。
「……終わったよ」
ソレイユが笑い、そのままセイに向かって倒れ込んでくる。二人は倒れたまま抱き合う形になった。
「ソレイユ……ソレイユ!!」
セイが体を起こし、ソレイユを抱きかかえる。もう痛みはほとんどない。それが何を意味するのか、セイは目の前が真っ暗になった気がした。
ソレイユが弱々しく笑った。
「セイ……よかったね。今度は助けられた。弟はダメだったけど、あんたは……助けられた……」
セイは言葉が出なかった。
自分のせいだ。
自分がソレイユを死なせた。
守るって言ったのに。
何が居場所を見つけようだ。
オレは死なないって言っておいて、軽はずみに自分の命を擲った。
その結果、ソレイユは……!
涙が出ない。
悲しみと絶望で胸がいっぱいなのに、涙が出てこない。目が、胸の奥が、心が、何もかも乾ききっている。涙も、汗も、血も、何もかもセイの中から消え失せて、蒸発してしまったような気分だ。
その時、ソレイユの目に紫色の光が差したように見えた。
セイは顔をあげて上を見上げた。
明るい。
真っ黒だった空間が、青い光に包まれているのだ。
これは、この色はまるで──
「空の……色だね」
ソレイユが呟いた。
セイはソレイユを見た。漆黒だったはずの瞳がスミレのように美しい紫に光っている。
「セイ……だよね。ハンサムだね。思ってたより。カッコいいよ」
ソレイユがイタズラっぽく笑った。
「ソレイユ……目が……!?」
「なんでかな。見えるよ。私、赦されたのかな。やっと、浄化されたのかな」
「ソレイユ、オレ、君と約束したのに……オレ、オレが守るって、言ったのに……!!」
「そんな顔しないで」
ソレイユがセイの頬をそっと優しく撫でた。
「はじめて見たあんたの顔。好きな人がそんな哀しい顔してるなんて、イヤだよ」
セイの目から大粒の涙がこぼれた。それまで枯れていた涙が急激に押し寄せてきた。
「セイ。私の耳飾り、持って行って」
ソレイユが耳飾りを外して、セイの手にのせた。
「最後に私が見えた光、他のみんなにも見せてあげて」
ソレイユの瞳が閉じた。
ソレイユの全身が淡く白い光に包まれ、やがて光の粒子となり、楽園に溶けていく。
その光はタンポポの綿毛が風に吹かれて草原を飛ぶように、青い空に消えていった。




