第十二話
「ここが、楽園なのか?」
浄灯篭の白い光の中で揺られながらおよそ一時間が経ち、移動が止まった。
海底についたようだ。波の揺れがない。
『セイ、ソレイユ、聞こえますか?』
「天使さま?」
「トゥトゥか」
『良かった。無事に到着したようですね』
「なんだよ無事にって。お前、出発する前は安全だって言ってたろ」
『それは設計上の仕様についての話です。浄灯篭は本来救命装置であり、その設計、製造には一流の技術者が関わっています。しかし実際に使用するには長い年月が経過しており、経年劣化による影響を完全に予測するのは極めて困難です』
「……要するに危なかったかもしれない、ってことか」
『アブナイ、とは相対的な概念であり、あなた方の場合─┬』
「あーもういから。それより、お前と話せるようになったってことは、ここが楽園なのか?」
『そうなのですが……少々問題が』
セイは溜息をついた。
「だろうと思った。で? 何が問題なんだよ」
『その前に一つ伺ってもよろしいですか?』
「なんだよ」
『唇をどうしたのですか?』
「どうって、何が?」
『セイとソレイユ、あなた方の唇に互いの唾液が付着しているのですが』
「!」
セイとソレイユの顔が見る見る赤くなった。どちらからともなく、つないでいた手をバツが悪そうに離す。
『通信が届かない約一時間の間に何かあったのですか?』
セイはソレイユを見た。ソレイユは恥ずかしそうに顔を伏せている。セイもすぐに目を逸らした。
『どうかしたのですか? 心拍数が急激に上がっているようですが』
「お、お前には関係ないことだろ!」
『しかしあなた方の脈拍が上昇して─┬今も上昇中です。体調に何か問題でも生じたのですか?』
「ない! ないから! 私たち、何もないから! ホント大丈夫だから! ヘーキ!」
ソレイユがうわずった声で必死に否定した。
『そうですか? 血圧も上昇、顔面にも紅潮がみられます。バイタルデータから判断すると、とても平常とは考え難いのですが……』
「いや、オレら本当に大丈夫、大丈夫だから」
セイもぎこちない笑顔で言い添えた。
『そうですか。ではセイ、外に出て下さい。ソレイユは浄灯篭の中で待機を』
セイが浄灯篭の外へ出ると、周囲は黒一色だった。前も後ろも、右も左も上も下も、何もかもが真っ黒だった。
「なんだこれ。息は……できるみたいだけど。海の中じゃないのか?」
セイには真っ暗な夜の中に立っているように思えた。
いや暗い、というわけではない。ただ黒いのだ。光が届かずに暗くなっているのではない。空間が色として黒いのだ。
「楽園って、空みたいに青い色の海って聞いたけど」
『既に浄化はほぼ完了しており、この近辺の海は青い粒子だけを反射するようになっています。ですが問題がありまして』
「だからその問題って─┬」
セイがそこまで言いかけた時、突然背後に危険信号を感じて咄嗟に体を伏せた。背中のすぐ近くで空気を鋭く切り裂く音がした。
セイが伏せたまま顔をあげると、周囲の黒い空間から刃のような形の真っ黒い触手が通り過ぎていったのが見えた。
「なっ……」
今後は上に危険な気配を感じ、寝返りをうつように転がる。先程までセイが伏せていたところに、上から槍のように尖った触手が六本降り注いだ。セイは横に転がった勢いで体のバネを活かして跳ね起きる。
「これが問題ってやつか!?」
『ネレイドの暴走によるバグの一種です。浄化の過程で精神的な汚染が悪離京を及ぼすとは技術者も想定外でした』
「よく分からないけど─┬」
セイは自分の鳩尾に向かって槍のように伸びてきた黒い触手を見て、
「散れ!!」
手をかざし、命じる。
セイが伸ばした手を中心に、槍が黒い水となって霧状に散って消える。
「オレの言うことを聞くってことは、要するにこいつらは海水なんだな」
『海水であったことは確かです。今は生命に対して無差別に攻撃を仕掛ける、制御不能の危険な兵器です』
セイの前後左右、四方向から黒い触手が襲いかかる。
「固まれ!」
セイが叫ぶ。黒い触手がセイの体を貫く直前にセイの手の中に集まり、ヌンチャクの形をなす。
上から、斜めから、セイが立つ地面以外の全ての方向から次々と触手がセイに向かって伸びる。槍、刃、鈍器、生物に危害をくわえるために考えられるありとあらゆる形状をしている。
セイは手にした黒いヌンチャクで四方八方から襲い掛かる触手を殴りつけ、粉砕していく。
「確かに、この状態じゃソレイユを外には出せないな」
『セイのパーミッション権限があればこの状況に対処できるはずです』
「ソレイユは大丈夫なのか!?」
セイはヌンチャクを振り回し、触手を振り払いながら叫んだ。
『ネレイドは光を避けるようプログラムされています。浄灯篭は発光しているためソレイユは安全です。この奥にあるバグの本体を除去してください!』
「奥って言っても、真っ黒でどこに進めばいいか分からないぞ!?」
『少し──お待ちください……!』
トゥトゥが苦しそうに言う。セイはトゥトゥがこんな声を出せるのかと驚いた。
「どうした!?」
『今──光を……!』
真っ黒の空間から白い光の筋が差し込んで来た。
その光は周囲を明るく照らすのではなく、一本の光線として黒い空間の中を貫くようにセイのすぐ横に伸び続けている。
「なんだこれ、光の線……? こんなの初めて見た」
『白色の、レーザー光です──この光を辿ってください。レーザーの発振の先に、私の制御装置が……』
トゥトゥの声がさらに苦しそうになり、時々声が途切れる。
「わかった! とにかくこの光の先に行けばいいんだな!?」
セイは光線の差す先を見据えた。黒い触手が視界をふさぐように、セイから白い光線を覆い隠そうとし、襲いかかる。
「どけ!」
セイはヌンチャクを振り回しながら、白い光が差し込む先に向かって駆け出した。
「天使さま、大丈夫!?」
浄灯篭の中ではソレイユが心配そうな声をあげていた。
『申し訳──ありません、大丈夫──です』
「でも、すごく苦しそうだし、声も途切れてる!」
『セイが……問題の対処に向かって──くれています。それより、先程の話の、続きを……』
「続きって言っても……ホントに大丈夫?」
『大丈夫、です。セイの能力を信じます』
「セイの能力って、海水を自由に操れるっていうやつ?」
『操る、というのは語弊があります。正確には、ネレイドに干渉し─┬海水の形状を成形……する能力です』
「私は見たことないし、違いがよくわからないけど、それが?」
『セイと同じくソレイユ、あなたの能力についても話しておく必要があります』
「私の能力って─┬」
『結論から言います。ソレイユ、今あなたは非常に危険な状態にあります』
「危険? どういうこと?」
『ネレイドは登録されていない者にとって非常に危険な存在です。一滴触れるだけで即座にタンパク質の分解、分子結合の解除が行われます。一見すると全身が黒い毒素に侵食され、その後肉体が液状化するように見えるでしょう。しかしこれは浄化作用の一過程に過ぎません』
「??? ……天使さまの言うことはいつも通りわかんないけど……でも影の子、私やセイは大丈夫でしょ?」
『それが、登録者である白の光にとってもネレイドは完全に無害というわけではありません。人間がタンパク質で構成される以上、常に浄化の影響に晒され続けます』
「私たちも海水に触れ続けるといつかは死んじゃうってこと?」
『全身を長時間ネレイドに晒し続ける、つまり海水におよそ三時間ほど浸かり続ければ影響は避けられません』
「それじゃ、外にいるセイが危ないじゃない!」
ソレイユが立ち上がり、外に出ようとする。
『待ってください! セイなら大丈夫です。だからこそ彼だけ外に出るように頼んだのです』
「どうして!? セイが危ないなら、私じっとなんかしてらんないよ!」
『セイが持つネレイドの形成能力は、ネレイドの浄化、分解がセイ自身に及ばないよう作用しています。おそらくセイは無意識のうちに制御していると思われ、セイが意識を失い、眠っていても
彼にネレイドの危険は及ばないでしょう』
「ならいいんだけど……」
『問題はソレイユ。あなたです。これはあなたの能力にも関係しています』




