第十一話
セイとソレイユをのせた浄灯篭はゆっくりと海中を沈んで行く。
浄灯篭の中はぼんやりと白く明るかった。
直径は三メートルほどあったが壁が厚いのか中はかなり狭く、セイとソレイユが向かい合って座るのがやっとだ。
外壁は真っ黒な闇が映しだされている。どういう原理かは分からないが中からはガラス張りのように透明で外が見えるのだが、海中にいる今は真っ黒な海水しか見えない。まるで夜の暗闇の中に二人だけ取り残されたような心細さを感じる。
下へ、下へと緩やかに下降していくのが分かる。
「なんか、慣れないな。この、ゆっくり落ちていく感覚」
「天使さまともしばらく話せないしね」
「デンパのかく乱がどうとか言ってたっけ。あいつの言うことって全然わからない」
「よく分からないね」
「分かんないよな」
二人は押し黙った。
沈黙が訪れる。
セイはチラリとソレイユの顔を見る。端正で整った美しい横顔だ。少し疲れているように見える。
「……狭いなぁ。ここ」
「そうだね。声が全然響かない」
また押し黙る。
また沈黙が訪れる。
「外、暗いなぁ」
「そうみたいだね」
また沈黙。
……話題がない。
セイはあまり人と話すのが得意なほうではない。セイを気味悪がらずに話してくれる相手は船長とユウだけだった。ソレイユとは楽しい気持ちになれるからまだ話せたが、いざ狭い空間に二人だけになると、自分が話題の少ない人間だと思い知らされる。
ここには船長もユウも、アブラハムもアスワドもトゥトゥもいない。二人だけだ。
アブラハムのように信用できない相手とは問題なく話せる。いつ関係が切れても構わないからだ。
アスワドのように危険な匂いのする相手とも、警戒という意味で話すことができた。むしろ言葉を使うことで警戒のアンテナを張り巡らせることができる。
トゥトゥに至ってはあまりに内容が意味不明なので質問する他なかった。
しかし今、目の前にはソレイユしかいない。
外は黒い海水に満たされ、夜の闇の中にいるとなおさら二人でいることを意識してしまう。
最初に塔で出会った時はお互いを知ろうと会話ができた。なのに今はそれができない。
多少なりとも互いを知ったからだろうか。
セイの脳裏には、聞こうとして聞けずにいたことが渦巻いている。
はじめて自分の名を聞いた時のソレイユの反応。
砲撃で受けた傷がなぜ癒えているのか。
そもそもソレイユはどうやって影の海に落ちたのか。
全て聞く機会を逃してしまったが、聞いてはいけないような気もする。
「セイ。私ってさ」
ソレイユのほうから声をかけられ、セイは彼女を見た。
「話しにくいよね。今では目も見えないし。キライでしょ? こんな子のこと」
「そ、そんなこと─┬」
「セイにも言われたよ。まだ見えてる時だけど」
言われた?
自分がそんなことを行った覚えはない。いや、そもそもソレイユが見えていた時には会ってすらいない。
「オレ、そんなこと言ってないと思うんだけど……」
「あ、ごめん。セイって、あんたのことじゃないの。私の弟。もう死んじゃったけど、あんたと同じ……セイって名前」
ソレイユは懐かしむような、寂しげな瞳をセイに向けた。
「オレと、弟さんの名前が同じ……」
「最初はびっくりしたよ。歳も同じだし。弟が帰ってきたのかって。そんなわけないのにね。それに意味も違う。古い言葉で、星を意味するんだって」
ソレイユは暗い海に目を向けた。真っ黒な瞳に真っ暗な海が映っている。夜の星空を思い浮かべているのだろうか。
「弟が海に落ちた時、私も海に飛び込んだ。弟は助からなかったけど、私は影の子になって助かった。どんどん弟の体が冷たくなって……何もできなかった」
ソレイユは掌を見るように顔の前にかざした。その手の中に消えていく弟のぬくもりを思い起こしながら。
「セイは、あ、弟のほうね。あの子、姉ちゃんに命をあげるって言ったの。私は弟の代わりに生きちゃった。でも、その日から家族が私を見る目が変わった。島の他の人たちも。きっとみんな、私なんかよりセイのほうに生きてて欲しかったんだ。父さんと母さんにとっても、あの時から私は娘なんかじゃなくて、ただのオバケになっちゃったんだ」
「それは─┬」
セイは口をはさもうとして、できなかった。
違う、と言いきれるだろうか。
どうしてお前が生きているんだ、セイが何度も浴びせられた言葉だ。自分には生きる価値はない、もっと他に生きるべき人がいる。そして、それは自分ではない。
ソレイユも同じなのだ。
セイはようやくソレイユに心惹かれる理由が分かった。彼女は自分と同じ苦しみを抱えていたのだ。
「ソレイユ、オレ─┬」
「私さ、あんたのことキライ」
「……えっ!?」
「私ね、友達がいたの。大好きな友達。モアって言ってね。私と同じ影の子。男の子みたいに気が強い子だった」
セイはぼんやりとその言葉を聞いていた。ショックのあまり頭にはほとんど入らなかった。
「でも死んじゃった。モアは救済を信じなかったけど、私は信じた。そのせいでモアは司祭様に……」
ソレイユは目を閉じ、顔を伏せた。
「モアも、弟も、私が好きな人はみんな死んだ。司祭さまが言ってた。私は人を好きになっちゃいけないんだって。呪われてるから。だからセイ。私、あんたのこともキライにならなきゃいけない」
ソレイユは顔をあげて笑った。その笑顔はとても明るいのに、セイには泣いているようにしか思えなかった。
「だからセイ。あんたも私のことキライになって。それでおあいこ。私、あんたにまで死んでほしくないよ。だからキライ。大キライ。今まで会ったどんな人より」
セイは何も言えなかった。言葉出てこなかったからだ。どんな言葉もソレイユには届きそうもないと思ったからだ。
ソレイユは自分と同じだ。
自分が生きていることが罪としか思えないのだ。自分が死ねばよかったという責め苦に耐えているのだ。
セイが見ているのはソレイユの痛々しい笑顔ではない。セイが見ているのは鏡だ。鏡に映った自分自身の顔なのだ。
いや、自分はこんなにも強く笑うことはできない。死んだ魚のような目をしながら、無気力にただ黙っていることしかできない。
ソレイユはとても強い子だ。自分などよりよほど。
でも、だからこそこんな笑顔をさせてはいけないとも強く思った。
「え、セイ?」
セイはいつの間にか
ソレイユを抱きしめていた。
(な、なにやってんだオレ。相手は女の子だぞ)
自分でも無意識だったが、そうせずにはいられなかった。
二人の胸と胸が触れ合い、鼓動が互いの胸を打つ。セイはソレイユを、ソレイユはセイの確かな鼓動を感じる。
「セイ、泣いてる?」
「オレ……オレはソレイユのことキライになんかなれないよ」
「セイ、私は─┬」
「オレは死んだりしないよ! オレは弟さんや、友達のことは知らない。あったこともないし会うこともできない。でも二人が死んだのはソレイユのせいじゃないだろ!?」
「でもセイ、弟は私に命を─┬」
「だとしても! ソレイユが誰も好きになれずにキラってばかりで生きることを弟が望んだのか!? オレは違うと思う!」
抱きしめられるがままのソレイユの手がセイの背中にそっと触れる。手は小さく震えていた。
「……ありがとう。でも、やっぱり私、あんたに死んで欲しくないよ。あんたまで死んだら、私……」
「オレじゃ弟さんの代わりにはなれないと思うけど、オレは、オレはソレイユのこと……!」
セイは言葉を詰まらせた。その先を口にしていいのか迷った。
これまで考えないようにしてきた、ソレイユへの感情。生まれて初めて誰かに抱いた感情。最初はそれがなんなのか分からなかったが、今ではハッキリと分かる。
この先を言ってしまえば、二人の距離は間違いなく変わる。
遠のくのか。
近づくのか。
どちらにしろ変わる。変わってしまう。決して元の、今のままの距離に戻ることはない。
もうこんな風に抱きしめることはできなくなるかもしれない。手をつなぐことも、もしかしたら口もきいてもらえなくなるかもしれない。
それでも──
「だって、好きだから。オレはソレイユが大好きだから……! だから、嫌うなんて……無理だよ……!」
それでも言う他なかった。
たとえこの想いが届かなくてもいい。応えてくれなくてもいい。二人の関係がここで終わってしまってもいい。
それでもソレイユに、誰かを好きになること、誰かに好きになってもらうことを諦めて欲しくない。
笑いながら自分を嫌って欲しいなんてあっていいわけがない。
「ソレイユにはそれだけの価値があるから……呪いだとか、そんなの関係ないよ。キミは誰かに愛されるだけの価値があるんだ……!」
セイは抱きしめていたソレイユからそっと離れた。言ってしまった以上、ここから二人の距離は変わる。それを決めるのはソレイユだ。
「それに……呪われてるならオレも同じだよ。だからオレは死なない」
セイは笑った。
「セイ……」
「ソレイユが誰かを好きになれるように、オレが守るから。ソレイユが好きになった人も、ソレイユもオレが守るから」
ソレイユはセイに抱きついた。強く、しがみつくように。
「私も……好き……だよ。ホントは、大好き……!」
真っ暗な海の中、二人は白く淡い光に包まれながらいつまでも抱き合った。




