第四部 執行官セレス ―後編―
世界は、長い間眠っていた。
誰もが忘れた。
誰もが諦めた。
しかし――
失われたものは、完全には消えない。
誰かが覚えている限り。
誰かが願い続ける限り。
それは、いつか再び姿を現す。
***
礼拝堂の壁画が崩れ落ちた。
長い年月、誰にも見ることを許されなかった四人目の姿。
そこに刻まれた名前。
アーク。
その瞬間。
聖遺物から放たれる光が、礼拝堂全体を包み込んだ。
「……嘘。」
リシェルが呟く。
「そんなはず……。」
彼女の顔から、いつもの冷静さが消えていた。
ヴァルトも珍しく口を閉ざしている。
「おい。」
彼が低い声で言う。
「説明してくれ。」
「こいつが何者なのか。」
誰も答えない。
答えたのは、執行官セレスだった。
「始まりの四人。」
彼女はアークを見つめる。
「この世界を一度、救った英雄たち。」
「そして――」
一瞬、声が震えた。
「この世界を一度、滅ぼしかけた存在。」
アークの表情が変わる。
「俺が?」
「違います。」
セレスは首を振った。
「正確には、あなたの前世……と呼ぶべきでしょう。」
---
その言葉と同時に、セレスの《審判輪》が回転する。
黒い文字列が高速で回り、空間を歪ませる。
「記録照合。」
「対象、アーク。」
「旧世界記録……」
文字が一瞬消える。
そして。
『該当なし。』
セレスの表情が険しくなる。
「やはり……。」
「記録から消されている。」
ヴァルトが眉をひそめる。
「誰に?」
セレスは答えなかった。
代わりに、手を掲げる。
「あなたを排除します。」
「なぜだ。」
アークが問う。
「俺が危険だからか?」
セレスは静かに首を振った。
「違います。」
「あなたが、可能性だからです。」
「可能性?」
「人間が、管理されなくても生きられるという可能性。」
黒い光が集まる。
「それは、この世界にとって最も危険な思想です。」
---
次の瞬間。
巨大な黒い刃が、アークへ向かって放たれた。
「アーク!」
リシェルが叫ぶ。
しかし。
間に入ったのはヴァルトだった。
黒い大剣で刃を受け止める。
衝撃で床が砕ける。
「ぐっ……!」
ヴァルトの足が数メートル後退する。
「おいおい……。」
彼は苦笑した。
「これ、本当に一人で都市軍相手にできる奴かよ。」
セレスは淡々と答える。
「あなたも十分、異常です。」
「教育レヴェル測定不能。」
「自由意思保持率……百パーセント。」
「あなたもまた、世界に適合していない。」
ヴァルトは笑う。
「褒め言葉として受け取っとくぜ。」
---
その時。
アークの持つ《ケアル》が震えた。
声が聞こえる。
――力を求めるな。
――怒りを求めるな。
――救いたいと願え。
アークは目を閉じる。
今まで考えたことがなかった。
なぜ自分が、この杖を使えるのか。
なぜ自分が選ばれたのか。
だが、今なら分かる気がした。
この力は、敵を倒すためのものではない。
壊れたものを、もう一度繋ぐためのものだ。
アークは杖を地面へ突き立てた。
「《ケアル》。」
白い光が広がる。
しかし、セレスは動じない。
「無駄です。」
「私の力は、破壊ではありません。」
「管理です。」
黒い光が白い光を押し返す。
だが。
アークは気付いた。
セレスの攻撃が、わずかに揺れている。
迷いがある。
「セレス。」
彼女の動きが止まる。
「お前、本当に幸せなのか?」
沈黙。
「何?」
「この世界を守ってるって言った。」
「でも、お前自身は?」
「自分で選んだ人生なのか?」
セレスの瞳が揺れる。
ほんの一瞬。
その瞬間を、リシェルは見逃さなかった。
「アーク!」
「今!」
アークは杖を掲げる。
白い光が、セレスではなく――
彼女の《審判輪》へ向かう。
パキン。
小さな音。
黒い輪に亀裂が走った。
「そんな……。」
セレスが初めて動揺する。
「管理機構が……。」
「壊れる?」
アークは静かに言う。
「違う。」
「戻るんだ。」
光が広がる。
黒い輪から流れ込んでいた無数の命令。
何百年もの間、彼女を縛っていた声。
それが消えていく。
セレスは膝をついた。
「私は……。」
「何を守っていたの……?」
その問いに、誰も答えられなかった。
---
戦いが終わった後。
礼拝堂には静かな時間が戻っていた。
セレスは拘束されていた。
しかし、敵意はもうなかった。
「アーク。」
リシェルが呼ぶ。
「何だ?」
「あなたは、自分が何者なのか知りたい?」
アークは少し考える。
「……知りたい。」
「でも、それ以上に。」
窓の外を見る。
終焉塔ジェノヴァ。
その巨大な影。
「この世界が、なぜこんな姿になったのか知りたい。」
リシェルは静かに頷いた。
「なら、行かなきゃいけない場所がある。」
「どこだ?」
彼女は答える。
「始まりの四人が最後に向かった場所。」
「失われた聖都――エルディア。」
---
その夜。
終焉塔の最深部。
一人の男が目を覚ました。
長い銀髪。
黒い外套。
そして、手には砕けた仮面。
「……ついに始まったか。」
男は笑う。
「四人目が戻った。」
「ならば、俺も動くとしよう。」
男の背後には、巨大な玉座。
そこに刻まれた文字。
第一の英雄。
そして。
男は静かに呟いた。
「待っていたぞ、アーク。」
「今度こそ――世界の答えを見せてやる。」
終焉塔ジェノヴァの歯車が回る。
物語は、次の場所へ向かい始める。




