表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
7/19

第四部 執行官セレス ―前編―


 救済とは何か。


 傷を癒やすことか。


 苦しみを取り除くことか。


 それとも――


 人間から、苦しむ権利そのものを奪うことか。


 長い歴史の中で、人々は何度もその答えを求めた。


 そしてカオティック・ニルヴァーナの支配者たちは、一つの答えを選んだ。


 自由な人間より、管理された人間の方が幸福である。


 その思想を具現化した存在。


 それが――終焉塔直属執行官だった。


---


 礼拝堂は、黒い魔法陣に包まれていた。


 床に刻まれた紋様は、まるで生き物のように脈動している。


 黒い光が壁を這い、空気そのものが重くなる。


 普通の人間なら立っているだけで意識を失うほどの圧力。


 しかし。


 アークは立っていた。


 手にした聖遺物ケアルが、淡い光を放っている。


「不思議ですね。」


 執行官セレスは静かに言った。


「あなたは恐怖している。」


「ですが、逃げない。」


「なぜです?」


 アークは答える。


「知らないからだ。」


「……?」


「この街が何を正しいと言っているのか。」


「お前たちが何を守ろうとしているのか。」


「まだ俺には分からない。」


 アークは杖を握り直した。


「でも、一つだけ分かる。」


「人から考えることを奪う世界は、間違っている。」


 セレスはしばらく黙った。


 そして。


 小さく笑った。


「やはり。」


「あなたは危険です。」


---


 次の瞬間。


 セレスの背後に巨大な輪が出現した。


 金属でもなく、魔法でもない。


 黒い文字列が無数に回転する、異質な装置。


 リシェルが顔色を変える。


「《審判輪》……。」


「知っているのか?」


 アークが聞く。


 リシェルは唇を噛む。


「あれは……人間の罪を測るためのもの。」


「罪?」


「違う。」


 彼女は首を振った。


「正確には――」


「管理者が罪だと判断したものを、罪にする道具。」


 セレスは穏やかな表情のまま手を掲げた。


「測定開始。」


 輪が回転する。


 無数の文字がアークの周囲を走る。


『対象解析。』


『思想傾向確認。』


『命令遵守率……低。』


『疑問保持率……極端に高い。』


『教育レヴェル……』


 一瞬。


 文字が止まった。


『測定不能。』


 セレスの目がわずかに細くなる。


「やはり。」


「あなたには数値が存在しない。」


 アークは眉をひそめる。


「それが何だ。」


「恐ろしいことです。」


 セレスは淡々と答えた。


「この世界では、数値を持たない者は存在できません。」


「人間は分類されることで、初めて保護される。」


「能力。」


「思想。」


「感情。」


「すべてが管理されるからこそ、争いは消える。」


 アークは言葉を失う。


 彼女は狂っている。


 だが、単純な悪ではない。


 彼女は本当に信じている。


 この世界を救っているのだと。


「あなたは理解していない。」


 セレスは続ける。


「自由とは、苦しむ権利です。」


「選択とは、間違える権利です。」


「人間は愚かだから、管理されなければ滅びます。」


 アークは静かに答えた。


「だったら。」


「人間じゃなくなる。」


 その瞬間。


 セレスの表情から、初めて感情が消えた。


「……残念です。」


「あなたには教育が必要ですね。」


---


 黒い光が爆発する。


 ヴァルトが大剣で受け止める。


 ギィィィィン!


 衝撃波が礼拝堂を揺らした。


「おいおい。」


 ヴァルトが苦笑する。


「女相手に三人がかりってのは趣味じゃねぇんだが。」


「余裕を言っている場合じゃない。」


 リシェルが杖を構える。


「彼女は一人で都市軍団と戦える。」


「へぇ。」


 ヴァルトは笑った。


「そりゃ面白ぇ。」


 セレスは二人を見る。


「あなたたちも理解できない。」


「なぜ、苦しむ未来を選ぶのですか?」


「なぜ、幸福を拒むのですか?」


 リシェルが答える。


「それは幸福じゃない。」


「檻の中で眠っているだけ。」


 セレスは悲しそうに目を伏せた。


「……あなたも、失敗した人間なのですね。」


 その言葉に。


 リシェルの表情が変わった。


 一瞬だけ。


 ほんの一瞬。


 怒りと悲しみが混ざった顔。


 アークは見逃さなかった。


「リシェル。」


 彼女は答えない。


 だが、その反応だけで分かった。


 彼女は。


 この街の過去を知っている。


 そして、教育レヴェルという制度と、深い関係がある。


---


 戦場となった礼拝堂。


 黒い力と白い光がぶつかり合う。


 支配の力。


 救済の力。


 二つの思想が激突する中。


 アークの持つ《ケアル》が、突然強く輝いた。


 そして。


 杖から、誰かの声が聞こえた。


――やっと見つけた。


 アークの動きが止まる。


 知らない声。


 しかし。


 なぜか懐かしい。


――最後の一人。


――あなたが、四人目だ。


 その瞬間。


 礼拝堂の奥にあった壁画が、大きな音を立てて崩れた。


 削り取られていた四人目の顔。


 そこに、新たな文字が浮かび上がる。


 アーク。


 そしてセレスは初めて、明確な恐怖を見せた。


「……ありえない。」


「始まりの四人は……」


「もう存在しないはずなのに。」


 終焉塔ジェノヴァの歯車が、さらに速く回り始める。


 世界は、失われた伝説を再び呼び覚ましていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ