第三部 聖遺物《ケアル》 ―後編―
白い光は、夜明けのように地下室を包み込んだ。
誰も目を開けていられない。
しかし、不思議と熱さはなかった。
優しい。
まるで誰かが「大丈夫」と語りかけているような、穏やかな光だった。
アークはゆっくりと目を開く。
手の中の杖は、先ほどまでとはまるで別物になっていた。
飴色だった木肌は純白へと変わり、先端の青い宝石は心臓のように規則正しく脈動している。
「これが……ケアル。」
彼がそう呟いた瞬間、杖から無数の光の粒子が舞い上がった。
その光は礼拝堂の地下を漂い、崩れた壁へと降り注ぐ。
すると、砕けた石がひとりでに動き始めた。
まるで時間を巻き戻すように、壁がゆっくりと元の姿へ戻っていく。
「壁が……。」
リシェルが息を呑む。
さらに、昨夜負傷した少年の腕に光が触れた。
折れていた骨が音もなく繋がり、裂けた皮膚は跡形もなく塞がる。
少年は驚いた顔で自分の腕を見つめた。
「痛く……ない。」
礼拝堂は静まり返った。
エイドル老人は震える手で口元を押さえる。
「奇跡じゃ……。」
ヴァルトだけは腕を組み、苦笑していた。
「奇跡ってより、これが本来の姿なんだろ。」
老人は頷く。
「そうじゃ。」
「世界は、こういう力を失ったのじゃ。」
アークは杖を見つめた。
誰かを傷付ける力ではない。
誰かを支配する力でもない。
ただ、壊れたものを元へ戻す力。
そんな力を、なぜ禁じたのだろう。
その疑問は、すぐに答えを与えられることになる。
ゴォォォォン――。
終焉塔の鐘が、これまでにない激しさで鳴り響いた。
空に浮かぶ巨大な眼が、礼拝堂を見下ろしている。
『危険因子を確認。』
『浄化反応を検出。』
『管理機構への重大な脅威。』
『排除優先度――最高位。』
その瞬間だった。
街中から一斉に金属音が鳴り響く。
カシャン。
カシャン。
カシャン。
リシェルの表情が凍りついた。
「……まさか。」
ヴァルトが舌打ちする。
「ちっ、最悪だ。」
「何が来る?」
アークの問いに、ヴァルトは礼拝堂の扉を見つめたまま答えた。
「兵士じゃねぇ。」
「もっと厄介な奴らだ。」
次の瞬間。
礼拝堂の扉が、音もなく開いた。
誰も触れていない。
風も吹いていない。
それなのに、重い扉だけがゆっくりと開いていく。
入口には、一人の女が立っていた。
漆黒のローブ。
銀色の長髪。
そして、その両目は金色に輝いている。
彼女は礼拝堂の中を見渡し、最後にアークの手にある《ケアル》へ視線を向けた。
「やっと見つけました。」
その声は穏やかだった。
敵意すら感じられない。
だが、礼拝堂にいた全員が息を呑んだ。
エイドル老人が震える声で呟く。
「執行官……。」
女はゆっくりと一礼する。
「終焉塔直属執行官。」
「私の名はセレス。」
「聖遺物を回収しに参りました。」
アークは一歩前へ出る。
「断る。」
セレスは少しだけ首を傾げた。
「理解できません。」
「それは世界の管理物です。」
「世界を救うために必要なら?」
アークが問い返す。
セレスは微笑んだ。
「世界は既に救われています。」
「混乱は管理され。」
「思想は統一され。」
「争いは最小限に抑えられている。」
彼女の笑顔には、一切の悪意がない。
だからこそ恐ろしかった。
本気で信じているのだ。
支配こそ救済だと。
アークは静かに《ケアル》を握り直す。
「それは救済じゃない。」
「生きているとは言えない。」
セレスの笑顔が初めて消えた。
「……そうですか。」
彼女は目を閉じ、小さく息を吐く。
「残念です。」
「あなたも、教育が必要なのですね。」
その言葉と同時に、礼拝堂の床一面へ巨大な魔法陣が浮かび上がった。
黒い光。
重苦しい空気。
ヴァルトは大剣を抜く。
「ようやく本番か。」
リシェルも杖を構える。
「アーク!」
「《ケアル》は絶対に手放さないで!」
アークは深く息を吸う。
世界を支配する力。
世界を癒やす力。
その二つが、今まさに激突しようとしていた。
礼拝堂の外では、終焉塔ジェノヴァの歯車がさらに速度を増して回り始める。
まるで、この戦いを歓迎するかのように。




