第二部 教育レヴェル ―後編―
礼拝堂の天井から差し込む月明かりが、砕け散った石片を白く照らしていた。
黒い大剣を肩に担いだ男――ヴァルトは、目の前に並ぶ十数人の兵士を見渡すと、大きくため息をついた。
「おい、お前ら。」
兵士たちに向かって、人差し指を立てる。
「礼拝堂ってのはな、静かにする場所だ。」
誰も答えない。
兵士たちは一斉に剣を構えた。
「命令を執行する。」
「異端者を処分せよ。」
「教育レヴェル維持のため、抵抗は許可しない。」
まるで機械のように、全員が同じ声で言う。
ヴァルトは鼻で笑った。
「……つまらねぇ。」
次の瞬間だった。
ズンッ――。
床が沈んだ。
兵士たちが気づいた時には、ヴァルトはもう目の前にいた。
一閃。
黒い大剣が空気を裂く。
兵士の剣が真っ二つに折れ、その衝撃だけで数人が壁へ吹き飛ばされた。
アークは息を呑む。
「速い……。」
剣技ではない。
暴風そのものだった。
「まだやるか?」
ヴァルトが問いかける。
返事の代わりに兵士たちは陣形を組んだ。
全員が左腕を前へ突き出す。
手首に埋め込まれた黒い輪が、鈍く赤く輝き始めた。
リシェルの顔色が変わる。
「まずい!」
「何だ?」
「あれは《教育印》……!」
兵士たちが一斉に唱える。
「教育執行。」
「精神矯正開始。」
赤い光が礼拝堂を包んだ。
アークの頭に激しい痛みが走る。
知らない声が聞こえる。
――従え。
――疑うな。
――考えるな。
――従う者だけが幸福である。
頭の中へ直接言葉が流れ込んでくる。
膝が折れそうになる。
「くっ……!」
その時。
誰かがアークの肩を強く叩いた。
「寝るな!」
ヴァルトだった。
「え……?」
「聞くな。」
ヴァルトは自分の耳へ親指を突っ込み、笑った。
「俺は十年前から聞いてねぇ。」
「そんなことが……」
「慣れだ。」
あまりにも適当な答えだった。
だが、不思議と頭痛が和らいでいく。
兵士たちが驚いていた。
「精神汚染が効かない……?」
「個体識別不能。」
「教育レヴェル測定不能。」
仮面の奥で、兵士たちが初めて動揺した。
その瞬間。
礼拝堂の奥にいた老人エイドルが叫ぶ。
「アーク!」
「この街では、『考える』ことそのものが罪なんじゃ!」
アークは目を見開く。
「……何?」
「教育レヴェルとは人格ではない!」
「服従度じゃ!」
礼拝堂が静まり返る。
兵士たちの動きが止まる。
エイドルは震えながら続けた。
「従えば高い!」
「疑えば低い!」
「だから、この街から学者も芸術家も、思想家も消えた!」
「皆、考えることをやめさせられたんじゃ!」
アークはようやく理解した。
教育ではない。
洗脳だ。
教育レヴェルとは、人間の価値ではない。
支配者へどれだけ従順かを示す数値だった。
その時だった。
礼拝堂の外から、再び鐘が鳴る。
ゴォォォォン――。
街中が静まり返る。
兵士たちが一斉に空を見上げた。
仮面越しにも分かるほど、その表情は恐怖に染まっている。
リシェルが呟く。
「まさか……もう?」
終焉塔ジェノヴァ。
その最上階。
回転していた歯車が、ゆっくりと停止した。
静寂。
そして。
カチリ。
たった一枚だけ。
今までとは逆方向へ歯車が動いた。
空の巨大な眼が、大きく見開かれる。
『教育レヴェル管理機構……異常。』
『未知の個体を確認。』
『識別番号……存在せず。』
その言葉と同時に、礼拝堂の全員がアークを見た。
空の眼も。
兵士たちも。
リシェルも。
ヴァルトも。
まるで世界そのものが、アークという存在を認識したかのようだった。
『排除対象を更新。』
『最優先対象。』
『識別名――アーク。』
礼拝堂に重苦しい沈黙が落ちる。
ヴァルトが苦笑した。
「おい、新入り。」
「ずいぶん派手に目ぇ付けられたな。」
アークは苦く笑い返すしかなかった。
「歓迎されてるとは思えない。」
「当たり前だ。」
ヴァルトは黒い大剣を担ぎ直し、崩れた壁の向こうにそびえる終焉塔を見据える。
「世界に嫌われる奴ほど、世界を変える力を持ってる。」
その一言に、エイドルが目を閉じる。
「……予言は、本当だったのか。」
アークが振り返る。
「予言?」
老人は静かに答えた。
「終焉塔には、古くから一つの予言が伝わっておる。」
ゆっくりと息を吸い込む。
「『名を持ちながら、世界に記録されぬ者が現れた時、始まりの四人は再び集う。』」
アークは無意識に拳を握り締めた。
世界は、自分を知っている。
なのに、自分は何も知らない。
礼拝堂の外では、再び歯車が回り始める。
ゴゴゴゴゴ……。
その音は、まるで終焉への秒読みのように、街全体へ響き続けていた。




