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第七・五部  英雄の休息 ―壊れた心と仲間の叱責―



 ヴァルトが帰ってきたのは、任務へ出発してから二週間後だった。


 魔獣討伐。


 辺境都市の防衛。


 古代遺跡の調査。


 過酷な任務を終え、ようやく戻った宿屋で、ヴァルトは大きく息を吐いた。


「……やっと帰ってきたか。」


 部屋にはアークがいた。


 いつも通り、本を読んでいる。


 しかし。


 ヴァルトには分かった。


 こいつは何かを隠している。


「アーク。」


「何だ?」


「お前、最近寝てないだろ。」


 アークは答えなかった。


---


 翌朝。


 ヴァルトは荷物の整理をしていた。


 そこで。


 異変に気付いた。


 彼が大切にしていた口腔ケア用品。


 旅の中でも欠かさず管理していたもの。


 それが、明らかに普通ではない状態になっていた。


 長期間放置されたような異臭。


 近付いただけで分かるほどの不快な臭い。


 本来なら清潔に保たれているはずの道具から、腐敗したような臭気が漂っている。


「……なんだ、これ。」


 ヴァルトの顔から表情が消える。


 確認すると、誰かが意図的に汚した形跡があった。


 そして。


 アーク以外に、この部屋へ自由に入れる者はいなかった。


---


「アーク。」


 低い声。


「これは何だ。」


 アークは振り返った。


 そして。


 全てを察した。


「……。」


「俺の道具に。」


 ヴァルトは怒りを抑えながら言う。


「お前、何をした。」


 沈黙。


 数秒後。


 アークは小さく答えた。


「……尿を入れた。」


 ヴァルトの拳が握られる。


「ふざけているのか?」


「……。」


「二週間だぞ。」


「俺が命懸けで任務に行っている間に。」


「仲間の大切にしている物へ、そんなことをしたのか。」


---


 そして。


 最悪だったのは。


 アークが、その行為を理屈で包もうとしたことだった。


「待て。」


 ヴァルトが睨む。


「まさか。」


 アークは口を開く。


「科学的には――」


「やめろ。」


「臨界pHの変化や、尿素分解に関わる微生物環境を考えれば――」


「やめろと言っている。」


 ヴァルトの声が響く。


「お前、本当に分かってないのか。」


 アークは黙る。


「科学が悪いんじゃない。」


「知識が悪いんじゃない。」


「でもな。」


「間違ったことをした後に、難しい言葉を並べて正しいことみたいにするな。」


---


 アークの表情が崩れた。


「……。」


「本当は分かってる。」


「俺がしたことが、くだらないことだって。」


 ヴァルトは黙って聞く。


「でも。」


 アークは俯いた。


「怒ってほしかった。」


「……何?」


「みんな俺を見る。」


「英雄として。」


「救世主として。」


「失敗しない存在として。」


 拳を握る。


「でも俺は違う。」


「怖いんだ。」


「また間違えるんじゃないかって。」


「また誰かを傷つけるんじゃないかって。」


---


 ヴァルトは長い沈黙の後、ため息をついた。


「馬鹿だな。」


「……。」


「本当に馬鹿だ。」


 アークは苦笑する。


「否定できない。」


「でも。」


 ヴァルトは続ける。


「壊れてるなら、壊れてるって言え。」


「一人で変な方向に逃げるな。」


---


 その日。


 アークは初めて、言い訳をしなかった。


「……すまなかった。」


 ヴァルトは腕を組む。


「許すとは言ってない。」


「だが。」


 少しだけ表情を緩める。


「戻ってこい。」


「お前はまだ、英雄である前に仲間だ。」


 アークは静かに頷いた。


---


 後日。


 事情を聞いたリシェルは頭を抱えた。


「アーク。」


「はい。」


「あなたは世界を救う前に、自分自身の扱い方を学ぶべきです。」


「……善処する。」


「その返事が一番信用できません。」


 しかし。


 三人の間には、以前にはなかった温かさがあった。


 英雄もまた。


 間違える一人の人間なのだから。


――完

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