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昨夜の出来事は、夢だったんじゃないだろうか。

目覚めてすぐの朝、私は朝豪華なベッドの中でそんなことを考えていた。


でもいま、唇に残る微かな熱と、鏡に映る「氷の女公爵」の冷徹な顔が、それが現実だったと教えてくれる。


(……しょうくんに、会えた。本当に、しょうくんだった……!)


心の中でガッツポーズを決める。新婚旅行中の事故で死んだ時は絶望したけれど、まさか宿敵の伯爵として転生しているなんて。

けれど、喜びと同時に不安も押し寄せる。私たちは現在、領地争いの真っ最中。昨日の夜会でも、周囲の目は「いつ殺し合いが始まるか」と期待に満ちていた。


「エカテリーナ様、髪をおときいたしましょうか?」


侍女の声に、私は「ええ、自分でとくのが好きだから」と努めて冷静に返した。

嘘だ。本当は、誰かに後ろに立たれるのが怖くて、自分で鏡を見て「私、今日も公爵っぽい! 大丈夫!」と自己暗示をかけたいだけなのだ。


その時、寝室の重厚な扉が叩かれた。


「どうぞ♪」


……しまった。つい前世のノリで、語尾に音符がつくような軽い返事をしてしまった。

慌てて口元を隠し、冷徹な表情を作り直す。

現れたのは、部屋の空気を一瞬で凍らせるような、強固な黒い鎧に身を包んだ兵士だった。


(だ、誰!? 怖い! 刺客!?)


内心で悲鳴を上げる私をよそに、メイドたちは何かを察したように、無言でスッと下がっていく。ちょっと待って、私を見捨てないで!


ガチャリ、ガチャリと金属音を響かせ、兵士が近づいてくる。

恐怖で心臓が口から飛び出しそうになったその時。

彼が手元の魔道具らしき宝珠に触れると、漆黒だった鎧が、眩いばかりの銀色へと変化した。


彼はフルフェイスの兜を脱ぎ、膝をついた。

現れたのは、短髪で精悍な顔立ちをした、黒髪のイケメン。


「……え、だ、誰!?」


混乱して、また素が出てしまった。

すると彼は、感情の読めない瞳で私を見上げ、恭しく一通の封筒を差し出した。


「エカテリーナ様、レナード卿の使いより、手紙を預かって参りました。検査はいつも通り、すべて済ませております」


レナード卿。つまり、しょうくんからの手紙!

喜びたいけれど、この目の前のイケメンが誰なのか分からない。


「あ、ありがとう……。き、昨日の夜会が祟って、あなたのことが少し……その、思い出せなくて……誰でしたかしら?」


ああ、もう! 緊張しすぎてアホみたいな聞き方になっちゃった!

絶対に「記憶喪失か?」とか「偽物か?」とか怪しまれる……!

私が冷や汗を流していると、彼は表情一つ変えず、朗々と答え始めた。


「私はエカテリーナ様の緘黙官サイレンス・ベアラー、タキトゥスです。私共の家系は、祖父の代より三代にわたり、アスガルド公爵家にお仕えさせていただいております。そして長きにわたるご縁に深く感謝し、今後とも変わらぬ忠義を尽くす所存でございます」


(お、重い……。重すぎる!)


タキトゥスさん、忠誠心が深いっていうか、重力が違う。

代々仕えてるって、一般人の私には「申し訳ない」という感情しか湧いてこない。こんな素晴らしい人を、私のわがまま(中身は一般人)に付き合わせていいのだろうか。


「……緘黙官って、何だったかしら?」


「私自身が拝見したもの、すべてにおいて、決してエカテリーナ様以外の者に口外しない。という沈黙の誓いを立てた者です。手紙の内容を知っても、それは私の心の奥深くへと収め、墓場まで持っていくものとし、深く封印致す者です」


(なるほど、シュレッダー兼金庫みたいな人か!)


「そ、そうなの。これからもよろしくね、タキトゥス」


「はっ。慈愛の御言葉、感謝致します」


……これは疲れる。この世界の人たち、みんな全力投球すぎる。

私は気を取り直して、レナードからの手紙を読もうと封を切った。

その時、なぜかタキトゥスが動揺した様子で一歩前に出てくる。


「エカテリーナ様、その……下がる許可を……」


「え!? ああ、別にいいわ。一緒に見ましょう」


「はっ!」


一人暮らしの時は、ペットの猫に「またスマホ見てるの?」みたいな顔をされるくらいしか緊張感がなかったのに。この至近距離での監視……いえ、護衛はしんどい。


私は意を決して、手紙を広げた。


『貴殿が我が領地から盗んだ盗品(愛)を返せ。さもなくば実力行使♡に出る。互いの利益の為、そして国の平穏の為にも、会談を申し出る。会談場所は……』


……しょうくん。

「盗んだ愛を返せ」って、何よその古臭いフレーズ。しかも文末に「♡」って。でも、検閲を考えて送ってくれたのね。精一杯考えた姿を想像するだけで。

可愛い。可愛すぎる。さすが私の夫。異世界でもデレを忘れない。


「……っ!? エカテリーナ様、お避けください!」


いきなり、タキトゥスの大きな手が手紙を覆い隠した。


「タキトゥス、いきなりどうしたっていうの!?」


「エカテリーナ様、これをご覧ください! この(愛)という文字! これは文面通り、エカテリーナ様の慈愛を封じ込め、精神を破壊しようとする新たな呪いの呪文です!」


「……えっ?」


「そしてこの、忌々しい紋章『♡』! これは……『神に心臓を捧げよ』という、まさにエカテリーナ様への死刑宣告! アスガルド公爵家への宣戦布告に他なりません!」


タキトゥスの顔が、絶望に染まる。


「申し訳ありません! 私が不甲斐ないばかりに、このような呪いを通過させてしまうなど……。公爵家への不忠、この身を持って、お詫び申し上げます……!」


「ちょちょちょちょちょ!!?? 待って! 抜かないで、剣を抜かないで!! タキトゥス!」


自害しようとするタキトゥスの腕を、私は必死で掴んだ。

何なの!? この世界、ハートマークは死の呪いなの!?


「冷静になるのよ、タキトゥス! 落ち着きなさい! そんな強力な呪文があれば、とっくに向こうは国を掌握しているわ!」


「……た、確かに……仰る通りです。エカテリーナ様の知略、恐れ入ります」


はぁ、はぁ、はぁ。

死ぬかと思った。レナード(夫)の愛のメッセージで、忠臣が死ぬところだったわ。


「向こうが、返せっていうなら、堂々と立ち向かうまでよ」


「しかし、危険過ぎます! あからさまな罠です。直ちに私兵部隊を動員し、会談場所を包囲させましょう。レナード伯爵の罠を逆手に取り……」


「それはダメよ!」


食い気味に否定する。なんて物騒なことを提案するのよ。


「向こうは、こちらが部隊を動かして、無駄な軍事費を出させる作戦よ。……ええ、そうに違いないわ。だから、護衛は最小限で行くわ。その……もちろん、貴方もね」


「私もですか? はっ! 地獄の果てまでお供致します!」


……もう、心臓が痛い。

しょうくんに会えるのは嬉しいけれど、この「勘違いのプロ」みたいなタキトゥスを連れて行って、無事にデート(会談)ができるのかしら。


((愛)と(♡)で国が内戦に突入しかけちゃったじゃないの……。これは早急に会談が必要よね……)


私は、銀色に輝くタキトゥスの背中を見ながら、遠い目をして冷静さをなんとか取り戻すしかなかった。

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