6封目 前進
「急に戻ったぁ?」
すっとんきょうな声を上げられ、春樹は思わず苦笑した。
小さくうなずく。多少申し訳なさをにじませながら。
「うん……僕にもよくわからないんだけど、気づいたらセーガ出してて」
多少意識がぼんやりしていたせいで、そのときのことは詳しく思い出せない。
ただ必死だったのだ。大樹が部屋を出て行くのを見て、自分も追わなければと強く思った。
けれどすぐに起き上がることが出来なかったとき、ふいに黒い影が舞い降りたのだ。
それがセーガだと理解するのに、時間は全く必要なかった――。
そうポツポツ説明する自分に、葉が軽くため息をついた。
呆れたようにこちらを見下ろしてくる。
「ったく、人騒がせな奴だな」
「ご、ごめんなさい……」
自分でもそう思う。
何せ、「“力”が使えなくなった」と相談してからまだ数時間しか経っていないのだ。
葉にしてみれば釈然としないだろう。
「あの、父さんたちにはこのこと……」
「ああ、それなら大丈夫だ。親父たちにはまだ何も言ってねえから」
「そっか……良かった」
ようやく心からホッとする。両親には余計な心配をかけたくない。
「にしてもおまえ、貴重な体験したな」
「え?」
「渡威に憑かれる奴なんてそうそういないぜ?」
「……やめてよ」
からかうように笑った葉に、春樹は本気で彼を睨んだ。
あれは――正直、思い出したくもない。
とても気持ちの良いものではなかった。
あの自分のもの以外に支配されている、自分が自分ではないような感覚。
あれはしばらく忘れられないだろう。
そのたびにどこかゾッとしたものを覚えるのだ。
まるで心の闇を覗かれ、まざまざと見せつけられたかのように。
もし、あのまま渡威に呑まれていたら……。
そう思うと、春樹は急に居た堪れなくなる。
それで逃げようなどとは、思わないけれど。
「……悪かったな」
敏感に春樹の気持ちを読み取ったのか、葉はすんなりと謝った。
春樹はホッとして笑みをつくる。
いつもはやたら傍若無人なくせに、どうしていざというときはこんなに思いやれるのだろうかと思うと、奇妙なおかしさが込み上げた。
「ま、とりあえず一件落着で良かったじゃねーか」
「うん。……あ、それとね」
「あん?」
「僕、セーガのこと名前で呼ばなくても出せるようになったんだけど……これってどう思う?」
「……は?」
葉がわずかに目を丸くした。こんな彼は少々珍しい。
これこそ貴重な体験かもしれないな、と春樹は心の隅で思ったりした。
「だから……念じるだけで召喚出来るようになったの」
渡威が自分から出ていった直後、自分はすぐに声が出せる状態ではなかった。
それにも関わらずセーガが召喚出来てしまったのだ。
「……って、名前で呼ぶのは召喚の絶対条件じゃなかったのか?」
「そのはずだったんだけど……」
上手く説明出来なくて言葉を濁らせる。
出来てしまったものは出来てしまったのだ。
それは変わりようのない事実である。
「精神的な問題で出せなくなったんだから、逆に強く思えば出せるのかなぁって。どう思う?」
現に成功はしているのだから、多少無茶な理論でも納得するしかない。
それは葉も同じ気持ちのようだった。彼は軽く肩をすくめてみせる。
「あ、もちろん名前を呼んだ方がいくらか速いんだよ? その方が慣れてるからかもしれないけど……」
「でも、確かに声を出さなくていいなら便利な場面も多いだろ?」
「え? まあ……うん」
「ほんと、おまえは大した奴だよ」
そう言って、葉がニヤリと口の端を上げる。
それが何だか嬉しくて、春樹もしっかりと笑みを返した。
◇ ◆ ◇
家に戻ってくると、何だかガタガタと騒がしかった。
怪訝に思って首を傾げる。
「ただいま」
「あ、春兄」
台所からひょっこり顔を出したのは大樹だった。
この騒がしい音の原因もどうも彼らしい。
「今飲み物入れてるから! 部屋で待ってて」
「……わかった」
不安はあったが素直にうなずく。
飲み物を用意するくらいなら大樹でも大丈夫だろう。そう願いたい。
二階の部屋に入ると、すでにもっちーが中で待っていた。
だが、なぜか妙に難しい顔をしてこちらを見ている。
とはいっても、外見はぬいぐるみでしかないので威厳らしきものは感じられないが。
「……どうしたの、もっちー? 眉間にシワ寄ってるけど……」
「……春樹サン、ちょいそこに座り」
「え……うん」
よくわからないが、春樹は言われた通りに腰を下ろした。
何となく正座までしてしまう。
ちなみにもっちーは椅子の上にいるので、そう目線の違いは目立たなかった。
不思議に思っている自分に、もっちーが静かに口を開いてくる。真剣みを帯びた口調で。
「一つ、質問してもええですか?」
「構わないけど……何?」
「……大樹サンのこと、どう思っとる?」
「……え?」
意外な質問に、春樹は数度目を瞬かせた。じっともっちーを見つめる。
「春樹サン、渡威に憑かれていた間のことも覚えてるんやろ?」
「……まあ、ね。意識はぼんやりあったから」
「ならわかっとるはずや。春樹サンが何をして、何を言ったのかも」
厳しい口調で言われ、春樹はわずかに目を細めた。
そのまましばらく黙り込む。
渡威に憑かれていたときの出来事。
もちろん覚えている。
しかし、もっちーはそれを責めようとしているのだろうか?
「……わかってるよ。でもあれは……」
「渡威かて何も心にないことを言わせるのは難しいもんや」
ピシャリと遮られ、口をつぐむ。
もっちーはしっかりとこちらを見ていた。目をそらそうともしない。
「大樹サンも気にしとったで。大丈夫や言うたら安心してましたけど」
「…………」
「なあ? 春樹サンは大樹サンのこと……」
「――うらやましい、よ」
ポツリ、と呟く。
押し黙ったもっちーに、春樹は困ったような苦笑を向けた。
「いつも元気で、明るくて。自分の気持ちも素直に表現出来て……本当に楽しそうで。いろんな人とすぐ打ち解けたりすることも出来るしさ。……あいつは、僕にないものをたくさん持ってるから……本当は僕なんかよりずっと強い奴だから。……だから、時々すごくうらやましく思うよ」
これは紛れもない本心だ。
心のどこかではずっとそう思っていた。強く、ずっと。
黙って聞いていたもっちーが、ふいに肩の力を抜いた。
ポリポリと頭を掻き始める。
「……ナルホド、なぁ。確かにそういった感情は憎しみと紙一重やね。納得しましたわ」
「……本当にもっちーは大樹のこと、心配してるよね」
「何言うてまんねん」
苦笑した自分に、もっちーが呆れた眼差しを向けてきた。
春樹はきょとんとしてその眼差しを受け止める。
何か違うことを言っただろうか。
「ワイは春樹サンの心配もしてるんやで?」
「え?」
「でも今の話聞いて安心しましたわ。春樹サンも大丈夫そうやさかい」
「……うん、ありがと」
驚きつつも微笑む。と。
ガタン
「……?」
ふいに部屋の外で物音がし、春樹ともっちーは顔を見合わせた。
腰を浮かし、そっとドアを開ける。
「大樹……?」
そこに人影はない。
だが、床には飲み物の入ったコップが二つ並んでいた。
◇ ◆ ◇
吹きつける風が冷たい。
ドアを開けた春樹は、その冷たさに思わず首をすぼめた。
それでもベランダに出、手すり越しに外を見ている小さな背中を見つける。
そっと近づくと、その背が微かに強張ったのがわかった。
「……こんなところにいたのか」
「……春兄」
「大樹……聞いてたのか?」
「…………」
大樹は答えなかった。顔を外に戻してしまう。
それは、肯定を意味するのと同じであった。
「……悪かったと思ってるよ。僕がくだらないことを考えてたせいでおまえにまで迷惑かけちゃって。……とりあえず中、入りなよ。このままじゃ風邪ひく……」
「~~春兄はっ」
遮った彼の声は、いつにも増して荒かった。
振り向いた彼が怒りに似た、けれどどこか複雑そうな表情でまくしたててくる。
「春兄は何でそーゆうことばっか言うんだよ!? 『自分なんか』とか『自分のせいで』とか……っ」
「え……?」
「春兄は確かに細かいとこまでうるさいし、やけに所帯じみてるとこもあるけど」
「――悪かったな」
「でもっ、春兄はいろんなこと知ってる。頭もすげーいいし、家事とかだって出来るし……っ。今日の封印だってオレじゃ出来なかった。春兄だから出来たんだ!」
声を荒げた彼はきつく拳を握った。顔を歪める。
「オレは春兄のいいとこ一杯知ってる! 春兄だってオレが持ってないモンたくさん持ってるだろ!? そーやって自分ばっか責めんのやめろよ……!
――そーゆう春兄見てると、すっげーイライラするっ!!」
勢いに任せてまくしたてた彼は、少々息が切れたかのように黙り込んだ。
そんな彼に、なぜか苦笑がこみ上げてきて仕方ない。
「――……イライラするって……そんな泣きそうな表情して言うセリフじゃないだろ」
「泣いてねえっ!」
「――うん。でも……わかった、から」
自然に出てきた言葉は、どこか的外れな気もしたけど。
大樹にはしっかりと届いたらしく、彼はようやく笑顔を見せた。
その変化の速さについ笑ってしまう。
春樹は大樹の隣に並んだ。
ぼんやりと外を眺め、ポツリと呟く。
「……僕って結構欲張りだったんだよね、きっと」
「?」
「あれもこれも出来るようになりたい、なんてさ」
一度に完璧なものを求めても、それが叶うはずはないのに。
首を傾げた大樹はしばらくそのままだった。
あまり理解出来ていないのだろう。
春樹もそれほど期待はしていなかったので、特に気にせず話を続ける。
「とりあえず、そんなに急ぐ必要はないんだなってこと」
「あんまり急ぐと、チェーンがぶち切れちゃうし?」
「よくわかんないけどそーゆうこと」
奇妙な例えに小さく笑う。
きっと前に葉が自転車の話を持ち出したからだろう。
「んじゃ、春兄のチェーンが切れたらオレが直してやるよ」
「……何か粉々にされちゃいそうで怖いけど」
「あっ、何だよそれ!」
「冗談だよ、冗談」
怖い顔をされ、あっさり返す。
しかし機嫌を損ねてしまったのか、大樹は膨れっ面でこちらを見てきた。面白い奴だ。
「ごめんって。そんな顔しなくても……」
「――チェーンが直せなくても、無理に押してやるから」
「……え?」
「だから覚悟しとけよなっ!」
ビシッと指を突きつけられ、春樹は思わず呆けてしまった。
そんな自分を見て満足したのか、大樹がにっと笑う。
呆けていた春樹にも次第に笑みが込み上げてきた。
――全く、この弟には敵わない。
「……頼りにしてるよ」




