エピローグ ブラックスマイルをお一つどうぞ
「グッモーニン」
ふいに声をかけられ、本を読んでいた春樹は顔を上げた。
笑顔の隼人がこちらを覗き込んでいる。
「あ……おはよう、隼人くん」
「朝から読書? ナイスだけどずい分余裕だね」
「余裕……?」
「だって今日は数学のクイズだろ?」
よっこいしょ、と隼人が机に鞄を置く。
どうでもいいがそこは蛍の席だ。なぜ物知り顔で使っているのだろう。
「クイズ……ああ、小テストのことね。それなら昨日家で勉強したから」
「Oh,てっきり昨日のノリで忘れてるかと思ったのに」
「……何を期待してたの、隼人くん」
確かにそう思われても不思議はないが、だからといってそのガッカリした表情はないだろう。
呆れて呟いた自分に、隼人は笑顔でその場を誤魔化した。
何だか釈然としないが仕方ない。
春樹としても話を蒸し返す気にはならなかった。
「あ、そうそう。オレ、ちょっと質問したい問題があったんだよね」
「え? どれ?」
「この問一の……」
「――咲夜、俺の机を占領するな」
ふいに不機嫌な声が割り込んだと思ったら、目の前には蛍の姿。
彼は鞄を持ったままどうすることも出来ないでいる。
そりゃそうだろう。隼人が鞄やら教科書やらを存分に広げているのだから。
「グッモーニン、蛍クン」
「……人の話を聞け」
「おはよう、杉里くん」
「ああ……はよう」
「ひど!? 蛍クン差別!? オレには挨拶しないで!」
「……どうしたらそんな考え方が出来るんだ」
蛍の呟きは心底呆れていた。
さすがにこれ以上の悪ノリはまずいと思ったのか、隼人が素早く机の上を片づける。
にっこりと素知らぬ顔で「どうぞ」なんて言っているのは少々憎らしい。
いつものことなので気にしていたらキリがないが。
それは蛍も心得ているらしく、彼は無言で席に鞄を下ろした。
小さくため息をつく。
「……そういや日向、調子は戻ったのか?」
「あ……うん、大分すっきりしたから」
「残念。慌ただしい春樹クンって見てて楽しかったのに」
「……嬉しくないよ、隼人くん」
肩をすくめる隼人を軽く睨んでおく。何て不謹慎な奴だ。
「でも、弟に対する日向って結構アレと近いものがあるよな」
「……はい?」
「あ、それは言えてるね。怒鳴ったりする春樹クンって学校じゃあまり見ないし」
「えぇと……」
思いがけない言葉に戸惑う。
身内と他人では確かに態度は違うが、普通そういうものだろう。
むしろ変わらない大樹のような人の方が珍しい。
「学校で妙に澄ました日向より、弟に怒鳴ったり笑ったりする日向の方がおまえらしいんじゃないか? 余計なお世話だろうけど」
「そんなことないけど……そんなに澄ましてるかな、僕」
「そうそう。怒るときははっきり怒った方がいいよ。まあ、春樹クンの怒った笑顔はある意味絶大だけどね」
「へえ……?」
「ああっ、それそれ! 春樹クンの場合そのスマイルがもうホラーなんだってば!」
「へええ~~~~?」
「ソーリー! オレが悪かったよ!」
隼人の声が悲鳴に変わる。
その様子がおかしくてつい笑ってしまったが、よく考えると結構失礼ではないだろうか。人の笑顔が怖いだなんて。
「……何ていうか……パワーアップしたな、日向」
様子を眺めていた蛍がボーゼンと呟いた。
彼の感情の半分は呆れが占めていることだろう。
そんな彼に、春樹は小さく笑ってみせた。
「……色々あったけど、その分だけ余裕も出来たからね」
「?」
「ほら隼人くん、いつまでもふざけてたら小テストに間に合わないよ」
「Oh,そうだった!」
素早い動作で隼人が教科書を取り出す。
その示された問題に、春樹はゆっくりと説明を始めた。
蛍も覗き込んでくる。
悩みや問題が尽きることはないけれど。
それらにぶつかるたびに、一つ一つ解決していこう。
そこで転んでも、挫けそうになっても。
それが後でまた――強さの一つとなるように。
悩んで、迷って、立ち止まってしまうこともあるけれど。
――それらの日々は、きっと無駄ではない。
「Oh,ナルホド! わかったよ春樹クン!」
「……さすが日向だな」
感心したように二人がそれぞれ反応を示す。
そんな二人に、春樹はそっと微笑んだ。
「……ありがと」
さあ――また一歩、前に進んでみよう。
■6話「七転八倒九起」了




