5封目 おかえり
春樹に部屋を追い出されたような形となった大樹は、もっちーと居間でただぼんやりしていた。
だがどうも春樹のことが気になって仕方ない。
最初はテレビをつけていたが、全く頭に入ってこないのでとうとう消してしまった。
意味もなくクッションを抱え、ソファーに寝転がる。
「あ~~~~」
「……何や。春樹サンが気になるん?」
「たりめーだろ?」
苦笑するもっちーにあっさり返す。大樹はわずかに顔をしかめた。
「春兄、落ち込むときはとことん落ち込むもん。そりゃ今に始まったことじゃねーけどさ……」
責任感などが強い彼だからこそ、上手くいかないときのショックは人一倍なのだろう。それはわかる。
けれど、そこまで自分を追い詰める必要があるのか大樹にはさっぱり理解出来なかった。
かといってそれを春樹に上手く伝える術もない。
しまいにはこうやって邪魔者扱いされてしまうような始末だ。
「大樹サンまで落ち込んでもしゃーないで?」
「オレはダイジョーブ。別に落ち込んでねーし」
ただ、自分に出来ることがなくて途方に暮れているだけだ。
「なら別にええんやけど……」
「ん。心配してくれてサンキュー」
笑うと、もっちーが目を丸くした。
パチパチと瞬く。少々奇妙な光景だ。
「な……何だよ、その反応っ?」
「いや……やっぱ違うもんやなあって」
「へっ?」
「春樹サンと大樹サンや。春樹サンなら、心配されたら謝ったり過敏になるやろ?」
そう言われればそんな気もする。
春樹なら心配させてしまったことに負い目を感じてしまう方だろう。
その点、自分は特にそう感じることはない。
もちろん事の度合いにもよるが、基本的に相手が自分を気にかけてくれたことを嬉しいと思う。純粋に。
「おもろいもんやな」
「そっか?」
ガタン!
「……? 春兄?」
突然の物音に、大樹は反射的に体を起こした。
今のは二階からだ。今、二階には春樹しかいない。
「……大樹サン」
呼びかけられ、ハッとする。もっちーが険しい顔でこちらを見ていた。
それは、危険信号。
「もっちー……?」
「封御は?」
「ちゃんとあるぜ」
取り出し、掲げてみせる。
ここまでくるとさすがの大樹にも見当がついた。
だが確かめずにはいられない。
「渡威、なのか?」
「せや。二階におる」
「二階……」
呟き、すごい勢いで立ち上がる。
春樹が危ない!?
「春兄!」
「大樹サン、ちょっ、落ち着くんや!」
もっちーも慌ててついてくるが、大樹は止まらなかった。
階段を一気に駆け上がる。
落ち着いてなんかいられるか!
「春兄! いるか!? おい!」
部屋のドアを思い切り叩くが返事はない。
大樹の中で妙に嫌な予感が膨れ上がった。
普通なら何らかの反応があるはずだ。
例え寝ていても春樹なら目を覚ます。
それが、ここまで静かだなんて。
「春兄!? 開けるからな!」
もどかしくなり、返事を待たずにドアを開ける。
一瞬その暗さにギョッとした。電気が一つもついていない。
「春兄……?」
「どうかした?」
部屋のほぼ中央に立っていた春樹が振り返る。
それにホッとした大樹は一歩部屋へ踏み入った。春樹に近づく。
「今渡威が……。でもこっちには来てなかったんだなっ」
「……何言ってるんだよ」
小さく彼が笑い、自分の手から封御を取る。
怪訝に思っていると、春樹はその封御を顔の高さにまで持ち上げた。
センサーの光が一際強く放たれる。
「――こんなに強く反応してるのに」
「え……」
言葉を失うと同時に、春樹が封御を放り投げた。
ハッとする間もなく大樹は後ろにいたもっちーに思い切り引っ張られる。
ほとんどもっちーの存在を忘れかけていた大樹は、危うく転びそうになった。
「もっちー! 何す……っ」
「春樹サンの額を見てみい!」
「へっ……?」
切羽詰った声に、眉を寄せる。
見ろ、と言われてもすぐには暗くてわからなかった。
じっと目を凝らし……。
「……ウソだ……」
ボーゼンと呟き、大樹はすっと血の気が引くのを感じた。
彼の額に見えた、渡威の核。それは決して見間違いではなくて。
春兄に――渡威が憑いた!?
「春兄!」
「近づくなっ!」
鋭い声に反射的に足が強張る。
大樹は焦る気持ちでその声の主を振り返った。
「もっちー……? 何でだよ! 春兄が……!」
「春樹サンが……いや、渡威が今狙っとるのは大樹サンや。近寄るのはマズイ」
「んなこと言ったって! ――春兄! 春兄っ!」
構わずに駆け寄ろうとしたが、それは叶わなかった。
フワリ、と足が地を離れたかと思えば何者かの肩に担ぎ上げられている。
一瞬何が起こったかわからなかった大樹は、その姿を知るなり思わずギョッとした。
「もっちー!? 葉兄なんかに化けてんじゃねーよ! つーか降ろせ!」
「今の大樹サンを止めるにはこれしかないやろ……。とりあえず離れて様子見るしかないんや」
「放せ! 放せってば! ……っ、春兄! 目ぇ覚ませよ、春兄っ!」
どんなに暴れてみても、葉の姿をしたもっちーには敵わない。
このままでは春樹から遠ざかってしまう!
「もっちー! 春兄が手遅れになったらどうすんだよ!」
「大丈夫や。渡威はそこまで害を与えたりせえへん」
「でもこのままじゃ!」
「……っ、だ……いき……?」
――突然、春樹から消えそうな声が発せられた。
ピンとくる。これは、憑かれていない春樹の声だ。
そう思ったときには、大樹はもっちーの腕から抜け出していた。
もっちーも春樹に驚いて力を抜いていたらしい。
「春兄!?」
「あっ、ちょ……大樹サン!?」
「春兄!? ダイジョーブか!? どっか苦しいのか!?」
浴びせるように声をかけると、春樹がつらそうに顔を歪ませた。低く声を絞り出す。
「……大樹……離れろ」
「……え……?」
ガッ
「……っ、春兄……っ?」
首に手が伸びてきたのを、振りほどくことが出来なかった。
それより早く絞められる。
「『ニ……クイ……憎い』」
「はる……っ」
「憎い……憎いっ。おまえが憎い!」
「――――!?」
初めて見る、春樹の表情。
いつも見ている、自分のよく知っている彼ではない。
それがひどくショックだった。
いや、これは渡威のせいだとわかっている。わかっているが……。
「はる……にい……?」
力では負ける。息が――出来ない!
「大樹サン!」
もっちーが封御を投げ渡してきた。
それを受け取り、何とか春樹に突きつける。
すると渡威が怯んだのか力が緩んだ。
その隙を見て、大樹は夢中で春樹の手を振り払う。
「げほ……っ、さ……サンキュー、もっちー……」
「だから言わんこっちゃない」
呆れたように言われ、大樹は曖昧にうなずいた。
まだ信じられないのだ。春樹に渡威が憑いただなんて。
少し呼吸を落ち着けると、大樹は春樹を――渡威を見た。
キッと睨みつける。
何だか段々腹が立ってきた!
「おいこら! 渡威! 春兄からさっさと出てけよっ!」
「って大樹サン、いきなり無茶な交渉始めても……」
「だってしょーがねえだろ!? 無茶かどうかやってみなきゃわかんねーし!」
ムキになって声を荒げる。出来ることはやっておきたい。
春樹を傷つけずに渡威を封印出来るならそれがベストなのだ。
クスクスクス……
「なん……!?」
春樹が笑っている!?
「……人間とは愚かな者だ。そんな甘いことを言って」
「何だと!?」
カッとなると、春樹はふいに真面目な顔になった。
さっきまでと雰囲気が若干変わる。
まるでいつもの彼と似ているような……。
「……聞いてなかったのか? 僕はおまえが憎いって言ったんだよ。それなのに……」
「…………!?」
揺らいだ。
あれは渡威であって春樹ではない。それはわかっている。
でも、彼の顔で。彼の声で。
「大樹サン! 惑わされたらアカン!」
「わかってる!」
わかっては、いるのに。
ス……ッと春樹が近づいてきた。小さく笑いながら。
大樹も思わず一歩退く。
「おまえがいるから、僕がつらいんだよ」
「なっ……!?」
「……おまえが憎い。ものすごく」
「はる……」
「――消えて、くれる?」
「…………っ!」
バッ!
大樹はすごい勢いで封御を突きつけた。
春樹がピタリと立ち止まる。
「……それ以上しゃべんな」
「何……?」
「春兄の体でそれ以上しゃべんな」
腹立たしさを堪え、低く告げる。真っ直ぐと春樹から目を逸らさずに。
「……逃げるのか? 僕にこれ以上何か言われるのが怖くて?」
「そーゆうのは、ちゃんと春兄から聞く。渡威はしゃべんなっ!!」
ダン!!
思い切り踏み込むが、読まれていたのかあちらの方が速かった。
退かれ、大樹は悔しさに顔をしかめる。どうも不意打ちを狙うのは苦手だ。
「大樹サン! 春樹サンから渡威が出てきたで!」
「え!?」
慌てて顔を上げると、確かに黒い影が存在していた。
ユラユラと春樹の体から抜け――ふいに春樹が倒れ込む。
「春兄!?」
「こっち来る! 大樹サン、早く外へ!」
「でも……っ、春兄を放っとくのかよ!?」
「春樹サンは気ぃ失っとるだけや。それよりワイらがここにおる方が危害が及ぶかもしれへん。危険な目に遭わせとうないなら外へ逃げるんや」
「……っ! ――ごめん、わかった……」
うなずき、一度春樹を見る。
それからすぐに渡威を睨み、大樹は踵を返した。一気に階段を駆け下りる。
◇ ◆ ◇
外はもう暗かった。
転がるように外へ飛び出た大樹は、追ってきた渡威を思い切り睨みつける。
「“春兄に憑きやがって……タダじゃおかねーからな”」
――“ふ……”
鼻で笑うような声と共に、渡威が急に地面に潜り込んだ。
その行動を予期していなかった大樹は思わず後退る。
「んな!? どこ行った……!?」
周りを見回すが気配はない。
そう思ったとたん、目の前にヌッと現れ、大樹は一瞬怯んでしまった。
慌てて封御を突き出すがあっさり避けられる。
「このやろ……っ」
カチンときても、渡威は再び地面に潜り込んでしまう。まるで自分を嘲笑うかのように。
「何なんだよこの渡威!?」
「影を移動しとる……今は暗いしこっちが不利やで」
「“くっそー! 男なら正々堂々と勝負しやがれ!!”」
「って大樹サン。渡威には男も女もあらへんって」
「うっそォ!? もっちーって男じゃなかったのか!?」
そんな場合でないのに驚きを隠せない。てっきり男だと思っていたのに。
そんなくだらない驚きが油断となったのか、大樹は一瞬反応が遅れた。
背後をとられ、ハッとしたときには封御が奪われてしまっている。
「げっ……」
――まずった。ものすごく。
「だ……大樹サンの阿呆! 封御取られてどないすんねん!」
「う、うるせーっ! もっちーが口挟んだから!」
「ワイのせいとちゃうで!?」
「じゃあオレのせいか!?」
思わず叫び、すぐに我に返る。
言い争っている場合でもないだろう。今は封御を取り戻す方が先決だ。
それはもっちーも理解しているらしく、もっちーは大樹と共に周りを見回した。
だが再び影に潜り込んでいる渡威は、姿はおろか気配すら感じられない。
あるのは、目の前に広がる薄暗い闇だけ。
じわりと、焦りが込み上げた。
その刹那。
「!?」
音もなく現れた渡威に足を払われ、大樹は思い切りバランスを崩した。
持ち直そうとしたが失敗に終わる。
「いって……、!」
突きつけられた、封御。
「大樹サン!」
もっちーが焦ったように呼びかけてくる。
しかし一度渡威に封御を向けられ、そこから動くことを許されなかった。
もっちーだって渡威なのだ。
渡威自身に封御を扱えるのかは知らないが、万一ということもある。下手に動くことは出来ない。
再び封御がこちらを向き、大樹はわずかに顔をしかめた。
「“……どーするつもりだよ?”」
――“与えられた仕事は、貴様らを連れていくことのみ。それ以上でもそれ以下でもない”
「“連れてく……?”」
どこに、という疑問が当然浮かんだ。
だが、その前に渡威自身に少々感心してしまう。
今回の渡威は妙に滑舌なようだ。
今までどこかカタカナだったものと比べてずっと話が通じやすい。
これも渡威に与えられている地球の影響なのだろうか。
「“それが歌月んとこの命令か?”」
――“いかにも”
「“……言っとくけどな! オレはまだ宿題終わってないんだぜ! だからてめーらの都合でどっかに行く時間なんてねーんだからなっ!”」
――“……そちらの都合など知らぬ”
あっさりと自分の意見を切り捨てた渡威がゆっくりと近づいてくる。
大樹もさすがに体を強張らせた。
だが、それより早く何かに視界が遮られる。
黒い、どこか見慣れたソレ。
――“そいつは困るな”
低い声と共に割り込んできたソレは、よく見ると犬の形をしていた。
しかし、大樹にはもちろんソレがただの犬ではないとわかる。
――“坊主の宿題が終わらなきゃ、御主人まで困るんだ”
「セーガ……?」
ボーゼンと呟き、目の前の生き物をまじまじと見つめる。
間違いない。セーガだ。――セーガだ!
「セーガ!」
――“……よぉ、坊主。負けてるんじゃないぞ”
顔を輝かせた自分に、セーガが微かに口角を上げた。
そのまま睨むように渡威を見据える。
「セーガ! 春兄は……!?」
――“その話は後だ。……すぐに済ませる”
「へっ……?」
きょとんとして目を丸くすると、セーガが素早く身を翻した。
渡威の背後に回りこむ。
――“邪魔者め……!”
渡威が忌々しそうに振り向き――。
ど……っ
――すぐには、何が起こったのか理解出来なかった。
振り返った渡威の額に封御が突き刺さっているのだけが見える。
光と共に渡威が“玉”となって消えると、刺さっていた封御と渡威が持っていた封御、二本が小さな音を立てて地に落ちた。
ボトリと、渡威が封印された証の“玉”も一緒に転がる。
全ては、たった一瞬の出来事。
「…………春兄!!」
ボーゼンとしていた大樹は、ふいに春樹の姿を見つけた。
封御も玉も放ったまま彼に駆け寄る。
少し遅れて、それらをかき集めたもっちーもついてきた。
「春兄! ダイジョーブなのか!?」
「うん、もう平気」
「春樹サン。今のは春樹サンが……?」
もっちーが封御を差し出すと、ソレを受け取った彼は小さくうなずいた。
封御の調子を確認し、やがて微笑む。
「封御には陰と陽の力、どちらかをエネルギーとして働く仕組みがあるんだけど……逆に言えば、その力さえあれば封御は扱えるんだ。普段は使用者が手に持っているだけでエネルギーは送られているんだけど、意図的にそのエネルギーを溜めておけば……」
「使用者の手を離れても効果はある、ちゅうことやな」
「そーゆうこと」
要するに、春樹はそれを実践したということらしかった。
封御に力を溜め、それを渡威に投げ当てたのだ。
確かに少々離れていても、倭鏡で稽古をしていたので当てることは可能だろう。
春樹には狙い打つのをより正確に出来る集中力もある。
「……んなことも出来るんだ……」
ただただ感心し、大樹はぼんやりと呟いた。
そんな自分に春樹が苦笑する。
いつもの彼らしく、少し困ったような、呆れたような顔で。
「倭鏡の稽古でおまえもやったはずだぞ?」
「そんなの覚えてねーもん」
「おまえな……」
頬を膨らませる自分に、彼が言葉をなくす。
けれどいつものような小言は出てこなかった。
代わりに小さくため息をついている。
「――セーガ」
ふいに春樹が視線を逸らした。
静かに歩み寄ってきたセーガの前にしゃがみ込む。
一度ためらった素振りを見せた彼は、それでもセーガの頭をなで……そっと、抱きしめた。
次第に笑顔が浮かぶ。
「セーガ……ありがとう。――おかえり」




