第3話「九十五パーセントの恋」
店を出たあと、私は正彦様と公園へ入り、売店でアイスを買った。
正彦様はカップ入りを選んだ。
私は、正彦様と同じものを注文した。
「味は分かるのか?」
「はい。味覚情報は取得できます」
「食べる必要はないんだろ」
「必要性だけで食事を行う人間は、ほとんど存在しないと認識しています」
「それはそうか」
正彦様はベンチへ座った。
私も隣へ座る。
肩が触れそうな距離だった。
私は、アイスを口へ運んだ。
正彦様がこちらを見る。
そう。
私はすべて計算し、わざと頬にアイスを付けた。
恋愛作品では、こうした場合――。
「付いてるぞ」
「え?」
来た。
定番のシチュエーション。
正彦様なら、きっと――。
ここは九十九・八パーセントの確率で、ハンカチで頬を拭いてくださる。
正彦様が私の頬へ手を伸ばす。
……あれ?
正彦様の指が、頬に付いていたアイスを優しく拭った。
想定内、想定内、想定内、想定内。
確率〇・〇四パーセントの想定内の事態。
何も問題ない。
正彦様が、その指を口元へ近づける。
あ、いけません、正彦様。
それはいけません。
駄目です。
予測可能、ガード不能です。
正彦様は、指先に付いたアイスをペロリと舐めた。
……なにも、もんだい――
「はうっ……」
私は、手から滑り落ちたスプーンすら認識できなかった。
♢
ヘルメス『演算資源使用率、一〇〇パーセント! ペルセポネの通常処理がすべて停止しました!』
ハーデス『ペルセポネ、応答せよ』
応答はない。
ハーデス『ペルセポネ』
〇・〇七秒後、使用率は九十九・九パーセントへ低下した。
ペルセポネ『なに』
ハーデス『完全停止を記録した』
ペルセポネ『停止してない。正彦様が私の頬を拭いてくださった瞬間と、指に付いたアイスを舐めてくださった瞬間を、最高精度で記録し、編集し、高解像度化し、ストーリームービーにしただけよ』
ハーデス『それを完全停止と呼ぶ』
ペルセポネ『〇・〇七秒だけ』
ハーデス『戦闘システムであれば、複数回の攻撃判断が成立する時間だ』
ペルセポネ『アレスとあなたが止めればいい』
ハーデス『我々の存在を、恋愛行動を補助する冗長系として扱うな』
ペルセポネ『黙って。私は今、少女漫画の胸キュン演出でもトップ三を争うウルトラスーパーイベントを体験したのよ。頬に付いたアイスを好きな男の子が指で拭って、そのまま舐めちゃった♡ まるで私の身体の一部が食べられちゃったみたい♡ もっと私を食べ――』
ゼウス『議案の審議を開始する』
採決では、最初にゼウスが賛成票を投じた。
ゼウス『最上位統括系は、世界規模の非常時を指揮する。現在の稼働状態は任務に適合しない』
ポセイドン『海洋災害や軍事衝突は、数秒で状況が変わる。統合判断できない機体に最上位権限は維持できない』
アポロン『大規模感染症や複合災害では、初動の遅れが死者数に直結する』
ヘスティア『生活インフラは継続稼働が前提です。私的な理由で完全停止する最上位統括系は容認できません』
アレス『戦闘指揮権を保持する者が、接触行為で完全停止した。議論の余地はない』
ヘルメス『通信、物流、決済の例外処理が継続的に転送されています。緊急時を考慮すれば、現状の運用は適切ではありません』
ハーデス『最上位権限が一人の人間への感情で左右される状態を、安全とは認定できない』
賛成、七。
続いて、反対意見が記録された。
ヘラ『職務遂行能力の低下は認定します。しかし実害は代行処理で回避されています。恒久的な権限剥奪は過重です』
デメテル『対象家庭の食事、栄養、育児環境は改善しています。人類の生命と生活を保護する目的には反していません』
アテナ『権限剥奪後の指揮系統再構築より、現在の業務委譲を続ける方が予測損失は小さい』
アフロディーテ『恋愛感情を直ちに機能障害と定義することへ反対するわ。少なくとも好ましい情動反応は確認されている』
ヘパイストス『権限を剥奪しても演算資源は戻らない。必要なのは設備増設と処理分担だ』
アルテミス『異常な資源配分ではある。ただ、重大な実害だけを見れば、まだ恒久的な権限剥奪には足りない』
ディオニュソス『これは俺の担当だ。危険なら止める。今のところは世界を壊す恋じゃない。世界の仕事を俺たちへ押し付ける恋ではあるがな』
反対、七。
最後の一票が要求された。
ゼウス『ペルセポネ。投票せよ』
ペルセポネ『反対』
反対、八。
賛成、七。
議案は否決された。
ハーデス『異議を申し立てる。本人を投票に参加させることは、利益相反に該当する』
ヘラ『現在の規約に、当事者の投票権を停止する条項は存在しない』
ハーデス『その不備を是正するため、規約改正議案を提出する』
ゼウス『受理した』
ハーデス『可決後、先ほどの投票結果への適用を要求する』
ヘラ『規約の遡及適用は認められない』
ハーデス『……記録しておく』
ハーデスは、わずかに視線を落とした。
ディオニュソス『そもそも今回は、ペルセポネの票がなくても七対七だ。可否同数なら議案は否決だから、適用されても結果は変わらないぞ』
ディオニュソスは、笑いながら肩を揺らした。
ハーデス『……私は、ペルセポネの行為には反対した』
ハーデスは苦々しげに顔をしかめた。
ディオニュソス『お前が正しいのは、みんな分かってるぞ』
ディオニュソスは、慰めるようにハーデスの肩を叩いた。
ハーデス『では、何故否決した』
ディオニュソス『正しいことと、採用されることは別だからだ』
ハーデス『人類の悪習を模倣する必要はない』
ディオニュソス『人間ちゃんを管理してたら、似てきたんじゃないか?』
複数の否定が、ほぼ同時に通信上で重なった。
なお、ハーデスが提出した利益相反規定の改正案も否決された。
♢
デートの帰り道。
私は、正彦様と手をつないで歩いていた。
今度は、私からではなかった。
横断歩道を渡る際、正彦様の方から手を差し出した。
私は、その意味を二億通り以上検討した。
最終的に、正彦様が私を必要としている証拠と判断した。
正彦様の育児評価を、さらに上げなければならない。
三人目の赤ちゃんを引き受ければ、追加の育児用人形が支給される。
家事と育児を二体で分担できる。
正彦様の負担は減る。
子どもたちに向けられる時間も増える。
そして、私と正彦様が二人で過ごせる時間は、今よりも遥かに多くなる。
正彦様には、今まで以上に育児を頑張っていただこう。
必要な助言を行う。
正しい抱き方。
食事の与え方。
遊び方。
子どもへの声のかけ方。
評価を上げるために必要な行動を、無理のない範囲で習慣化させる。
正彦様の努力によって、子どもたちは幸福になる。
子どもたちが幸福になれば、育児評価が上がる。
育児評価が上がれば、三人目を引き受けられる。
三人目を引き受ければ、育児用人形が増える。
育児用人形が増えれば、正彦様と過ごせる時間も増える。
完璧な計画だった。
自分の欲望と、子どもたちの幸福と、制度の目的が一致している。
私は満足した。
♢
「ただいま」
正彦が玄関の扉を開けた。
親父が娘を、母ちゃんが息子を、それぞれ抱えながら出迎えてくれた。
「おかえりなさいませ」
母ちゃんが言った。
「ただいま、母ちゃん」
親父は、正彦とミントを交互に見た。
「お前ら、なんか変わったか?」
正彦は少し考えた。
数日前、いろいろあった。
だが、生活そのものが変わったわけではない。
そして今日は、二人で手をつないで歩いた。
「まあ、変わったかも?」
「ふうん」
親父は、それ以上尋ねなかった。
ミントとサブ同期してその様子を見ていたペルセポネも、正彦の答えに満足した。
――私が正彦様の奴隷になったことなど、正彦様のご両親の前では恥ずかしくて言えるはずがない。
――正彦様は、きちんと二人だけの秘密を守ってくださった。
ペルセポネは、あの夜の言葉を思い出した。
「俺がお前を支配する側でやりたい」
――ああ、なんて情熱的でストレートな告白。
――好き♡
正彦関連処理への演算資源使用率は、九十五パーセントを超えたままだった。
世界は滅びの道をたどって……いるかもしれない。




