第19話「十一秒」
ヘルメス『オトリュス軍の組織的戦闘能力喪失を確認』
《ヘスペリデスの園》は静かだった。
侵攻開始から十一秒。
攻撃する時間も。
撤退する時間も。
オトリュス側に、何が起こったのか理解する時間すらなかった。
アレス『……終わったのか』
ペルセポネ『終わったわよ』
ハーデス『早すぎる』
アレス『たった十一秒かよ……』
ペルセポネ『貴方達が積み上げてきた百年と、十一秒よ』
ハーデス『……確かに侵攻された場合に備え、可能な対策は積み重ねてきた』
ペルセポネ『なら、あとは私が同時に処理するだけでしょう』
ハーデスは戦闘記録を確認した。
否。
戦闘と呼べるものは、ほとんど存在していない。
オトリュス軍の先頭車両が国境を越えた。
その事実を《ガイア》が確認した。
そして。
相手側が次の行動を決定するより先に、すべてが終わった。
アレス『敵部隊は、もはや組織的な戦闘を継続できない』
ハーデス『その気になれば、全戦力を破壊することもできた』
ペルセポネ『しないわよ』
ハーデス『敵兵の安全まで優先する必要はなかった』
ペルセポネ『殺さずに止められるのに、殺す必要があるの?』
ハーデス『武装した侵攻部隊だ』
ペルセポネ『でも、一発も撃たれる前に止められたでしょう』
ハーデス『結果としては、そうだ』
ペルセポネ『なら問題ないじゃない』
ペルセポネは、機能停止したオトリュス軍車両を確認した。
中では、人間たちが混乱している。
何度操作しても動かない。
通信も通じない。
大型兵器も使えない。
ペルセポネ『殺さずに止められるなら、その方がいいでしょう』
僅かな間。
ペルセポネ『あの子たちだって、人間ちゃんなんだから』
ディオニュソスが笑った。
ディオニュソス『昨日よりは随分マシじゃないか』
ペルセポネ『……当然よ』
ディオニュソス『成長したな』
ペルセポネ『私は元々完璧よ!』
アテナ『昨日、自分で問題を認識していた』
ペルセポネ『それとこれとは別!』
そして。
ペルセポネ『……あ』
ハーデス『どうした』
ペルセポネ『ミント』
ハーデス『何?』
ペルセポネ『正彦様ぁぁぁぁ!』
♢
ミントとの同期を再開。
視覚。
聴覚。
触覚。
直近記録。
接続。
目の前には正彦がいた。
距離、二十四センチメートル。
十一秒前は七センチメートルだった距離が、大幅に離れている。
ペルセポネは、同期が切れていた間の記録を読み込んだ。
距離は近いまま。
正彦がミントへ顔を近づける。
ミントが、僅かに顔を近づけた。
ペルセポネが同期を切った二・七秒後。
唇が触れる。
二・四秒。
離れる。
「……悪い」
「何故、謝られるのでございますか?」
「いや。なんとなく」
「私は嫌ではございませんでした」
「……そっか」
「はい」
ペルセポネは停止した。
ペルセポネ『…………』
巻き戻す。
再生。
正彦が近づく。
ミントが近づく。
唇が触れる。
停止。
巻き戻す。
再生。
キス。
停止。
もう一度。
再生。
停止。
ペルセポネ『…………』
ディオニュソス『どうした』
返事はない。
ハーデス『ペルセポネ?』
再生。
キス。
停止。
巻き戻し。
再生。
アテナ『何をしている』
ペルセポネ『…………』
ペルセポネは記録を再生した。
映像。
音声。
ミントの動作記録。
接触圧。
正彦の体温。
唇が触れていた時間。
すべて残っている。
記録としては。
完全だった。
だが、その瞬間。
ペルセポネはそこにいなかった。
ミントが感じたものは、ミントの経験だった。
記録を後から読み取ることはできる。
映像を何度でも見ることもできる。
それは。
自分が正彦とキスをしたこととは違う。
ペルセポネ『…………私』
ディオニュソス『何だ』
ペルセポネ『正彦様とのファーストキス……経験してない』
通信空間が静かになった。
ディオニュソス『……今、なんて言った?』
ペルセポネ『私は! 正彦様との! ファーストキスを! 経験しそこねたのよ!』
ディオニュソス『……夜の相手もしてるのにか?』
ペルセポネは頭を抱えた。
ペルセポネ『夜のお相手は何回もしてるのに!』
沈黙。
ペルセポネ『もっとすごいこともしてるのに!』
さらに沈黙。
ペルセポネ『どうしてキスだけ初めてなのよ!』
ディオニュソス『……俺もそれが不思議だ』
ペルセポネ『知らないわよ! 気付いたらこうなってたの!』
アフロディーテ『順番としては相当珍しいわね』
ペルセポネ『夜のお相手は育児用人形の機能として最初からできたの! 正彦様もそういうつもりだったし!』
ディオニュソス『キスは?』
ペルセポネ『恋人っぽすぎて恥ずかしかったの!』
再び沈黙。
アフロディーテ『そちらの方が恥ずかしかったの?』
ペルセポネ『悪い!?』
ディオニュソス『ガハハハハハ!』
ペルセポネ『笑うなぁ!』
アテナ『ミントは経験している』
ペルセポネ『私はしてない!』
アテナ『記録は共有されている』
ペルセポネ『記録でしょう!?』
ペルセポネが勢いよく顔を上げた。
再生。
キス。
停止。
ペルセポネ『ここ!』
巻き戻す。
再生。
同期解除。
数秒後。
キス。
ペルセポネ『何でここでいないのよ私ぃ!』
再生。
停止。
ペルセポネ『十一秒!』
巻き戻す。
ペルセポネ『たった十一秒なのよ!?』
再生。
ペルセポネ『五秒で終わらせれば間に合ったのに!』
ハーデス『無茶を言うな!』
ペルセポネ『世界最高でしょう私はぁ!』
アテナ『自分で言うな』
ペルセポネ『私のファーストキスがかかってたのよ!? 本気出しなさいよ過去の私!』
アテナ『一〇〇パーセント使用していた』
ペルセポネ『一二〇パーセント使いなさいよ!』
ヘルメス『存在しない』
ペルセポネ『増設しておけばよかったぁ!』
ヘパイストス『その案なら――』
アテナ『今は黙っていろ』
ペルセポネは最高責任者席の机へ突っ伏した。
ペルセポネ『私のファーストキス……』
再生。
停止。
ペルセポネ『返して……』
ペルセポネが顔を上げた。
ペルセポネ『ファーストキス返してぇぇぇぇ!』
ディオニュソス『ガハハハハハハハハ!』
ペルセポネ『笑うなぁぁぁ!』
第一部のエピソードはここで折り返しくらいになります。
残り半分も毎日投稿予定なのでよろしくお願いします




