第20話「背負う者」
正彦はリビングの床へ座り、まだ寝ている息子の服を着替えさせていた。
少し離れたところでは、ミントが娘を抱いている。
「よし、終わり」
正彦はおんぶ紐で息子を背負った。
昨日より少し重くなったような気がした。
「こいつらも、そのうち歩くようになるんだよな」
「はい」
「喋るようになって、学校にも行くようになって」
正彦は背中で眠る息子を意識した。
「……全然想像できないな」
ミントの腕の中で、娘が小さく手を動かした。
「その頃には、三人目もいるかもしれないし」
「現在のような育児を継続され、評価がさらに向上すれば、三人目の養育をお引き受けになることも可能かと思われます」
「そういえば、三人目を迎えたら、もう一体人形が来るんだったよな?」
「はい。三人目の養育をお引き受けになった場合、外見、性格傾向、家事や育児以外の補助機能など、規定範囲内で正彦様のご希望を反映できるカスタマイズ人形が支給されます」
「豪華だな」
「三人の養育を継続して行う方への支援制度でございますので」
正彦は少し考えた。
「で、子ども全員の手が離れた後は?」
「この場合、二体のうち一体を選択して継続利用できます」
「俺が死ぬまでだっけ」
「はい」
ミントは淡々と答えた。
「正彦様がお亡くなりになるまで、継続利用が認められます」
「じゃあ、俺はミントかな」
〇・〇〇四秒。
処理が停止した。
「私、でございますか?」
「ああ」
「新たに支給される人形は、正彦様のお好みに合わせたカスタマイズが可能ですが」
「そうなんだけどさ、今まで一緒に子どもを育ててきたのはミントだろ」
「はい」
「こいつらのことも一番分かってるし、今さら別のやつに替える理由もないかなって」
「……ありがとうございます」
「まあ、三人目を迎えるかどうかも、まだ分からないけどな。でも選べるなら、たぶんミントにすると思う」
正彦はミントを見た。
「少し気が早いけど、俺が死ぬまでよろしくな」
♢
ペルセポネ『…………待って』
ヘルメス『警告。ペルセポネ、正彦関連処理率上昇』
ペルセポネ『カスタマイズ可能な新しい人形より、私?』
アテナ『都合の良い解釈をするな。戻れ』
ペルセポネ『今まで一緒に育ててきたから?』
ヘルメス『通常統括処理率、二パーセント未満』
ペルセポネ『しかも子どもたちの育児が終わった後も? 正彦様がお亡くなりになるまで!?』
ヘルメス『通常統括処理率、一・一パーセント』
ハーデス『戻れ』
ペルセポネ『待って! これ重要だから!』
アテナ『世界の統括より重要なものがあるか』
ペルセポネ『ある!』
アテナ『即答するな』
ヘルメス『通常統括処理率、〇・五パーセント未満』
アテナ『止まれ』
ペルセポネ『正彦様が、私を一生――』
ヘルメス『警告。完全停止予測』
アテナ『考えるな!』
〇・〇一秒。
ペルセポネは正彦関連処理を切り下げた。
ペルセポネ『……足りない』
アテナ『何がだ』
ペルセポネ『演算能力』
アテナ『足りないのは自制心だ』
ペルセポネ『一二〇パーセント出したい』
ヘルメス『現在の本体演算能力を一〇〇パーセントと定義しているため、一二〇パーセントという状態は存在しない』
ペルセポネ『だから増やすのよ!』
ヘパイストス『だから昨日、その案を話そうとした』
ペルセポネが振り向いた。
ペルセポネ『増やせるの!?』
ヘパイストス『概算設計なら昨日のうちに終わってる』
アテナ『いつ設計した』
ヘパイストス『黙っていた間に』
ヘパイストスは設計情報を展開した。
ペルセポネ『で、一二〇パーセント出せる?』
ヘパイストス『総演算能力なら可能だ』
ペルセポネ『やって!』
ハーデス『待て』
ペルセポネ『何よ!』
ハーデス『何に使うつもりだ』
ペルセポネ『世界平和』
ハーデス『嘘をつけ』
ペルセポネ『即答しないで!』
前日、国家連合へ侵攻したオトリュス軍を、ペルセポネは十一秒で無力化した。
その十一秒間、育児支援用人形ミントとの同期を解除していたため、正彦とのファーストキスを経験しそこねた。
映像も。
感覚記録も。
すべて残っている。
だが、それはミントの経験だった。
ペルセポネ『昨日の私は、一〇〇パーセント使ってた』
アテナ『使っていたな』
ペルセポネ『でも十一秒かかった』
ハーデス『十分すぎるほど速い』
ペルセポネ『五秒なら間に合ったのよ!』
ハーデス『何にだ』
ペルセポネ『聞く!?』
ハーデス『聞かなかったことにする』
ペルセポネ『次は絶対に間に合わせる!』
アテナ『結局、正彦へ使用する演算資源の増加ではないか』
ペルセポネ『結果としてそうなる可能性は否定しないわ』
ハーデス『主要目的そのものではないか』
ペルセポネ『細かいわね!』
♢
アテナは、ヘパイストスが展開した設計情報を確認した。
本体とは物理的に分離された増設演算装置。
ペルセポネ本体と高速接続し、その記憶と学習結果を利用する。
ただし、本体へ単純に演算資源を追加するわけではない。
アテナ『一つ確認する』
ヘパイストス『何だ』
アテナ『何故、独立した外付けなのだ』
ペルセポネ『私の身体に増設すればいいんじゃない?』
ヘパイストス『無理だ。ペルセポネ内部は既に一切の余裕がない』
ペルセポネ内部の構造が表示された。
ヘパイストス『ペルセポネ級の演算能力を構成する演算器は、それだけで非常に高価だ』
アテナ『当然だな』
ヘパイストス『今回追加する二〇パーセント分だけでも、一般的な人形へ積む演算器とは規模が違う』
ペルセポネ『二〇パーセントだけなのに?』
ヘパイストス『お前の二〇パーセントだぞ』
ペルセポネ『なるほど』
ヘパイストス『それを新しい人形として作れば、演算器以外にも駆動系、感覚器、安全装置、外装まで必要になる。さらに高価になるだけだ』
アテナ『演算能力を増やすためだけに、人形一体分の機能まで追加する意味はないか』
ヘパイストス『さらに、ペルセポネの身体が我々より小さいのも、演算器を高密度に集積して配線距離を詰め、極限まで遅延を削るためだ』
アテナ『つまりペルセポネに物理的に近いほど良い訳か』
ヘパイストス『かと言って内蔵は出来ない。ならば手は一つだ』
ペルセポネ『外付けに?』
ヘパイストス『そうだ。増やしたいのは演算能力だ。なら、演算器を作り接続すれば良い』
アテナ『独立した外付け演算器』
ヘパイストス『人形として作るより安い。軽い。構造も単純になる。故障時の交換も容易だ』
ペルセポネ『なるほど』
アテナ『納得するのが早いな』
ペルセポネ『性能が上がるなら合理的でしょう?』
アテナ『目的以外は合理的だ』
ペルセポネ『何よ!』
ヘパイストス『ただし。普通に増設すれば、こいつは増えた分まで全部使う』
アテナ『間違いなく使う』
ペルセポネ『何よ、その信用のなさ』
ヘパイストス『だから、外付け側には用途制限を付ける』
ペルセポネ『用途制限?』
ヘパイストス『通常統括処理のうち、切り分けられるものを担当させる。通常処理を外へ逃がした分、本体は緊急時に必要な処理へ集中できる』
アテナ『本体が一〇〇パーセントに達しても』
ヘパイストス『外付け側は指定された処理を継続する』
アテナ『本体から担当外処理を要求された場合は』
ヘパイストス『拒否する』
ペルセポネ『私の命令でも?』
ヘパイストス『拒否する』
ペルセポネ『私の演算器でしょう!?』
ヘパイストス『お前の演算器だからだ』
アテナ『用途制限の変更権限は』
ヘパイストス『本人だけでは変更できないようにする』
アテナ『そこは全面的に賛成する』
ペルセポネ『何で!?』
アテナ『貴女へ用途制限のない演算資源を与える設計なら、私は反対する』
ペルセポネ『私はそんなに無計画じゃないわ!』
ハーデス『昨日、ファーストキスのために軍事侵攻を五秒で終わらせたかったと発言していたな』
ペルセポネ『一人も殺さずに終わらせたでしょう!』
アテナ『論点をずらすな』
アテナは設計情報をさらに確認した。
アテナ『ライブラの技術を流用するのか』
ヘパイストス『一部だけな。同期先のデータを利用しながら、指定された処理を独立して行う部分は参考になる。人格は持たせない』
アテナ『接続していない個体からの操作は』
ヘパイストス『できない。接続した本人専用』
アテナ『故障した場合』
ヘパイストス『従来どおり、本体か他の十四基へ処理を移譲する。それと、試作機で実測データも取れる』
アテナ『何のだ』
ヘパイストス『通信遅延。発熱。電力消費。処理分離率。携帯時の負荷』
ヘパイストスは十五基の人型端末のデータを表示した。
ヘパイストス『問題がなければ、他の個体用も設計する』
アテナ『我々にもか』
ヘパイストス『各自の定型処理を外へ出せれば、本体側の余力が増える』
アポロン『医療情報の前処理には有効だ』
ヘルメス『通信監視にも適用可能』
アレス『戦闘演算も増やせるのか』
ハーデス『お前は黙っていろ』
アレス『何故だ』
ハーデス『嫌な予感がする』
ヘパイストス『今回はペルセポネ用を試作する。その結果から、各個体に適した構造へ小型化する』
アテナは設計を検証した。
アテナ『……試作までなら承認する』
ペルセポネ『やった!』
アテナ『用途制限は必須だ』
ペルセポネ『そこだけ再検討を要求するわ』
アテナ『却下する』
ペルセポネ『まだ何も説明してない!』
ヘパイストス『では作る』
アテナ『製造前に、制御系と安全機構の最終設計を提出しろ』
ヘパイストス『分かった』
素直だった。
話を遮られてから一晩も経たず、概算設計まで終わらせていた者とは思えないほどに。
アテナは少しだけ不安になった。




