第18話「七センチメートル」
夜。
二人の赤ちゃんを寝かしつけた後。
正彦はベッドへ腰掛けた。
ミントは、子どもたちの睡眠状態を確認していた。
「二人とも寝た?」
「はい。お二人とも睡眠状態は安定しております」
「じゃあ、こっち来れば?」
ミントが振り向く。
「私でございますか?」
「他に誰がいるんだよ」
「はい」
ミントは正彦の隣へ座った。
肩が触れる。
「まだ気にしてる?」
「……少しだけ」
「そっか」
「ですが、今日のお言葉で、かなり整理できました」
「大したこと言ってないぞ」
「私にとっては、大切な言葉でございました」
正彦がミントを見る。
目が合う。
ミントは逸らさなかった。
「昨日の件は、俺にはよく分からないけどさ」
「はい」
「お前が悪いことしそうになって、自分でやめたんだろ」
「はい」
「なら、次はやらなきゃいい」
「……簡単におっしゃいますね」
「難しく考えすぎなんだよ」
正彦は笑った。
「お前、俺が子育てで失敗するたびに教えてくれるじゃん」
「それは私の役目ですので」
「じゃあ今度は俺の番」
「正彦様が、私を?」
「ああ」
正彦は手を伸ばした。
ミントの頭へ乗せる。
「反省できて偉い」
撫でる。
「自分で止まれて偉い」
もう一度。
「ちゃんと相談できて偉い」
「正彦様……」
「よしよし」
ペルセポネの演算資源使用率が急上昇した。
六十八パーセント。
七十九パーセント。
八十八パーセント。
九十五パーセント。
ミントは、僅かに正彦へ身体を寄せた。
「もっと、していただいてもよろしいでしょうか」
「珍しいな」
「……駄目でしょうか」
「駄目じゃない」
正彦の指が黒い髪を撫でる。
「今日のお前、なんか素直だな」
「普段から、私は正彦様に従順でございます」
「そうかなあ」
「そうでございます」
「俺、結構お前に怒られてるけど」
「必要な助言でございます」
ミントが少し笑った。
正彦も笑う。
目が合う。
今度は、どちらも逸らさなかった。
距離、三十六センチメートル。
二十八。
二十一。
正彦が僅かに顔を近づけた。
ペルセポネの演算資源使用率、九十八・九パーセント。
ミントは動かなかった。
距離、十五センチメートル。
十二。
九。
――正彦様。
――もしかして。
――これは。
距離、七センチメートル。
♢
ハーデス『緊急警報』
最優先通信が割り込んだ。
ハーデス『東部第四国境。オトリュス軍が国境線を越えた』
ペルセポネの恋愛処理が停止した。
ペルセポネ『……今?』
ハーデス『今だ』
ペルセポネ『あと三秒待てない?』
ハーデス『待てるわけがない!』
ペルセポネ『一秒』
ハーデス『駄目だ!』
ペルセポネ『〇・五秒』
ハーデス『値切るな!』
《ヘスペリデスの園》へ戦域情報が展開された。
国家連合に加盟していない独裁国家。
数週間前から、国境付近で大規模軍事演習を名目とした部隊集結を続けていた。
装甲車両。
自走砲。
歩兵輸送車。
無人攻撃機。
電子戦部隊。
総兵力、数千。
先頭車両が国境線を越えた。
ハーデス『侵攻と認定する』
アレス『迎撃を――』
ペルセポネ『待って』
ペルセポネは戦域情報を一度だけ確認した。
ハーデスが、今回の侵攻の可能性を高いと判断したのは三週間前。
だが。
準備が始まったのは、三週間前ではない。
《ガイア》側では、およそ百年前から非加盟国による軍事侵攻を想定していた。
国境防衛設備。
周辺国家が使用する軍用通信。
車両制御系統。
無人機管制。
補給網。
外部接続可能な整備設備。
オトリュス国内の軍需工場。
生産・物流・保守設備。
それらを管理する各種システムにも、《ガイア》側は長い年月をかけ、密かに一定の干渉手段を確保していた。
設備が更新されれば、それに合わせて情報も更新される。
新しい兵器についても、把握可能な範囲で情報が蓄積され続けていた。
通信から隔離された旧式装備についても、交換部品や保守系統を通じ、必要なら停止させられるよう準備されていた。
平時には使わない。
それらの干渉手段を、非加盟国の内政に利用することもない。
ただ、人間を守るために必要となった時だけ使う。
三週間前。
ハーデスは、それら百年分の備えをオトリュス軍の動向に合わせて再確認した。
国境防衛設備の増強。
民間人の事前避難。
使用可能な対策の最終確認。
すべて完了している。
侵攻しなければ、使われることのない準備だった。
ペルセポネ『準備は?』
ハーデス『完了している』
ペルセポネ『なら』
ペルセポネは、ミントとの同期を解除した。
人形側の人工知能が自律動作へ移行する。
ペルセポネがそれまで担当していた通常統括処理は、十四基へ分散移譲された。
平時、世界の統括に使用しているのは数パーセント。
世界最高の演算能力。
その一〇〇パーセントが。
オトリュス軍へ向けられた。
♢
国境を越えた先頭車両を確認。
〇・〇二秒後。
オトリュス軍の通信網が停止。
〇・一一秒後。
無人攻撃機の管制権を喪失。
〇・三六秒後。
電子制御式車両の動力が停止。
〇・七八秒後。
自走砲の射撃管制機能が停止。
一・四秒後。
旧式車両に事前に仕込まれていた停止機構が作動。
一・六秒後。
オトリュス軍後方基地。
司令室の全モニターが強制的に切り替わった。
『司令室の屋根を破壊します。床に伏せてください』
二・一秒後。
歩兵携行火器の電子照準系が使用不能。
二・八秒後。
無人攻撃機が攻撃能力を喪失。
三・三秒後。
後方基地の格納庫が閉鎖。
三・九秒後。
増援車両の始動不能。
四・六秒後。
基地防衛設備の制御権を喪失。
組織的な戦闘能力は失われた。
発射された砲弾。
ゼロ。
発砲した車両。
ゼロ。
攻撃可能な攻撃機。
ゼロ。
撤退を開始した部隊。
ゼロ。
撤退行動へ移れた部隊すら。
ゼロ。
九・二秒後。
司令室にいる全員が床へ伏せたことを確認。
九・七秒後。
基地防衛設備の一部が作動。
司令室の屋根だけが吹き飛んだ。
死亡者、ゼロ。
重傷者、ゼロ。
転倒と飛散物による軽傷者、十七名。
十・九秒後。
粉塵の中。
残されたモニターが再点灯した。
黒い画面に。
一行だけ表示された。
『次やったら◯す』
十一・〇四秒。
終了。




