どうやら真夜中に屋敷中を歩き回ってるらしい
湿度高めです!!!!!!!
ローゼンが時折、真夜中に屋敷の中を歩き回っているらしい。
その話をアリシアが耳にしたのは、侍女と翌日の予定を確認していた時だった。
最近、夜中に廊下で領主の姿を見かけることがある。声をかけても、眠れないだけだから気にしなくていいと言われる。そんな話を、侍女は困ったように教えてくれた。
(全く、一体真夜中に何をやっているのかしら)
アリシアは少し呆れた。
昼間は領地の仕事をして、夜になってもろくに休まず、そのうえ真夜中には屋敷の中を歩いているという。身体に良いはずがない。
昼間は領地の仕事をして、夜になってもろくに休まず、そのうえ真夜中には屋敷の中を歩いているという。身体に良いはずがない。
けれど、呆れたからといって放っておく気にはなれなかった。
眠れないのなら、何か理由があるのだろう。仕事のことを考えているのかもしれないし、ただ静かな部屋にいるのが落ち着かないのかもしれない。
ローゼンは、困っていても自分から誰かを頼るような人ではなかった。きっと今までも、一人で歩いて、一人で眠気が戻るのを待っていたのだろう。
それなら、今度は一人にしなければいい。
そう考えたアリシアは、その夜だけ少し寝不足をすることを決めた。
◇
そうして、何度目かの夜のことだった。
アリシアは眠気を堪えながら、そっと部屋の扉を開けた。
手には、小さなランタンを持っている。
昼間は使用人たちが忙しそうに行き交う廊下も、深夜になるとまるで別の屋敷のようだった。
静かだった。あまりにも静かすぎる。
暖炉の火がぱちりと音を立てるたびに肩が小さく震え、窓の外で風が吹けば、古い窓枠がかすかに軋む。その音だけが、広い屋敷の中へ妙に大きく響いていた。
ランタンの灯りが照らせる範囲も決して広くはない。
少し先へ目を向ければ、廊下の向こうは闇に溶け込んでしまう。昼間は何とも思わなかった長い廊下も、夜中になるとどこまでも続いているように見えた。
(思ったより怖いわね……)
アリシアは思わずランタンを持つ手へ力を込める。
南部の実家でも夜更かしをしたことはあったが、これほど大きな屋敷を真夜中に歩いた経験はない。誰もいない廊下を一人で歩いていると、物音ひとつで心臓が跳ねそうになる。
すると、不意に背後から声をかけられた。
「アリシアじゃないですか。こんな真夜中にどうしたんです?」
アリシアの肩が跳ねた。
危うく声を上げそうになり、慌てて口元を押さえる。手にしたランタンの灯りまで大きく揺れ、壁に映った影が一瞬だけ歪んだ。
恐る恐る振り返ると、そこにはローゼンが立っていた。
「もー!びっくりしたわ。ローゼンったらここで何をやっているのよ!私、心配して貴方を探していたんだからね!」
「ごめん。歩きながら考えるのがつい癖で……」
「それに、ダメだよ。そんな格好じゃ」
ローゼンは、自分の服装を見下ろした。
厚手とは言えない上着を一枚羽織っているだけだったが、屋敷の中を歩く程度なら十分だと思っていた。けれどアリシアは、まるで重大な問題を見つけたかのように小走りで近づいてくると、彼の袖をつまんで信じられないと言いたげに眉を寄せた。
「北国の人だからって、寒さに勝てるわけじゃないんだから。貴方はすぐ平気そうにするけど、ほら……手も冷たいし、肩も冷えてるし、絶対にちゃんと寒いでしょ」
「これくらい大丈夫だよ。心配しないで。それに廊下だけのつもりだったから」
「廊下も寒いの。特にこの辺り、窓から冷気が入るでしょう? 私、もう覚えたんだから。ほら、こっち来て。上着をもう一枚持ってくるから、そこで待ってて」
「そこまでしなくても……」
「します。私が気になるからします。あなたは領地のことなら小さな不安でも放っておかないのに、自分のことになると急に雑になるんだから。そういうところ、よくないよ」
そんなふうに言われると、ローゼンは強く断れなかった。
アリシアの言葉は明るく、少し勢いがあり、時には子どもを叱るようでもある。だが、その根にあるのはいつも心配だった。
ローゼンを責めたいのではない。
ただ、彼が寒い思いをすることも、眠れずに一人で歩き回ることも、放っておけないのだ。
「それに、あんまり夜中に屋敷中を歩き回るのは良くないよ。身体にも悪いし、一緒に戻ろう?」
アリシアはそう言って、ローゼンの袖をそっと掴んだ。
「ごめんね、アリシア。迷惑かけちゃって」
ローゼンがそう言うと、アリシアはきょとんとしたあと、すぐに首を横に振った。
「なーんも!大丈夫だよ。迷惑っていうなら、私が勝手に心配してただけだもん。貴方が謝るところじゃないよ。まあ、薄着で歩き回ったことについては、ちょっと反省してほしいけど」
「そこは反省するよ。君に心配をかけるつもりはなかったんだ。ただ、少し眠れなくて、部屋にいるより歩いた方が落ち着くかと思っただけなんだ」
その言葉を聞き、アリシアはローゼンの隣へ寄った。
肩をぎゅっと寄せ、少しだけ上目遣いに彼を見る。近づいたことで、ローゼンの身体に残っていた冷たさが、厚い服越しにも分かるような気がした。
「眠れない日があるのは、仕方ないよ。私だって、南部からここに来たばかりの頃は、風の音が気になってなかなか眠れなかったもん。窓が鳴るたびに、何かが外にいるんじゃないかって思ったし、暖炉の火が小さくなると急に寂しくなった。でもね、そういう時、一人で我慢してると、どんどん寂しくなるんだよ」
先ほどまで薄着を叱っていた時の勢いは少し弱まり、代わりに、触れれば壊れてしまいそうなものへ語りかけるような優しさが滲んでいた。
「だから、もっと私を頼って頂戴?貴方が全部一人で抱えようとするのは、あなたが優しいからだって分かってるよ。私に怖い思いをさせたくないとか、眠れない夜に付き合わせたくないとか、きっと色々考えてくれてるんだと思う。でもね、何も知らされないまま遠くに置かれる方が、私はずっと寂しいの」
ローゼンは、すぐには返事をしなかった。
窓の外で風が鳴り、冷気に押された窓枠が小さく軋む。けれど、先ほどまで一人で歩いていた時とは違い、その音はもうそれほど恐ろしくなかった。
ローゼンは視線を落としたまま、何かを考えるように息を吐く。
「……すみません。ありがとうございます。もしかしたら、気が滅入っていたかもしれません」
アリシアは小さく笑う。
「お礼を言われるようなことじゃないわ。婚約者なんだから、心配するのは当たり前でしょう?」
ローゼンは苦笑した。
「私は、あまり誰かを頼ることに慣れていないようです」
「知ってるわよ。だから、遠慮せずに私をもっと頼って?」
その言葉に、ローゼンは静かに頷いた。
その姿を見て、アリシアはいつ日かの、友人たちから言われたことを思い出す。
(……そういえば、それもあったわね)
アリシアはローゼンを見上げる。
「ねぇ、ローゼン」
「はい?」
「今日から、一緒に寝よ?」
ローゼンの動きが、ぴたりと止まった。




