初めてのお誘い
湿度高め注意
「えっ、そんなに驚くことだった?」
「ごめんね。あまりにも突然だったから、びっくりしたよ。でも、どうして?」
ローゼンはそう言いながら、アリシアの顔をまじまじと見つめた。冗談を言っているのか確かめようとしているのだろう。
けれど、アリシアは本気だった。
「もー!そんなの寂しいからに決まってるじゃない。それに、ローゼンの徘徊癖も、抱きしめていれば治るんじゃないかと思って」
言ってから、少しだけ頬が熱くなった。
勢いで言えば平気だと思っていたのに、いざ口に出してみると、思っていたよりもずっと照れくさい。抱きしめて眠るところまで想像してしまい、アリシアは誤魔化すように視線を逸らした。
「でも、私達はまだ夫婦では……」
ローゼンはそういうところに拘りを持っていた。
婚約者と夫婦は違う。正式に結婚式を挙げ、誓いを交わしてから夫婦になる。彼の中では、その順番をきちんと守るべきなのだろう。
「そんなの時間の問題よ。いずれ私が貴方の部屋に行くことになるなら、それがちょっと早くなるだけでしょう?」
「そう……だったんですね」
ローゼンは少し困ったような顔をした。
納得したわけではなさそうだったが、強く否定することもできないらしい。アリシアが自分を心配して言っていると分かっているからこそ、断り方に迷っているのだろう。
「朝に会って、おはようって言えるのは嬉しいけど、本当は眠る前にも、貴方の隣にいたいの」
アリシアは続けて話す。
「貴方がどんなふうに眠るのかとか、朝はどんな顔で起きるのかとか、寒い夜にちゃんと布団をかけているのかとか。そういう、小さなことを知りたいの。悩み事だって話したいし、私にも打ち明けてほしいのよ?」
アリシアは、自分の言葉が少し子どもっぽいかもしれないと思った。けれど、言い始めた以上、ここで引っ込める方が恥ずかしい。だから彼女は、頬の熱さをごまかすように、少し早口になった。
「……女性が男性の部屋に入る意味を分かっているのですか」
ローゼンは、先ほどまでとは違う真剣な顔でアリシアを見た。
その問いかけに、アリシアの表情が固まる。
次の瞬間、頬が明らかに赤く染まった。
「そ、そんなの分かっているわよ! 私だってそれなりの覚悟をしているのよ」
言い切ったものの、最後の方は少し声が上ずっていた。
勢いのまま一緒に寝ようと誘ったが、改めて意味を問われると、さすがに平然としてはいられない。けれど、ここで引き下がれば、ローゼンに本気ではなかったと思われてしまう。
それだけは嫌だった。
アリシアは赤くなった顔を隠すように少し俯きながらも、ローゼンから目を逸らさなかった。
「私と寝るのは、そんなに嫌なの?」
「い、いえ。そういう訳ではないのですが……」
ローゼンは慌てて否定した。
だが、その顔もアリシアに負けないくらい赤くなっている。暗い廊下を照らすランタンの灯りでも分かるほど、頬から耳まで熱を持っていた。
アリシアはそれに気づくと、少しだけ目を丸くした。
自分ばかりが恥ずかしがっているのだと思っていた。けれど、ローゼンも同じように戸惑っているらしい。
アリシアは一歩近づくと、両手を伸ばしてローゼンの頬へ触れた。
「顔、赤くなってるじゃない。お互い様ね」
触れた頬の熱ははっきりと伝わってきた。
アリシアも、自分から触れたくせに、急に何をしているのだろうと思った。
ローゼンは、しばらく何も言わなかった。
照れくさそうに視線を逸らし、それから小さく息を吐く。まるで観念したような表情だった。
「……分かった。君がそこまでいうのなら……」
「もう……なんでそう遠回しに言うのよ。ちょっと期待していた癖に」
アリシアはくすりと笑った。
その表情は、どこか嬉しそうだった。
断られるかもしれないと思っていたからこそ、ローゼンの返事が素直に嬉しかった。
「私からの誘いを受けてくれてありがとうね。これはお礼よ」
そう言うと、アリシアは背伸びをした。
そして、ローゼンの頬へそっと口づける。
ほんの一瞬の、軽いキスだった。
まるで時間ごと止まってしまったみたいに、頬へ触れられたまま、しばらく瞬きすらしない。
その反応を見たアリシアは、急に自分のしたことが恥ずかしくなった。
「……あ、今のは、その、ありがとうのキスだからね」
慌てて説明すると、ローゼンはようやく小さく瞬きをした。
「そ、そうよ!な、南部では、親しい人にすることもあるの。と、とりあえず細かいところは気にしないで。今もの凄く恥ずかしいから」
アリシアは真っ赤になった顔を両手で隠した。
勢いでやってしまったものの、改めて思い返すと、自分でも信じられないくらい大胆なことをしてしまった気がする。
一方のローゼンは、口づけられた頬へそっと手を当てたまま、呆然としていた。
「……本当に、君には敵いませんね」
「でしょう?」
アリシアは少し照れくさそうに笑う。
「じゃあ、行こ?」
「……どこへ?」
「それは勿論、寝室よ」
アリシアは当たり前のように答えた。
「ほら、今日はちゃんと眠るんでしょう?廊下を歩くのは終わり。約束ね?」
そう言って、ローゼンへ右手を差し出す。
ローゼンはその手を見つめ、小さく苦笑した。
そうして、アリシアはローゼンの部屋へと足を運ぶのだった。




