眠れない夜の温もり
ローゼンの寝室へ足を踏み入れたアリシアは、小さく部屋を見回した。
広さだけで言えば、領主の私室に相応しいものだった。
天井は高く、暖炉も大きい。窓には厚手のカーテンが掛けられ、吹雪の夜でも冷気が入り込まないよう工夫されている。本棚や机も上質な木で作られており、一つ一つの家具には長い年月使われてきた重厚感があった。
けれど、その部屋には生活感が驚くほどなかった。
壁には絵画も飾られていない上に、棚にも置物や花はなく、本棚に並ぶ本も必要最低限。机の上には書類が整然と積まれているだけで、趣味を感じさせるものは何一つ見当たらなかった。
まるで、ただ眠るためだけに用意された部屋。
そんな印象を受ける。
唯一、この部屋らしいと思えたのは、大きな寝台だった。
さすがは領主と言うべきか、一人で眠るには十分すぎるほど広い。大人が何人か寝転んでも余裕がありそうなほどの大きさで、厚い羽毛布団もふかふかとしている。
アリシアは寝台へ近づき、その大きさへ思わず目を丸くした。
「……思ったより何もないわね。断捨離でもしているのかしら?」
ローゼンは苦笑しながら首を横へ振る。
「そういう訳ではないですよ。自分にとって、この部屋は身に余るくらい広いのです」
そう言って部屋を見渡す横顔は、どこか当然だと言いたげだった。
必要なものだけあれば十分。
そんな考えが、そのまま部屋にも表れているのだろう。
アリシアはそんな寝室をもう一度ゆっくり眺め、それからにっこりと笑った。
「今度で良いから、私の部屋からちょっとだけ持ってきても良い?」
「えぇ……構いませんけど」
アリシアは満足そうに頷くと、そのまま大きな寝台へ腰を下ろした。
厚い羽毛布団が、身体の重みを受けてゆっくりと沈む。見た目どおり柔らかく、疲れまで吸い取ってしまいそうだった。
「すごい。ふかふかね」
「北国の夜は冷えますから」
「それにしても大きいわ。これなら二人で寝ても余裕ね」
何気なく口にしたつもりだったが、ローゼンの動きがわずかに止まった。
アリシアはそれに気づき、少しだけ頬を緩める。
「何よ。今さらでしょう?もう遅いわよ」
「そうですね……」
ローゼンは観念したように答えたものの、やはり落ち着かないらしい。寝台の脇に立ったまま、どこへ座ればよいのか迷っているようだった。
「ほら、座って」
アリシアが隣を軽く叩くと、ローゼンは一瞬ためらった後、少し距離を空けて腰を下ろした。
その距離が妙に他人行儀で、アリシアは思わず笑ってしまう。
「そんなに端にいたら、落ちるわよ」
「落ちませんよ」
「そういう問題じゃないの。もっとこっち」
アリシアはローゼンの袖を掴み、自分の方へ少し引いた。
近づいたことで肩が触れそうになる。
それだけのことなのに、二人とも妙に黙り込んだ。
先ほどまで廊下であれほど勢いよく話していたのに、いざ寝室へ入ると、急に自分たちの距離を意識してしまう。
アリシアは照れくささをごまかすように、靴を脱いで寝台の上へ上がった。
アリシアは寝支度を終えている。
身にまとっているのは、足首まで届く白いリネンの寝間着だった。ゆったりとした長袖は手首でふわりと細まり、柔らかな布地が身体の動きに合わせて静かに揺れる。襟元は控えめに開き、小さな紐で軽く結ばれているだけの質素な作りだが、丁寧に織られた布は肌触りがよく、北国の長い夜にも心地よさを与えてくれた。
寒さを避けるため、その上からは淡いクリーム色の厚手のウールガウンを羽織っている。裾は歩くたびにゆるやかに揺れ、袖口には小さな白い刺繍が施されていた。
長い髪は一日の終わりらしくゆるく編まれ、肩から胸元へと流れている。そして、暖炉の灯りに照らされた横顔は、どこか穏やかで優しい温もりをまとっていた。
大きな寝台とはいえ、隣に誰かがいるというだけで、部屋の空気はこれまでとまるで違って感じられた。
アリシアはしばらく仰向けになっていたが、やがて身体の向きを変えた。
そして、遠慮する様子もなく、ローゼンの方へぐっと近づいていく。
「……アリシアさん?」
「だって、抱きしめていれば夜中に歩き回らないかもしれないでしょう?」
そう言うと、アリシアはローゼンの腕の中へ入り込むように身体を寄せた。
肩から胸元まで、ほとんど隙間がなくなるほど近い。頬を彼の胸元へ預け、片腕を身体へ回す。厚い寝間着越しでも、ローゼンの体温と、少し速くなった鼓動が伝わってきた。
ローゼンは、腕をどこへ置けばよいのか分からず、掛け布団の上で中途半端に浮かせたまま動かない。
アリシアはそんな彼の戸惑いを気にする様子もなく、さらに身体を密着させると、満足そうに小さく息を吐く。
アリシアはそのまま両腕を伸ばし、ローゼンを優しく抱きしめた。
胸元へ寄り添うアリシアの温もりは、暖炉の火よりも温かく感じられた。
恐る恐る、ローゼンも腕を動かす。
壊れ物へ触れるように、ゆっくりとアリシアの背中へ腕を回した。
「……ありがとう」
その声は、ひどく小さかった。
アリシアは返事の代わりに、もう一度だけぎゅっと抱きしめる。
その時、アリシアは自分の肩へ、何か温かなものがぽろりと落ちたことに気づいた。
しかし、アリシアは何も聞かず、そのまま彼を抱きしめ続けたのだった。




