街で既成事実を作った方が良いのでは!?
クライゼン家の屋敷からほど近い場所にある街――オーラス。
そこは数万人もの人々が暮らす、北部では最大規模を誇る街だった。
雪に覆われた石造りの建物が整然と並び、煙突からは絶えず白い煙が立ち上る。大通りには荷馬車が行き交い、市場では朝から商人たちの威勢の良い声が響いていた。寒さの厳しい土地ではあるが、人々の活気だけは王都にも負けていない。
アリシアは目を輝かせながら、その景色を見渡した。
「すごい……!」
思わず漏れた声に、ローゼンが小さく微笑む。
「この辺りでは一番大きな街です。屋敷から南下した場所にあるんですよ」
二人が大通りへ姿を現した、その時だった。
「もしかして、ローゼン様ですか!?」
一人の女性が声を上げた。
その声をきっかけに、周囲の人々が一斉に振り返る。
「あ、本当だ!」
「領主様だ!」
「ローゼン様、おはようございます!」
「今日は街へ来てくださったんですね!」
次々と人が集まり始めた。
パン屋の主人が店先から顔を出し、買い物帰りの夫婦が足を止める。子どもたちは嬉しそうに駆け寄り、仕事へ向かう職人たちまで笑顔で頭を下げた。
ローゼンは一人一人へ穏やかに頷き返し、声を掛けられれば足を止めて短く言葉を交わす。
「おはようございます。ローゼン様!」
「今年の冬はどうですか?パン屋は順調ですか?」
「今年は大分良い方ですよ!小麦の備蓄もまだありますからね。一昨年の凶作から持ち直しましたよ」
パン屋の主人は、嬉しそうにそう答えた。
「それは良かったです。何かあったら、お互い助け合いましょう」
「いえいえ、とんでもない!領民として助けられてばかりじゃ顔が立ちませんからな。ハハハ!」
主人は慌てたように両手を振った。
領主であるローゼンから助け合おうと言われたことが、恐れ多かったのかもしれない。けれど、その顔はどこか嬉しそうでもあった。
「それで、ローゼン様のお隣にいらっしゃる方は……?」
主人の視線が、ようやくアリシアへ向けられた。
問いかけられたアリシアは、待っていましたと言わんばかりに一歩前へ出た。
町へ着いてからというもの、集まってくる人々は皆ローゼンへ声をかけていた。もちろん、それ自体は嬉しい。彼が領民から慕われていることもよく分かった。
けれど、いつまでもローゼンの隣で黙って立っているだけでは、自分が誰なのか分かってもらえない。
せっかく北国の人々に会えたのだ。ならば、ここで遠慮する必要はない。
アリシアは大きく息を吸い込んだ。
「皆さん~~!初めましてー!!ローゼン様の妻になる予定のアリシアでーす!」
アリシアの声が、雪の積もる大通りいっぱいに響き渡った。
パン屋の主人だけでなく、近くに集まっていた者たちまで一斉に目を丸くする。店先で商品を並べていた商人も、通りを歩いていた夫婦も、遊んでいた子どもたちも、何事かとこちらを振り返った。
そう。アリシアは民に対し、既成事実を作ることにしたのだ。
この男、ローゼンは何かと遠慮がちなところがある。結婚式を待つ間に、また余計な心配をして気持ちを変えてしまわないとも限らない。ならば、この街に暮らす人々へ、自分がローゼンの妻になる予定だと先に広めておけばいい。
そうすれば、少しくらいは後戻りしにくくなるはずだった。
「おおおおお!ローゼン様!!ついに!!ついにですね!?」
「ま、待ってください。まだ婚約の段階で」
すると、アリシアが横から水を差した。
「あら?道中に一緒に手を繋いでおいてそんな事を言うのかしら?あぁ、酷いわ!ローゼン!!私をその気にさせておいて、捨ててしまうのね!?」
アリシアは大げさに胸元へ手を当て、悲しげに顔を伏せてみせた。
もちろん、本気で傷ついているわけではない。しかし、事情を知らない民衆たちには十分だった。
「ローゼン様!それは駄目ですぞ!」
「こんな可愛らしい婚約者を泣かせるなんて!」
「ちゃんと結婚して差し上げてください!」
「奥様を逃したら、もう次はありませんよ!」
あちらこちらから、ぶーぶーと非難の声が飛ぶ。
ローゼンは完全に言葉を失っていた。
弁明しようにも、民衆はすでにアリシアの味方である。先ほどまで領主を慕って集まっていた者たちが、今では一斉に結婚を迫っているのだから、彼もどう対応すればよいのか分からないのだろう。
「……アリシア」
ようやく口を開いたローゼンは、困ったように彼女を見た。
「なぁに?」
「まだ妻ではないですよ」
「あら。でも、なる予定でしょう?」
アリシアは悪びれる様子もなく、にっこりと笑う。
「それは……そうかもしれませんが……」
「なら、少しくらい早く紹介しても問題ないわよね!」
そう言い切ると、周囲からどっと笑いが起こった。
「はっはっは!奥様の言う通りですな!」
「ローゼン様も観念してください!」
「こんな明るい奥様なら、街ももっと賑やかになりますよ!」
口々にそんな声が飛び交う。
ローゼンはしばらく言葉を探していたものの、最後には小さく息を吐き、苦笑するしかなかった。
そんな婚約者の様子を見て、アリシアは満足そうに微笑む。
こうして彼女は、ものの五分で民の心を鷲掴みにしたのだった。




