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婚約破棄をしたがっている北国の孤独な彼に、愛をたくさん注いでみた  作者: 入多麗夜


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22/23

失った命と守るべき命

 二人は、山の麓を後にした。来る時よりも、道は少し明るく見えた。


 しばらく、二人は何も話さず歩いていた。

 先に口を開いたのは、ローゼンだった。


「三年前、この国と近隣諸国との間で戦争が起きたことは知っているね」

「ええ。南部にも、その話は届いていたわ」

「北国は、あの戦争の最前線だったんだ」


 三年前、国境を越えてきた敵軍を食い止めなければ、その先にある領地や町も戦火に呑まれてしまう状況の中、ローゼンは北国の兵を率い、北部先遣隊と共に戦い続けた。


 戦況は決して良いものではなかった。


 兵の数も物資も十分ではなく、厳しい寒さの中で、いつ終わるとも分からない戦いに耐えなければならなかった。それでも、北国の軍は退かず、北部先遣隊が前線を支え、ローゼンの軍もどうにか持ち堪え続けていた。


「停戦が決まった時、敵軍を領内の奥へ進ませることもなかったから、皆は勝ったのだと言ったよ」


 ローゼンはそこで言葉を切った。


「けれど、北部先遣隊で帰ってきたのは、ベインだけだった」


 アリシアは息を呑んだ。


 墓地に並んでいた、風雪に晒された十字架。その一つ一つが、ローゼンと共に前線で戦った者たちのものだったのだ。


「当時、先遣隊を率いていたのは私だった。ベインも、あそこに眠る者たちも、皆、私の部下だったんだ」


 停戦まで前線を支えたことによって、多くの町と領民が救われた。その事実はローゼンにも分かっている。彼らがいなければ、北国だけでなく、その先にある土地まで戦火が広がっていたかもしれない。


 それでも、結果だけを見て納得することはできなかった。


「私が命令を出して、彼らはそれに従った。結果がほぼ全滅なんだ」


 北国を守った領主。

 戦争を耐え抜いた英雄。


 人々はローゼンをそう呼んだ。だが、称えられるたびに、彼は帰らなかった部下たちの顔を思い出した。


「時々、分からなくなるんだ。なぜ、私は生きているのだろうと。未来を望んでいた者がいた。家族や婚約者が帰りを待っていた者もいた。それなのに、彼らを率いていた私が生き残り、彼らだけがあそこに眠っているんだ。やるせない話だ」


 しばらくの沈黙のあと、ローゼンは押し殺すように続けた。


「本当なら、私もあそこにいるべきだったのかもしれない」

「ローゼン」


 アリシアは、ローゼンの手をそっと離すと、彼の後ろへ回った。そして、その背中に額を寄せるようにして、両腕を回した。


 ローゼンは息を止めた。


 背中に、アリシアの温もりがある。外套越しでも分かるほど、確かな温かさだった。彼女の腕は細く、力も強くはない。それでも、今のローゼンをその場に繋ぎ留めるには十分だった。


「貴方が後ろめたい気持ちは分かるよ。簡単に忘れられるものじゃないし、きっと誰に何を言われても、貴方はこれからも考えてしまうんだと思う。でもね、救われた命にも目を向けて欲しい。私だって南部の生まれだけれども、貴方たちが北部で奮闘していなければ、今頃、死んでいたのかもしれないのよ。戦火が広がれば、北も南も関係なかったでしょう? 誰かが止めなければ、私の家も、私が知っていた町も、全部なくなっていたかもしれないわ」


 ローゼンの肩が、かすかに震えた。


「貴方は、救えなかった人たちのことばかり見ている。でも、救えた人たちも確かにいたの。北国が守られたから、今も家族と笑って暮らせている人がいる。その人たちまで『いなかったこと』にしないで」


 ローゼンは、すぐには言葉を返せなかった。


「それに、私がなんで貴方についていったと思っているの」


 アリシアは、ローゼンの背中に額を寄せたまま、少しだけ声を柔らかくした。


「彼らがいなかったら、この子もいなかったから。ちゃんと感謝を伝えようと思ったの」


 そう言って、アリシアはそっと腕を緩めた。


 ローゼンが振り返ると、アリシアは彼を見上げていた。頬は少し赤く、けれどその目は真っ直ぐだった。そして彼女は、厚い外套の上から、自分のお腹へ静かに手を添えた。


 ローゼンは、その仕草の意味をすぐには理解できなかった。いや、理解したくても、頭が追いつかなかった。


「まさか、アリシア……!」


 声が掠れた。


 アリシアは、そんな彼の反応を見て、少しだけ照れたように笑った。


「あら、毎日、貴方と同じ部屋にいるのよ。それくらいは分かっていた事でしょう?」


 いつものような軽い調子だった。けれど、アリシアはどこか嬉しそうだった。


 ローゼンは息を呑んだまま、アリシアを見つめた。


 彼女の手が触れている場所。まだ目に見えて分かるほどではない。けれど、そこに新しい命があるのだと、彼女は言った。


 自分の子が。自分とアリシアの子が。


 ローゼンの胸に、言葉にならないものが込み上げた。喜びなのか、恐れなのか、安堵なのか、分からない。ただ、胸の奥が強く揺れて、足元の雪解けの道さえ遠く感じた。


「……本当に?」


 ようやく出た声は、ひどく頼りなかった。アリシアは頷いた。


「うん。本当。まだ皆には言ってないけど、先に貴方にはちゃんと言いたかったの。なのに、貴方ったら朝早くに一人で出て行こうとするんだもの。もう、びっくりしたんだからね」

「すまない……いや、違う。今は、謝るところではないね」

「そうだよ。今は謝るところじゃありません」


 アリシアは少しだけ得意げに言った。

 ローゼンは、一歩近づいた。


 触れていいのか分からなかった。抱きしめたい。けれど、強く抱きしめてはいけない気もした。そんな迷いが表情に出ていたのだろう。アリシアは小さく笑って、両腕を広げた。


「そんなに困らなくても大丈夫だよ。抱きしめるくらいなら、してくれていいの」


 その言葉で、ローゼンはようやく動いた。


 アリシアを、そっと抱きしめる。

 強くはできなかった。壊れ物に触れるように、けれど離したくないという思いだけは抑えきれず、彼女の背に腕を回す。アリシアは彼の胸元に頬を寄せ、満足そうに息を吐いた。


「……アリシア」

「うん」

「父親になれるだろうか」


 アリシアは、彼の胸元に額を寄せたまま答えた。


「なれるよ。最初から完璧じゃなくていいの。私だって、母親になるのは初めてだもの。二人で少しずつ覚えればいいよ」


 アリシアは、彼の腕の中で顔を上げた。


「良い?貴方は生きなきゃいけないのよ。民の為に、私の為に、そしてお腹のこの子の為に」


 ローゼンはゆっくりと息を吐き、アリシアの肩にかかっていた外套を少し直した。山の麓から吹いてくる風はまだ冷たい。雪解けの日とはいえ、彼女には十分すぎるほど寒いはずだった。


「帰ろう、家に。……もう少し厚いものを着せておけば良かったと思っている」


 アリシアは、ぱちりと瞬きをしたあと、少しだけ照れたように笑ったのだった。

この後、ローゼンさんは情緒がぐちゃぐちゃになって、陰でこっそりと泣いていました

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