仲直りの証
アリシアさんがとんでもない事を暴露する回です
アリシアは扇で目元を隠したまま、素直についていった。
もちろん、泣いてはいない。
だが、泣いているふりを続けたまま連れて行かれるのは、なかなか悪くなかった。周囲からは、彼に宥められている婚約者に見えただろう。実際には、夜の話を大声で暴露しかけたアリシアを、彼が慌てて避難させているだけなのだが。
ローゼンは人目がないことを確かめてから、ようやくアリシアの手を離した。
「アリシア」
「何よ」
アリシアはまだ扇を目元に当てたまま答えた。
ローゼンは深く息を吐く。
「まず、泣いていないね」
「泣いているわ」
「その割には涙が出ていないようだね」
「心では泣いているの」
「その割には、かなり楽しそうに聞こえる」
「あら、そう?」
アリシアが扇を少し下ろすと、ローゼンは本当に困ったようにこちらを見ていた。
その様子が可愛くて、アリシアは少しだけ口元を緩める。
「全く……君は、どうしてあんなことを言うんだ」
「貴方が変なことを言うからでしょう?」
「ごめん、嫉妬していた」
あまりにも素直に言われたので、アリシアは一瞬だけ言葉を失った。
さっきまで、心配だの、変な男だの、家名や噂を利用する者がいるだの、ずいぶん遠回しなことを言っていたくせに、二人きりになった途端にこれである。そういうところがずるいのだ。こちらがもう少し文句を言おうとしていたのに、先に謝られてしまうと、怒るに怒れなくなってしまう。
アリシアは扇を閉じたまま、そっと周りを見た。
右を見る。誰もいない。
左を見る。こちらも誰もいない。
硝子扉の向こうから舞踏会の音楽は聞こえているが、バルコニーには二人だけだった。アリシアはそれを確認すると、少し背伸びをして、ローゼンの唇にキスをする。
「ん……アリシア。何をしているんだ」
ローゼンは小さく息を詰めた。
冷静な北国の領主とは思えないほど、分かりやすく動揺している。その反応が可愛くて、アリシアは満足げに微笑んだ。
「良いじゃない。これでおあいこね?」
「おあいこ?」
「ええ。貴方は私に変な疑いをかけました。私は人前で少し言いすぎました。だから、おあいこ。仲直りの印よ。それに、これで私に変な虫が付かないから結果オーライじゃない?」
アリシアが胸を張って言うと、ローゼンは目を伏せて、静かに息を吐いた。
「結果オーライ、なのかい?」
「そうよ。だって、王都の舞踏会で北国領主の婚約者に近づくと、私達の熱い事情を聞かされるかもしれないって広まるでしょう?」
「それはそれで、かなり問題があるとは思うけどね」
アリシアは改めて、ローゼンを押し潰してしまうかくらいに強く抱きしめ直した。
「愛しているよ、ローゼン。本当の本当に」
「ありがとう。ただ、舞踏会で夜の話をするのは控えてほしい。社会的に死んでしまいそうだ」
大広間に戻れば、また彼は北国の領主らしい顔をするだろう。周囲から見れば、何事もなかったように見えるかもしれない。
けれどアリシアは知っている。
この人は嫉妬するし、心配もする。そして、少し泣いたふりをしただけで慌てて手を取ってくれる優しい男なのだと。
アリシアはそれが、とても愛おしかった。
「そろそろ戻りましょうか」
「戻れると思うかい?帰ろうと思ったよ?」
「大丈夫よ。堂々としていればいいの」
アリシアがそう言って身を離そうとすると、ローゼンの腕がほんの少しだけ緩むのをためらった。
それに気づいて、アリシアはにっこり笑う。
「あら。離したくないの?」
「……少しだけ」
「まあ」
アリシアは一瞬だけ目を丸くした。
それから、嬉しくなってもう一度ローゼンに抱きついた。
「ええ。とてもいいわ」
夜風の冷たいバルコニーで、二人はもう少しだけそのままでいた。大広間では音楽が続き、王都の貴族たちはきっと、北国領主とその婚約者の妙な口論についてひそひそ話を始めているに違いない。
けれど、アリシアは気にしなかった。
喧嘩というには甘すぎて、惚気というには少し騒がしい。
それでも、これは確かに初めての喧嘩だった。そしてアリシアは、その相手がローゼンでよかったと、心の底から思っていた。
舞踏会へ戻ったあと、アリシアは心配して声をかけてきた知人に、何食わぬ顔で微笑んだ。
「大丈夫ですわ。少し夫婦喧嘩のようなものをしただけですもの。バルコニーで彼が私を抱きしめてくださって、愛していると何度も……いえ、一度でしたけれど、とても深く言ってくださいましたから。もうすっかり仲直りしましたわ」
隣でローゼンが、恥ずかしそうに目を閉じた。
「アリシア」
「なあに?」
「……帰ろう」
「あら、まだ曲は残っているわよ?」
「これ以上いると、君が何を話すか分からない」
そう言われて、アリシアは楽しそうに笑った。
結局、その夜、アリシアとローゼンは少し早めに舞踏会を後にした。
そして翌日、王都には「クライゼン家は、婚約者を妻のように愛しており、喧嘩をしても結局ただの惚気になるらしい」という噂が広まった。
ローゼンはしばらく舞踏会に行けないと頭を抱えたが、アリシアは少しも気にしなかった。
何しろ、誤解ではなかったのだから。




