北部先遣隊、そしてアリスの……
青年は玄関広間へ入ると、ローゼンとベインの前で姿勢を正した。雪の中で待っていたためか、外套の肩や髪にはまだ細かな雪が残っている。
「はっ!ベイン様。ローゼン様、本日はありがとうございます。私はエドガー・ウェールズと申します!」
声には少し緊張が滲んでいたが、挨拶ははっきりとしていた。
エドガーは、まだ十代の若い青年だった。
年頃は十八、九ほどに見える。顔立ちには少年らしさが残っていたが、身体は北国の兵士らしく引き締まっている。短く整えられた栗色の髪には細かな雪が残り、澄んだ灰色の瞳は緊張しながらも真っすぐこちらへ向けられていた。
端正というより、素朴で誠実そうな印象の青年だった。口元にはまだ幼さがあり、立派な軍装を身につけていても、どこか初々しさが抜けきっていない。
それでも腰に佩いた剣や、冷えた外套の下から見える鍛えられた体つきから、北部先遣隊の一員として日々訓練を積んでいることは十分に伝わってきた。
アリシアはエドガーの緊張を和らげるように、明るく微笑んだ。
「初めまして。私はアリシア・レインフォードです。よろしくね!」
そう言って気さくに右手を差し出すと、エドガーは一瞬戸惑った後、慌ててその手を取った。
その後、ローゼンとベインは場所を応接室へ移し、しばらく談笑を続けていた。
二人には、積もりに積もった話があるらしい。北部の警備状況や隊の近況だけでなく、昔の任務で起きた事や、今では笑い話になっている出来事まで、話題は次々と変わっていった。
どうやらローゼンも、かつて北部先遣隊を直接指揮していた時期があったらしい。その頃は領主としての役目を果たしながら、隊長まで兼任していたという。
ベインとは、その時からの仲間だった。
戦場でも、国境警備でも、幾度となく背中を預け合ってきたのだろう。二人の会話には長い付き合いの者にしか分からない気安さがあり、普段は静かなローゼンも、ベインを前にすると少しだけ口数が増えていた。
そんなふうに話へ夢中になっている二人を見ながら、アリシアは隣に座るエドガーへ声をかけた。
「ねぇ、貴方ってウェールズなのよね!アリスって子は知っているかしら?」
「あぁ、アリスさんですか。私の妻です。もしかしてお知り合いですか?」
「えぇ!そうなのよ!いつもお世話になっているの!」
「そうでしたか。彼女がいつもお世話になっています」
エドガーはそう言って、丁寧に頭を下げた。
その返事を聞いたアリシアは、驚きに目を丸くする。
そう。目の前にいるエドガーこそ、アリスが王都を離れてまで選んだ夫だったのだ。
アリスから夫の話を聞くことは何度もあったが、実際に会うのは初めてだった。
話の中では、いつも穏やかで優しく、少し照れ屋なのだと言っていた。その言葉どおり、エドガーは礼儀正しく、大人しい性格をしているようだった。
勢いのまま想いを伝え、周囲を驚かせながら恋を実らせたアリスとは、性格が随分と違う。
「もしかしたら、アリスさんからお話を聞いているかもしれませんが、私は王都の平凡な一般市民です。そんな自分が彼女と出会い、こうして夫婦になれたことは、今でも夢のように思う時があります」
エドガーは少し恥ずかしそうに笑った。
「初めは、伯爵令嬢である彼女と自分が釣り合うはずがないと思っていました。好意を持つことさえ失礼なのではないかと考えて、何度も距離を置こうとしたんです」
けれど、アリスは諦めなかったらしい。エドガーが離れようとすれば追いかけ、身分が違うと言えば、それが何だと笑った。しまいには人通りのある場所で突然口づけをされ、返事をするより先に交際が始まっていたという。
「彼女は、私が何を言っても聞いてくれませんでした。自分が私を好きなのだから、それで十分だと」
「アリスらしいわね……」
アリシアが思わず笑うと、エドガーも困ったように眉を下げた。
「私は今でも、彼女に相応しい人間になれたとは思っていません。それでも、彼女が選んでくれたことだけは疑わないようにしています。身分や生まれではなく、私と一緒に生きたいと言ってくれた。その気持ちに応えられる夫でありたいと思っています」
そして今では、アリスの勧めで北部へと移り、兵士として北部先遣隊に身を置き、アリスとの暮らしを守るために日々任務へ励んでいるのだという。
「北部先遣隊なのでしょう!十分立派じゃない!?」
アリシアが身を乗り出すようにして言うと、エドガーは少し困ったように笑った。
「そうはいいますが、私はまだ新米です。先遣隊の皆さんと比べたら、まだまだですよ」
その言い方には謙遜だけでなく、周囲への尊敬が滲んでいた。
北部先遣隊へ所属していることを誇りには思っている。けれど、それだけで自分を大きく見せようとはしない。自分より経験を積んだ者たちがいることも、まだ学ばなければならないことが多いことも、きちんと分かっているのだろう。
「そうは言っても、先遣隊に選ばれている時点で凄いと思うわ」
「ありがとうございます。ですが、今は皆さんについていくだけで精一杯です」
エドガーはそう言って、照れくさそうに頬を掻いた。その表情には、先ほどまでの軍人らしい緊張よりも、年相応の若さが表れていた。
◇
やがて、ローゼンとベインの話もひと段落したようだった。
ベインはゆっくりと立ち上がり、ローゼンへ向き直った。
「では、私達はこれで。本日はどうもありがとうございました!」
そう言って一礼すると、ふと思い出したように笑みを浮かべる。
「それと、ローゼン様。山の麓の件は忘れないで下さいよ!」
その言葉に、ローゼンは静かに頷いた。
「はい。分かっています。雪解けの時期になったら行く予定です」
「それは良かった」
ベインは安心したように笑うと、隣にいたエドガーへ声を掛けた。
「じゃあ行こうか、エドガー」
「はい!」
エドガーは勢いよく返事をすると、二人で玄関の方へ歩いていく。
そして玄関前まで来ると、エドガーは改めて姿勢を正し、ローゼンとアリシアへ深々と頭を下げた。
「本日はありがとうございました。アリシア様、ローゼン様。どうか末永くお幸せにお過ごし下さい」
その真っ直ぐな祝福の言葉に、アリシアは自然と笑みを浮かべた。
「こちらこそ、ありがとう。またアリスと一緒に遊びに来てね!」
「はい。その時は彼女もきっと喜びます」
そう言ってエドガーも柔らかく笑う。
ベインとエドガーは最後にもう一度一礼すると、屋敷を後にしたのだった。




