あなたを包んで くれること祈って
あくる日の放課後、部室で鈴華が何気なく切り出した。
「ねえ、峠先生って、何がそんなに凄い人なの?キャリアの長い大御所ってことは分かるけど、私はこれまで縁がなくてさ」
「よくぞ聞いてくれました!」
美都梨の目が、瞬時にして輝きを帯びた。
「えーとね、先生は歌い手、ギター奏者、作曲家、プロデューサーとして、どれも一流のミュージシャンなんだ。その魂はロックでありながら、生み出される作品は洗練されたお洒落な街の雰囲気でね。作曲はもちろん、アレンジ力も抜群でさ。40年代から70年代のアメリカ音楽、特にブラックミュージックの影響を受けて磨かれた音楽的ルーツのある人なんだ」
「おー」と、鈴華が相槌を打つ。
「そうそう、峠先生は実はね、学生時代にブラスバンドのドラマーだったんだよ。それもあって、パーカッションのこだわりも尋常じゃないんだ」
「う、うん。情報量多過ぎて……。元ドラマーってところだけは覚えた」
美都梨のオタクぶりにまだ抗体を持たない鈴華は、たじろぎながら答えた。
自分と同じドラマーだったという境遇には、彼女も少しだけ親近感を覚えていたようだ。
「それこそ私にとっては、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、峠先生だよ!それぐらいの凄さなんだ。……まあ個人的には、バッハよりヘンデルが好きだけど」
ロックミュージシャンを、学校の音楽室に肖像画が飾られる作曲家と並列に並べる様は、大胆かつ得意げである。
「美都梨は古典派が好きなのね……。確かに美都梨ならば、厳格なバッハよりも、より人間味のあるヘンデルの方が似合いそうだわ」
思わず吹き出す文乃に、美都梨は嬉しそうに返す。
「そうそう。って文乃、そこじゃないしー」
「私はクラシックも縁遠いけど、取り敢えずレベチなミュージシャンってことは分かったよ。そんな人生の目標に、美都梨は小学生で出会ったんだね」
鈴華が言う。
「そだよー。もし先生が使ったエフェクターを手に入れたら、神棚に飾っちゃうよ。私にとっては神器だからね。ギターならば桐の箱に入れて祀るレベルだよ。笑」
「すごっ。扱いがガチ過ぎて脳がバグるわ」
鈴華が呆れたように笑う。
「まあ、本当に欲しいのはあの方の脳やセンス、ギターを握る手や声帯だったりするけどね。こればかりはどんな大富豪にも買えないから」
ミュージシャンとしての憧れを正直に吐露する様には、最大限のリスペクトが滲み出ている。
「そりゃそうだ」
「……いや、秘匿された闇の科学技術をもってすれば、手ならば移植可能だったりして?」
「え、美都梨?」
鈴華が眉をひそめる。
「手が4本になれば、一人でギターが2つ弾ける。リードとバッキングを一人で……。いや待てよ、そこは敢えてベースとギターの2台持ちでもイケる……?」
「うっ、美都梨……。想像すると流石に気持ち悪いよ」
鈴華が正直なお気持ちを表明する。美都梨が持つ独特の世界観は、出会って間もない初心者には刺激が強過ぎた。
「美都梨ー、現実世界に戻って来てー」
たまに発作を起こす親友に対応すべく、文乃が声を掛ける。
「また変なこと考えちゃったよ。あはは」
美都梨はそう自分で笑い飛ばした。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
方向違いの鈴華と別れ、二人きりになった美都梨と文乃。
並んで歩く道すがら、文乃が意外なことを言い出した。
「ねえ美都梨、そんな年代モノのヴィンテージギターを、こんな薄いバッグに入れて持ち歩いていて大丈夫なの?」
彼女の視線の先には、美都梨が中学時代から使っている、ペラペラのナイロン製ギターケースがあった。
安価で重量も軽いのが長所ではあるが、ヴィンテージギターを持ち運ぶには守りが手薄なのは明らかだ。
「……言われてみれば、確かに」
美都梨はハッとして、ケース越しにブラウンの硬いボディの感触を確かめた。
もし通学電車の中で誰かにぶつかられたら。もし誤って壁にぶつけてしまったら。
想像しただけで背筋が凍る。
「この子に何かあったら、三日は寝込んじゃうよ」
「すぐに分厚いクッションの入ったギグバッグに買い替えた方がいいわ。善は急げよ。ストラディヴァリウスを運ぶのに、バッグの値段をケチる理由はないでしょ?」
文乃の口調は、いつになく真剣だった。
「ストラディヴァリウス?それって、一つ数億円とかする伝説のヴァイオリンだよね?」
「そうよ。このギターは、美都梨にとってそれぐらいの価値があるものでしょ」
文乃の真っ直ぐな瞳に見つめられ、美都梨は深く頷いた。
「文乃の言う通りだよ。ブラウンは、私にとってのストラディヴァリウスなんだ。ましてやジッちゃんの形見で、信玄公のお導きで手に入れたものなんだから、そこに値段なんて付けられないよ」
「……信玄公?お導き?」
文乃が首を傾げる。
「えーとほら、もし壊したら信玄公に怒られちゃうぞってね」
きょとんと見つめる文乃に、美都梨は慌てて誤魔化そうとするが、流石に無理がある言い訳である。しかし幸いにして、大親友の文乃からも「不思議ちゃん認定」されている美都梨の発言は、時々ある変な発言の一つとして、それ以上は追求されなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
その晩、美都梨は自室のベッドに寝転がりながら、スマートフォンで耐久性に優れるギグバッグを血眼になって検索した。
商品案内の動画では、ギターを入れた状態のバッグを高いところから地面に叩きつけても、中のギターには傷一つ付かないほどの異常な丈夫さを謳っている。
いくらなんでもやりすぎではないかとも思ったが、いやいや、ストラディヴァリウスたるブラウンを守るためだ。これくらい過剰でもちょうどいい。
お小遣いから捻出するには痛い出費だったが、突如空から降ってきた数十万円相当のヴィンテージギターを思えば、安い投資だと自分を納得させた。
数日後、家に届いた巨大な段ボールを開けると、中から出てきたのは黒一色のひどく無骨なギグバッグだった。
分厚い緩衝材が詰め込まれたナイロン生地は硬く、ジッパーの金具もやたらとゴツい。もちろん分かって頼んではいるのだが、それでも、およそ女子高生が背負って歩くような可愛い代物ではない。「プロ仕様」――まさにそんな単語が相応しい威圧感があった。
しかしよくよく考えれば、ブラウンが醸し出す玄人感も同じではないか。
長年使い込まれた焦茶色のテレキャスターなんて、おおよそ女子高生が携えるには不似合いな、完全なる玄人ロックオヤジ寄りの機材だ。
いや上等だ、職人を目指しているのだから。玄人で良し、無骨で良し。この分厚い装甲の中でブラウンを守り抜き、いつか必ず、あの方と同じ職人の音を鳴らしてやる。
重厚なギターと、それを守る無骨なバッグ。
それは、彼女が音楽の道を進むという、覚悟の象徴だった。




