夜明けがまたたいてる
いつかバンドを組めたら……。
前々から漠然と思っていたことではあるが、神社で信玄に促されてから、その思いは確固たるものと化した。今の時代、打込みによる音楽制作ならば一人でも十分に可能である。だが生身の人間が集まって行うバンド演奏、そしてそこでしか表現できない独特のニュアンス、そのグルーヴは機械で再現できない。なにより敬愛する峠先生がバンド出身者であるように、自分も仲間を募り、共に響かせてみたい。
一から仲間を集めて、一緒に音楽を作り上げる。そんなことが、自分にできるのだろうか。
シティポップは決して、令和を生きる高校生のメインストリームではない。どちらかといえば知る人ぞ知る、祖父母世代の音楽だ。80年代の若者文化と言われても、肩パッドの入ったスーツでディスコに出入りしていたとか、車を持たない男性はデートもできなかったとか、まるで架空の物語のように現実味がない。そんな昔のジャンルに賛同して、一緒にバンド活動をしてくれる同世代がいるのか。美都梨は甚だ疑問に思っていた。
「ねえ文乃、私がバンドを組みたいって言ったら、参加したいと思う?しかもジャンルがシティポップでも?」
学校の帰り道、彼女は親友の文乃に恐る恐る切り出した。
「もちろん一緒にやるよ。美都梨のギターに私のキーボード、あとはベースとドラムだね?」
あっさりと返ってきた言葉に、美都梨は目を丸くした。
「本当に?……なんか意外で」
「何で?」
「文乃は私のシティポップ好きを知ってくれているけれど……。親友が好きだからって、そこに自分も参加するかは別問題でしょ?」
美都梨の懸念に対し、文乃は涼やかな笑顔で首を振った。
「でもシティポップって、今聴いてもオシャレでいいじゃない。私はクラシックで音楽に入った人間だからさ、時代を経ても残る音楽って価値を感じるよ。300年前でも、40年前の音楽でも、良いものは良い。それだけじゃないかな」
「さすが文乃、独特の視点だわ」
美都梨は深く息を吐き出し、胸のつかえが取れるのを感じた。
「それに、美都梨もずっとバンド組みたかったんでしょ?」
「どうして知ってるの?」
「言葉に出さなくても、何となくそうかなって思ってた。」
「そうか……親友恐るべしだね。……あとはベースとドラムが見つかればいいけど、誰かいないかな。明日、一緒に軽音部に行ってみない?」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
明くる日の放課後。軽音部の部室のドアを少し開けた二人は、中から聞こえてくる剣呑な声に足を止めた。
「何でオレと組まないんだよ!」
男子生徒が声を荒げている。その正面には、長身で鋭い目つきの女子生徒がベースを抱え、冷ややかな視線を送っていた。
「アンタ、カッコつけて突っ走る演奏をするでしょ。しかもオレ様を見てくれと言わんばかりのナルシスト」
彼女の声は、氷のように冷たかった。
「女子にモテたいのは分かるけどさ。そこに手を貸したくなるほど、アンタの演奏には技術も、説得力もカリスマ性も無いんだよ。」
「うひゃー、今日も相変わらず毒舌だねー」
奥のドラムセットから、もう一人の女子生徒がひょっこりと顔を出した。
「そういうことだからさ、琴音の求めるレベルには達していない。ということで諦めておくれよ、ね?」
「ちきしょー、馬鹿にしやがって!ちょっと俺より上手いからって!」
男子生徒は吐き捨てるように言い残し、二人の横をすり抜けて足早に去っていった。
「ふー、面倒なのが退散してくれたわ。琴音サンキュー」
「鈴華、また私を出汁にして、面倒なやつを追い出したでしょ。」
「めんごめんご、琴音様。……ん?そこで見てる二人、入って来なよ。同じ1年だよね?」
ドラムの彼女が、人懐っこい笑顔で二人に手招きをした。
「私はA組の山下美都梨、中学からギターやってるの。こっちは親友の難波文乃で、キーボードが弾けるよ。私たちシティポップをしたくて、ベースとドラムの人を探してるの。ねえ、一緒にやらない?」
美都梨は思い切って本題を切り出した。
「シティポップって渋いね。でもオシャレでいいじゃんね。琴音は?」
ドラムの鈴華はノリ良く前のめりで返事をする。
「うちら、ちゃんと弾ける人としか演奏しないよ。」
対象的にベースの琴音は、値踏みするような視線を向けてきた。
「もちろん!私だってやるからには、ちゃんと弾きたい。そうしないと、あの方に近づけないから」
美都梨の声には、奏者としての矜持が籠る。
「あの方って?」
少しばかり興味を持ったのか、琴音が探るように尋ねる。
「私の音楽の師匠、峠達郎先生だよ。私が勝手に『先生』と呼んでるだけだけど」
「ますます渋い!琴音、この子はガチ勢だよ?」
先ほどの男子生徒とは正反対。突然の玄人ギター奏者の出現を察した鈴華の声が上擦る。
「うん、今の話だけでも伝わってくる」
琴音の表情が、ほんの少しだけ和らいだように見えた。
「ねえ、さっきの男子とは何があったの?」
文乃が不思議そうに尋ねる。
「あいつ、自分が上手いと勘違いしてた。だから『あんたは下手だ』って教えてあげただけ。」
「あはは……」
初対面の人間を目の前にして少々本音が過ぎるのではないか。歯に衣着せぬ琴音の物言いに、鈴華はバツが悪そうに愛想笑いをする。
「別に初心者を悪く言うつもりはないよ。私だって最初は下手だったから。でも、自分の身の程をわきまえずに上手そうなフリするヤツを、私は許せないんだ。音楽を舐めてる」
琴音の言葉には、音楽に対する一切の妥協を許さない厳しさが滲んでいた。
「そうそう、琴音はこういうガチ勢なの。愛想はないけどいい奴だよ。うちら従姉妹でさ、私の親がドラマーとベーシストだから、一緒に指導を受けて育ったのよね。それこそ姉妹みたいに」
「『愛想はない』は余計なんだけど?」
余計な一言を含む紹介に、琴音が不満そうに漏らす。
「私は鈴華ね。で、どうよ。試しに一緒に弾いてみない?お互いにオーディションするってことで」
「うん、ちょっと待ってね。急いでチューニングするから」
待ってましたと言わんばかりに、美都梨は背中のギグバッグからブラウンを取り出す。
「あのー、この部屋にキーボードは無いのかな?」
文乃が周囲を見渡す。
「ごめんよー、今は無いんだよね。顧問に話してみなきゃなのよ。一緒に合わせてみたいのは山々なんだけどさ」
「文乃のお母さんはピアノの先生なんだよ。小さい頃からずっとピアノを弾いていて、何度も賞も取ってるから腕前は私が保証するよ」
美都梨はギターに取付けたチューナーを覗きながら、親友の腕前をさり気なく話す。
「代わりに全部言われちゃったけど、一通りのことはできるよ。ずっとクラシックをしてきたから、高校ではロックもいいなと思って」
少しばかり照れながらも続ける文乃。
「すごい、ガチ勢が二人も来たよ!琴音、これは運命だよ!」
自分の確信が確証に近付く手応えを前に、鈴華は興奮を抑えられない。
「まあ落ち着いて。合わせてみれば直ぐに分かるから」
琴音がベースを構え直す。
「お待たせー。では私のオーディション、どうぞ宜しく!」
肩にブラウンを携えた美都梨は気合十分に立つ。
鈴華がドラムスティック同士を打ち付け、小気味よいカウントが響き渡った。
音を出した瞬間、空気が変わった。
琴音のベースは重厚でありながら正確にリズムを刻み、鈴華のドラムがそれを力強く支える。美都梨はその強固な土台の上で、無我夢中でギターをかき鳴らした。
琴音の視線が、驚きを帯びて彼女を捉えるのがわかった。
琴音のベースの音が、美都梨のギターのフレーズに呼応するように熱を帯びていく。
鈴華もまた、楽しげにスティックを振るいながら、二人の音の交換を煽っていた。曲が終わると、部室にはわずかな沈黙が降りた。静かながらも、確かな充足感に満ちた空気が部屋を包んでいる。
「ふー、二人ともズルいぐらい息ぴったり。初めてだと付いて行くのがやっとだよ」
美都梨は息をつきながら笑いかけた。
「琴音、結論はもう出てるよね?ベースの音が語ってたよ」
鈴華の言葉に、琴音はゆっくりと頷いた。
「山下さん、私がこれまで一緒に弾いた同世代ではトップクラスだよ」
しかし、その直後に続いた言葉は、予想外のものだった。
「でもごめんなさい、今の私は他での活動があるの。だから一緒には組めない」
「え、琴音……」
予想外の返答に鈴華が戸惑う。
「そうか……それならば仕方ないね。でも、せめて連絡先は交換しよう?琴音さんのベースもっと聴きたいから、ライブする時は教えてよ」
美都梨は落胆を隠して、明るく振る舞った。
「うん、いいよ。ライブある時は声掛けるから」
「私は美都梨ちゃんと組むよ!今度こそ、自分が納得できるところで活動したいから」
鈴華が力強く宣言する。
「鈴華が納得できるなら、そうすればいい。私は止めない。ごめん、今日はもう帰るね」
琴音は素早くベースをケースにしまうと、逃げるように部室を出ていった。
「美都梨ちゃん、ごめんね。琴音のヤツ、てっきり一緒に組むと思ってたのに」
「自分で言うのもなんだけど、手応えあったのにな」
「実力を認めているのは確かだよ。でも琴音、前に組んでたメンバーと人間関係で色々あってさ。その時のことで、今でも踏み出せずにいるんだ」
そういうことだったのか。美都梨は少しだけ、彼女の冷たい態度の裏にある痛みに触れた気がした。
「私からも声掛けてみるから、ちょっと時間ちょうだい」
両手を合わせて申し訳なさそうに鈴華が告げる。
「えーと、私はどうすれば良いのかな……?」
所在なさげにしていた文乃が、おずおずと手を挙げる。
「はい!私が推薦します!」
美都梨が右手をピンと伸ばして宣言する。
「心得た!推薦合格!」
テンポ良く呼応する鈴華。
「えー、オーディションは?」
本当にこれで良いのかと、心配そうに文乃が尋ねる。
「上手い美都梨ちゃんの推しとあらば合格!賛成2で反対0、よって本案は可決されました!」
鈴華の明るい声に、部室の空気が再び和らいだ。
「凄いよ文乃、ドラマーが加入したよ!しかも凄腕だよ。これで残るはベースだけだ!」
美都梨の声が、部室に軽やかに響き渡った。




