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らいど・おん!-リトル・シティポップ・デイズ-  作者: inosuke.55555


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3/3

信玄、現わる。

「わしの夢に入り込むとは、お主も面白い娘じゃのう」

腹の底に響くような、信玄の低い声。美都梨は震える声で平伏した。

「お初にお目にかかります。武田のお館様とお見受けいたしました。美都梨と申します」

「美都梨、風変わりな名じゃ。してそなた、生国は何処か」

「この甲斐の府中にございまする。後の世では、甲府と呼ばれております」

「そうであったか。……しかし、そなたの装束はひどく風変わりじゃのう。おおよそ、わしの知る甲斐の民のなりではない」

「恐れながら……私はお館様の代から500年程果て、令和の世から参りました。日の本は統一され、都は武蔵国江戸の地に置かれておりまする。さらにはここ500年ほどで南蛮との交易も進み、今では暮らしの様々が南蛮式に置き換わり久しい有様です。私のなりも、同じく南蛮式でございまする」

相手は仮にも、戦国の世で「甲斐の虎」と恐れられた猛将武田信玄、粗相があっては首が飛びかねない。これまで父親と一緒に見た時代劇の会話を思い出しながら、美都梨はうやうやしく告げた。まさか生まれ育った街の軍神に、自分が歴史を講釈する日が来るとは。


信玄は目を細め、静かに頷いた。

「……ほう、左様であるか。500年の時が経てば、世のありようも途方もなく移り変わる。諸行無常とはよく言ったものじゃ」

「しかしながらお館様、甲斐の府中は未だに残っております。そしてお館様の御威光は、500年後の府中は言うに及ばず、日の本中に広く知れ渡っておりまする。私とて、甲斐の女子(おなご)であることを誇りとしております。それ故に……」

「ん、いかがいたした?……そういえば、そなたは先ほど、寝ながらひどく泣いておったようじゃの」


見透かされたような眼差しに、美都梨は思わずこれまでの経緯を、せき止めていた感情のままに吐き出してしまった。

あの孤高の音楽に憧れていること。どうしても必要な楽器があること。しかし、それが到底手の届かないものであること。


「そうか、そなたは琵琶の名人とな。そして師と仰ぐ者が使いし琵琶と同じものを求めているが、金子(きんす)が大層かかるということか」

「はい、仰せの通りにございます」

「ちょうど良い。こうして面白い話も聞かせてもらったでな。わしの手元にある琵琶をくれてやろう。遠く南蛮の琵琶と聞くがの、我が家中にはこれを嗜む者がおらぬ。そなたのもとでこそ、その音が活きるであろう」

信玄が傍らの家臣に目配せをすると、うやうやしく一つの包みが運ばれてきた。布が解かれ、姿を現したそれを見て、美都梨は息を呑んだ。

「これは……!何とまさしく、私が探していたもの……!」

長年使い込まれたことで塗装が剥げ、木目の一部が剥き出しになったボディ。鈍く光る金属パーツ。紛れもない、70年代のヴィンテージギターだった。

「お館様、ありがたき幸せ。誠にかたじけのうございまする!」

「ははははは、斯様なこともあるか。それは良い。ほれ、早速に奏でてみよ」

「はい、では恐れながら」

美都梨は震える手でそのネックを握りしめた。ずっしりとした重み。古い木材が放つ、甘く乾いた匂い。しかし、弦を弾こうとした瞬間、指先がひどくもつれて、まともな音が出なかった。

「あら?上手くいきませぬ……」

「よいよい、いきなり手にした道具を自在に扱うは至難の業よ。よく稽古を重ね、その琵琶と一体になるがよい。励めよ」

信玄公の豪快な笑い声が響き渡り、やがてその音は、遠くの風の音へと溶けていった。

ハッと目を開けると、見慣れた自室の天井があった。窓の外からは、朝の光が差し込んでいる。

「お館様……夢か」

美都梨は自分の両手を見つめた。まさか信玄公にギターを渡されるなんて。しかも、絶対的なお手本である先生と全く同じヴィンテージギターだなんて、いくらなんでも出来過ぎている。

「本当ならば良かったのに……」


呟きながら身を起こした彼女の手には、当然何も握られてはいなかった。

それなのに、手のひらにはさっきまで確かに握っていたはずの、古い木材の感触とずっしりとした重みが、奇妙なほど生々しく残っていた。夢の中で武田信玄に謁見したというだけでも大ニュースだが、今の彼女がこの世で一番欲しているギターを直接手渡されたのだ。


その余韻は、洗面所で冷たい水を顔に浴びても、決して消え去ることはなかった。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「へえ、信玄公が夢に出てきたの?美都梨ちゃん、凄いじゃないの。私は70年生きていても、そんなことは一度もないわよー」

次の日、祖母の家に遊びに行って夢の話をすると、彼女はいつも通りのんびりとした口調で笑った。美都梨は昔から、この祖母の穏やかな空気が好きで、よく懐いている。祖父はだいぶ前に亡くなり、今では独り暮らしをしている祖母を訪ねることで、彼女なりにババ孝行をしているつもりだった。

「そうなのよ、お婆ちゃん。それでね、信玄公は夢の中で、私が喉から手が出るほど欲しいエレキギターを渡してくれたの。焦茶色の古いギターでね。私はそれを受け取って演奏しようとするんだけど、なぜか上手く音が鳴らないの」

「……焦茶色の、エレキギターなのね?」

祖母は急に湯呑みを置き、少しだけ真顔になった。

「うん。見た目はとても地味なんだけど、ホンモノ感が漂う一品なの。それこそ、プロのベテランが持つような重厚感があって。……実は私、今どうしても50年前のギターが欲しくてさ。何とか手に入らないか探しているんだけど、何十万円もするんだから、到底無理な話なんだけどね」

何かを思い出した様子の祖母は、真顔のまま告げる。

「……ちょっと手伝ってくれる?手を貸してほしいの」

「いいけれど、急にどうしたの?」


祖父の個室に連れて行かれた美都梨は、祖母の唐突なモノ探しに付き合うことになった。なんでも、急に祖父の遺品を探したくなったらしい。薄暗く、埃っぽい匂いが立ち込める押入れの中、二人は段ボールや様々な古い箱をかき分ける。

驚いたことに、祖母の探し物が「古びたギターケース」であると聞かされた美都梨は、祖父が昔弾いていたアコースティックギターでも残してあるのだろうと想像した。適切に保管された古い楽器は、木材が乾燥して独特の美しい音色を響かせる。見つかったら是非とも弾かせてもらいたいと思いつつ、部屋中随分と探し回った挙句、クローゼットの奥に「それ」はひっそりと保管されていた。黒いハードケースは所々傷がつき、金具は鈍く錆びついている。ケースを抱えて倉庫を出た美都梨は、床にそっと置いた。そして祖母に促されるまま、美都梨は少し震える手でその留め金を外した。カチャリ、と乾いた音が響く。


日本語には、極度の驚きを表現する「腰を抜かす」という慣用句がある。16歳の美都梨はこのとき初めて、その言葉の意味を身をもって知ることになった。比喩でもなんでもなく、文字通り膝から力が抜け、その場にへたり込んでしまったのだ。「それ」を開けた瞬間、目に飛び込んできたのは、昨夜の夢で信玄公から手渡されたものと全く同じ、焦茶色のテレキャスターだった。長年使い込まれて塗装が剥げたボディ。鈍く光る金属パーツ。50年の時を経て、ここに眠っていたのだ。


「…美都梨ちゃん、ギックリ腰やっちゃったの?」

天然な祖母は笑いながらそう呟くが、美都梨には言葉を返す余裕すら、もう1ミリも残されていなかった。目の前にあるのは、紛れもなく70年代のヴィンテージ・テレキャスター。夢の中で信玄公から手渡されたものと、全く同じ焦茶色のボディ。その瞬間、彼女の脳裏に、いつかの放課後の教室で文乃と交わした会話が鮮明に蘇ってきた。


『あーあ、どこかにそのヴィンテージギター、落ちてないかなー』

『落ちてるって、お財布や定期券じゃないんだから』


あの時、彼女は確かにそう口にした。叶うはずのない「片思い」だと、半ば諦めながら。冗談めかして天に放ったその言葉が、まさかこんな形で、しかも自分自身の血の繋がった祖父の遺品として「落ちていた」なんて。これは、単なる偶然なのだろうか。それとも、彼女の執念が時空を超えて何かを呼び寄せてしまったのだろうか。震える指先で、美都梨はその冷たい金属パーツに触れた。ずっしりとした重み。古い木材の匂い。


間違いない。彼女は、選ばれてしまったのだ。


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