ときめきへと 動き出す世界は
晴れてベーシストを得たバンドは、新たなる船出の時を迎えている。
初夏の日差しが窓辺から差し込み、四人の顔を柔らかく照らしていた。
部室の空気は、いつもの放課後のそれとは少し違う。
始まりの緊張感と、どこかそわそわした期待が混ざり合っていた。
鈴華がドラムスティックをくるくると回しながら、何気ない口調で切り出した。
「確認っていうか、提案なんだけど。リーダーは美都梨であってるよね?」
その言葉に、美都梨は目を丸くする。
彼女は手に持っていた譜面から顔を上げ、きょとんとした表情を浮かべた。
「え、そうなの?私はただ作曲とアレンジを考えてるだけだよ?」
美都梨の首を傾げる仕草に、琴音が淡々とした口調で応じる。
彼女はベースのネックを拭きながら、まるで当然のことのように言った。
「つまりは表現の方向性を決める芸術監督、リーダーだね」
琴音の言葉に、文乃が静かに頷いた。
彼女は窓辺に寄りかかり、穏やかな目で美都梨を見つめている。
「元を正せば、バンド結成の言い出しっぺも美都梨じゃない?
私は美都梨に誘われてここに居るよ?鈴華と琴音だってそうじゃない?」
文乃の問いかけに、琴音が小さく頷く。
彼女は少しだけ口元を緩め、懐かしむような目で美都梨を見た。
「うん、美都梨の熱量に圧倒されてここに居るよ。
美都梨に影響されて集まったって訳」
その言葉に、鈴華が大きく頷きながら付け加えた。
「そうそう、だから他のメンバーがリーダーを務めるのに違和感なんだ」
三人の視線が、自然と美都梨に集まる。
美都梨は少し照れくさそうにしながらも、その目には確かな決意の色が浮かんでいた。
彼女は譜面を机の上に置き、ゆっくりと立ち上がる。
「そこまで言われたらリーダーさせてもらうよ。皆んな宜しくね」
その言葉に、三人の顔に笑みが広がる。
しかし、鈴華はまだ何か言い足りない様子で、ドラムスティックを机の上に置くと、真剣な表情で文乃を見据えた。
「これは真面目な提案なんだけど、私は文乃にサブリーダーを務めて欲しいんだ」
文乃がわずかに目を開く。
鈴華は言葉を選びながら、ゆっくりと続けた。
「美都梨が芸術監督だとしたら、文乃は事務方として裏を支えるとバンドが締まると思う。
もちろん必要なことはウチらも担当するよ。文乃の冷静で細やかな視点が、組織には必ず役に立つと思うんだ」
部室に、一瞬の静寂が流れた。
文乃は少し驚いた表情を浮かべながらも、その目は真剣に鈴華の言葉を受け止めている。
琴音もまた、考えるように腕を組んでいた。
先日の甲府駅北口イベントにて、鈴華が琴音に胸囲を尋ねた際に、文乃は的確にツッコミを入れている。
「……なるほど。確かに私の他にも、鈴華にツッコミを入れる人間がいると心強い」
「そうそう。ってそこかい!」
鈴華がすかさず指摘するも、そこに続く者はおらず、鈴華自身もそれで良しとした。
仮にも重要事項を話し合う会議と、皆が理解しているからである。
琴音の言葉に、美都梨も深く頷いた。
彼女は文乃に向き直り、いたずらっぽい笑みを浮かべる。
「文乃、頼れるかな?」
文乃は少しだけ沈黙した後、ふっと柔らかい笑みを浮かべた。
彼女は窓辺から離れ、四人の輪の中に歩み寄る。
「……そこまで言われたら、お受けするしかないわね。よろしく、みんな」
「私がCO、文乃がXOだね」
女子高生にとって耳慣れない用語の登場に一同が固まる。
鈴華は首を傾げ、琴音はベースを抱えたまま動きを止め、文乃もまた瞬きを繰り返した。
美都梨が頭を掻きながら、少し照れくさそうに説明する。
「しまった。うちのお父さんが軍隊モノの映画が好きでさ、
休みの日によく見てるの。英語では指揮官と副官のことをそう呼ぶらしいんだ」
その言葉に、文乃がふっと小さく笑った。
彼女は優雅にスカートの裾を整えながら、軽やかな口調で応じる。
「ハイハイ、こういうオタクな指揮官を支えるのも、『副官』たる私の役目ということね。心得ました」
「はい。頼りにしてます、副官殿」
美都梨がわざとらしく敬礼のポーズを取ると、文乃もそれに合わせて軽く手を挙げて応えた。
その様子を見ていた琴音が、ようやく口元を緩める。
「……なんだかんだで、いいコンビになりそうだね」
鈴華も、その光景に満足そうな笑みを浮かべた。
初夏の風が、四人の間を吹き抜けていく。
新しいバンドの、最初の一歩が、確かに刻まれた瞬間だった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「リーダーも決まったところで……バンド名を決めようよ?」
「お、いいね。何かが始まる感じでワクワクするね!」
鈴華が目を輝かせる。
「……こういうのって、どうやって決めればいいの?」
「何か案があるの?」
琴音が首を傾げる。
「よくぞ聞いてくれました」
美都梨が得意げに胸を張る。
「題して『府中南蛮楽器衆』!」
「え?」
三人の声が、見事に重なった。
「シャレだよシャレ!」
美都梨が慌てて手を振る。
「そもそもこれじゃあ、全然シティポップ感が出ないじゃない!」
「美都梨が言うとシャレに聞こえないから怖いよ」
と鈴華が呆れたように言う。
「どういう意味じゃ!」
美都梨がツッコミを入れると、文乃が微笑みながら話を戻した。
「それで?美都梨には何か考えがあるんでしょ?」
「うん」
美都梨は一度頷き、自分の考えを整理するように言葉を紡ぎ始めた。
「『Groovy』って単語を入れるのはどうかなって。レトロポップな響きでさ、シティポップバンドだし、オシャレ感は欲しいなと思うんだ。それでいて、何かこの街っぽさも出せればいいなって」
彼女はそこで一旦区切り、付け加えた。
「……ちなみに『◯◯ガールズ』なんてのは避けたいかな。大人になった時に恥ずかしいじゃない?」
「ぷッ」
琴音が思わず吹き出す。
「グルーヴィ・ガールズって、なんかディスコで踊ってそう」
「ボディコン+肩パッドでバブリーってこと?」
鈴華が首を捻る。
「……まあ、私英語はよく分からないけどね」
「『この街』って、つまり甲府っぽいってこと?」
文乃が核心を突く。
「えー、うちらの街ってそんな特徴あるぅ?」
鈴華が困ったように言うと、琴音が小さく手を挙げた。
「武田信玄とかってことかな?」
「グルーヴィ・信玄!マジか?」
鈴華が大声を上げる。
「流石に信玄公を出すのはやり過ぎだけど」
文乃が苦笑しながらも
「地域性を出すという方向性としては正解よね?」
「それそれ!」
美都梨が頷く。
「まさに地域性を出したくて」
そこから、次々と言葉が飛び交った。ブドウ、ワイン、フルーツ、ほうとう、武田氏、甲府、山梨――。皆で地域性のある言葉を出し合うも、どれもバンド名にはしっくり来ない。地名を入れるとスポーツチームっぽい響きになるし、特産品を入れると農家の販促キャンペーンっぽくなってしまう。
暗礁に乗り上げかけたところで、美都梨がポツリと切り出した。
「うーん、漠然としたイメージはこうさ、甲府盆地を巨大なアリーナに見立てて音を鳴らすようなスケール感みたいな。気は心というか、そういう気合いだけは込めたいのよね」
「美都梨〜男前だね。私、惚れちゃいそう」
鈴華がからかうように言う。
美都梨はふと、イケメンを気取った低い声で応じた。
「なあ鈴華、なんかアイデア出してくりょう?」
「イケメンボイスで訛ってるってウケるじゃん。」
鈴華が腹を抱えて笑う。
その横で、文乃が何かを考えるように顎に手を当てていた。
そして、静かに一言、呟くように言った。
「……盆地」
その言葉に、皆の動きが止まった。
「!」
美都梨の目が、見開かれる。
「あー!その手があったか!」
彼女が立ち上がる。
「『Groovy Bonchi』ってアルファベット表記すればいいんだ!
謎の英単語っぽさを出しながら、その中身は『甲府盆地』ってことだ」
「ちょっと待って、英語的には通用するの?」
琴音が疑問を口にする。
「それがまた凄いんだよ」
美都梨の声が熱を帯びる。
「ちょうど『bunch』って英単語があって、『ヤツら』みたいな意味なんだけど。
英語的に『グルーヴィなヤツら』って単語に近い響きになるの。
これを『ボンチ』にすることで、ミステリアスな独自性が出るよ!
しかも甲府盆地にグルーヴを響かせるっていうビジョンにピッタリ!」
「おおお」
三人の口から、感嘆の声が漏れる。
「略して『グルボン』で覚えてもらいやすい!」
鈴華が拍手をする。
「文乃、天才だよ!」
「持つべき友は文学少女ね」
美都梨が文乃に向かって頭を下げる。
「文乃、ありがと」
「美都梨の熱意に押されて、いつの間にか降りて来たの」
文乃は照れくさそうに笑った。
「なんかいつの間にか決まって良かった。『Groovy Bonchi』結成だね!」
美都梨はホワイトボードに歩み寄り、勢いよくマーカーを走らせた。
“Groovy Bonchi”
その文字を見た瞬間、四人の顔に、自然と笑みが広がった。
部室の窓から見える山並みを眺める美都梨。
今日も富士山は雪化粧したその先端だけを、御坂山塊の山並みの向こうに覗かせる。
「見て、この盆地が私たちのアリーナだよ」




