76話 〈六月中旬〉帰還
「見えた、あれがアタシの村だよ」
林を抜けて丘を進んでいたアオイが歩を止めて、海沿いを指さす。その指先に視線をやると、岸に掘立小屋がいくつも立ち並んでいた。浜にはいかだが並び、それを取り囲むように数人が作業していた。
丘を下りて村へ近づくと、作業をしていた数人の女がこちらに気づいた。手を止めて目を凝らしたかと思うと、その顔が大きく変わり、こちらに駆け寄ってきた。
「アオイ!戻ったのか!」
「……ああ、ただいま」
「他の男たちは?旦那はどこ行ったの?」
「すまない。アタシ以外……みんな、死んだ」
アオイは視線を落とし、絞り出すような声で答える。誰も声を出すことができず、浜から聞こえる波の音だけが響く。
やがて、どさりという音と共に、女の一人がへたり込んだ。それを皮切りに別の女がアオイに近づくと、腕を振り上げてアオイの頬を勢いよく平手で打った。
「あ、あんた!よく戻ってこれたわね!」
「本当に、すまない」
「謝って許されると思ってるの!?何人ついて行ったと思ってるの!?」
再び女は腕を振り上げる。しかし、そばにいた女がその腕を両手で押さえ込んだ。
「やめなって!アオイを責めても男達は帰ってこないわよ!それに、みんな自分の意思で行ったんだから、アオイだけ責められないって!」
「それでも……!それでも……!旦那は……!」
女の振り上げた腕が力なく下がる。嗚咽を漏らしながら、鋭い視線でアオイを睨みつける。
「何の騒ぎだ?」
騒ぎを聞きつけたのか、村の方角から初老の男が歩いてきた。髪も髭も白く、長く伸びた髭を擦りながら村人の話を待つ。
「長……旦那が……男達が……」
「親父……」
「戻ったのだな、アオイ」
長と呼ばれた初老の男はアオイを見ると、少しだけ表情が和らいだ。しかし、すぐに口を堅く引き結ぶ。
「略奪は失敗した。他のみんなは……死んだ」
「……そうか」
長は静かに目を閉じる。しばらくの沈黙の後に、ゆっくりと目を開いてアオイを見据えた。
「いくら儂の娘と言えど、このまま何もなかったことにはできん。少なくとも、村を去る覚悟はしておけ」
「待ってくれ親父!話を聞いてくれ!」
アオイが稲夫とタケルを前に出すと、村人たちの視線が二人へ集まった。特に矛を携えたタケルには警戒するような目が向けられ、何人かがわずかに距離を取る。
「えっと、米田稲夫です」
「タケルだ」
「アオイ、この方たちは?」
「塩と食料を交換しに来てくれた。それに、田と畑にも詳しいらしくて、状態を見てくれる」
「食料……?食べ物があるの?」
誰かが呟くと、稲夫たちの背負ってきた荷へ視線が集まった。泣いていた女までも顔を上げる。
「ああ。多くはないけど、持ってきてる」
稲夫が答えると、村人たちの間にざわめきが広がった。夫や家族の死を聞かされたばかりだというのに、食料という言葉に重苦しい空気がわずかに緩んだ。
(アオイが大袈裟に言ってたわけじゃないんだな……)
食料があるというだけで、これほど空気が変わった。予想以上にこの村は追い詰められているのかもしれない。
「それと、もう一つ言っておくことがある。アタシたちが襲ったのは、この二人が暮らしている村だ。みんなはそこで返り討ちにあった」
再び、浜から音が消えた。今度はアオイだけではない。村人たちの視線が稲夫とタケルにも向けられる。
「じゃあ……あんたたちが、旦那たちを……?」
女の一人が震える声で呟く。その目に先ほどまで浮かんでいた期待はなく、代わりにむき出しの怒りが宿っていた。
「な、なんでそんな奴らを村に連れてきた!」
「アタシが頼んだんだ!」
アオイが一歩前へ出て、稲夫たちとの間に割って入った。
「こいつらは、村を襲ったアタシを殺さなかった。それどころか、食料まで分けてくれた」
「だからって!こいつらが男達を殺したことには変わりないじゃない!」
「……アタシたちが先に襲ったんだ。こいつらは、自分たちの村を守っただけだよ」
「だから殺されても仕方なかったって言うのか!」
アオイは一瞬、言葉に詰まった。
「……そういう意味じゃない。でも、こいつらを責めるのは違う。責めるなら、言い出したアタシを責めてくれ」
「そもそも略奪なんてするべきじゃなかったんだ!やめた方がいいってずっと思ってた!」
女が鬼気迫る顔でアオイに詰め寄る。その肩を別の女が押さえた。
「落ち着きなさい!今さらそんなこと言ったって、死んだ奴らは戻らないわよ!」
「だったらアオイを村から追い出せ!こんなやつと一緒に暮らす事なんてできない!」
「馬鹿言わないの!男達があれだけ死んだのに、これ以上働ける奴を減らしてどうするの!」
「こいつが言い出さなきゃ、みんな死ななかった!」
誰もが自分の思いをぶつけ、収拾がつかなくなっていく中、稲夫は何も言えずにいた。
自分たちは襲われた側だ。それでも、目の前の夫を失った女に、その理屈をぶつける気にはなれない。隣に立つタケルも口を挟まないで、ただ黙って村人たちを見ている。
「もうよい!やめんか!」
長の一喝に、言い争う声がようやく止まった。長はしばらく村人たちを見回したあと、アオイへ視線を戻す。
「アオイ。お前に責任がないとは言わん。多くの者を失った以上、何もなかったことにすることもできん」
「……分かってる」
「だが、今お前を追い出せば働き手がさらに一人減る。それに、この者たちを村へ連れてきたのもお前だ。ゆえに、アオイの処分はひとまず保留する」
「親父……」
「礼を言うな。許したわけではない」
長はアオイから視線を外し、稲夫とタケルを見やる。その視線は好意的とまではいかないが、少なくとも敵を見るような鋭さはなかった。
「儂らとて、おぬしらを信用しきれるわけではない。仲間を殺された者もいる。それでもこの村には食料が必要だ。田や畑も、このままではどうにもならん。おぬしらを受け入れる」
村人たちの間にざわめきが広がった。険しい顔を崩さない者もいたが、長はそれを制するように村人たちを見回した。
「お前たちもこの二人に手を出すな。不満があるなら儂に言え。この村を助けると言って来た者とここでまた争いを起こすことだけは許さん」
村人たちの間からざわめきが次第に収まっていく。ある者は唇を噛み、ある者は稲夫たちから目をそらす。それでも、長の言葉に反論する声は上がらなかった。
「それと、稲夫殿とタケル殿が村にいる間はアオイ、お前が必ず同行しろ。田や畑へ行く時も同じだ。勝手に村を歩かせるな」
「……分かった。アタシが二人の面倒を見る」
アオイが答えると、村人たちから向けられる冷たい視線を受けながらも、その場から逃げることなく顔を上げた。




