73話 〈六月上旬〉刻
照りつける日差しと、体のあちこちを走る鈍い痛みで女は目を覚ました。
(……いつの間にか眠っていたか)
捕らえられた夜、鉄の矛を持つ男から何度も問い詰められたせいで、体の節々が痛む。そのせいで満足に眠れた気もしなかったが、いつの間にか意識を落としていたらしい。
ぼんやりする意識の中、こちらへ近づいてくる足音が聞こえた。程なくして、視界の端に影が差す。
「来い」
顔を上げると、鉄製の矛を担いだ男が立っていた。男は女の後ろへ回ると、杭と女をつないでいた縄をほどき始める。
(しめた!)
杭から縄が外れた瞬間に駆け出そうとした。だが、足に思うように力が入らない。踏み出した途端に膝が折れ、そのまま地面へ崩れ落ちた。
どうやら思っていた以上に体力を消耗していたらしい。男は腕を掴むと、そのまま力任せに立たせた。
「自分で歩け」
そう言うと、男は縛った縄を掴んで歩き出した。引きずられまいと、前を歩く男の背中を睨みつけながら、痛む足を動かしてその後を追う。
(こいつ、いつか絶対殺してやる……!)
男はそんな視線など気にも留めず、縄を引いたまま村の外へ向かって歩いていく。やがて二人は村を出て、木々の間を縫うように進んでいった。
(何処に連れていくつもりだ)
新手の尋問か、いよいよ口を割らない自分を殺す死に場所に連れて行っているのか。いずれにしろ、ろくな事ではないだろう。
(こうなるなら、襲うべきじゃなかったか)
今更になって後悔の念が胸に湧き上がる。略奪なんて提案しなければ、こんな目に遭う事もなかった。何より、村のみんなは死なずに済んだ。
(みんな、ごめん)
その言葉を胸の中で繰り返しているうちに、いつの間にか林を抜け、見晴らしのいい丘まで歩かされていた。
「稲夫様、連れてきました」
「タケル、ありがとう」
そこには稲夫と呼ばれていた男が立っていた。明らかに鉄製の矛を持った男より弱そうだし、威厳もなさそうな佇まいをしている。
(なぜこんな奴に従うんだ?)
怪訝に思いながら稲夫を眺めていると、その後ろにあるものが目に入った。腰ほどの高さまである平たい石。その周囲には掘り返されたばかりの土が広がっている。
「……何のつもりだ」
ここがどんな場所で、この男が何をしたのかは、ある程度予想がついた。ただ、なぜそうするのかが理解できないでいた。
「アタシ達はアンタ達を襲ったんだぞ」
「そうだね」
「じゃあ、それはなんだよ」
男の後ろにある平たい石に視線をやる。
「お墓だよ。あなた達のね」
「……どうしてだ」
敵の死体など、捨て置けばいいはずだ。なのに、なぜわざわざ墓など作った。
「本当はタケルが谷に捨てるつもりだったんだけど、いくら敵とはいえそんな扱いするのはあんまりじゃないかなって思ってさ」
「今さら善人ぶるな!仲間を殺しておいて、罪滅ぼしのつもりか!」
「……そうだね。俺が少しでも楽になりたいって気持ちも、たぶんあるんだと思う」
稲夫は視線を落とし、顔を曇らせる。
(なんで、こいつがつらそうな顔をしているんだ!)
身を守るために殺した。それのどこに罪悪感を覚えるのか。その態度に頭に血が上る。
「懐柔しようとしても無駄だ!アタシは何も話さない!」
「別に、話してもらうためにやったわけじゃないよ」
「じゃあ、何でこんなことをした!何でここまで連れてきた!」
「ただ、俺がそうしたかっただけ、かな」
稲夫は気まずそうに指先で頬をかく。ますます意味が分からなかった。
「それと、なんで連れてきたかと言うと、名前を教えてほしかったんだ」
「名前?」
「このままだと、ただの墓標だからさ。文字で名前を刻みたい。でも、俺はあなた達の名前を知らないから、知っている人に聞く必要があった」
文字。
海向こうの地では、文様を刻み出来事を残すことができると聞いたことはある。だが、そんな大層なものをこの男が扱えるようには見えない。
(試してみるか)
「……ウオ」
一人の名前を言う。すると稲夫は先の尖った石を墓標へ当て、手頃な石でその背を叩いた。カッ、カッ、と乾いた音が響き、少しずつ石の表面が欠けていく。
しばらくすると、墓標に見慣れない文様が二つ刻まれた。見たことないので分からないが、あれが文字なのだろうか。
「できた。次お願い」
「カイ」
続けて名前を言う。再び先の尖った石を墓標へ当て、その背を打ち始める。誰も言葉を発さない中、石と石がぶつかり合う硬質な音だけが響き渡った。
(そういえば、あいつはいつも貝を捕っては生で食べていたな)
カイは「この食い方が一番旨い!」と豪語しては、腹を下す馬鹿な男だった。あいつは食あたりで死ぬと思っていたが、アタシについてきたばっかりにこんな形で死んでしまった。
(カイ、すまない……)
心の中でカイに詫びる。しばらくして、墓標に二つの文様が刻まれた。
「よし、できたぞ。次お願い」
「ハマ」
再び石を打ちつけ、墓標に文様を刻み始めた。
(あいつは、いつまでたっても漁が下手だったな)
魚が取れなかった代わり、海藻ばかり取ってきていた。おかげで食事には常に海藻が並んでいた。
石を打つ音だけが響く中、気が付くと視界がにじんでいた。
(いまさら、泣いているのか?)
すべて失う覚悟も、死ぬ覚悟もできていたのに。ふと昨日の軽薄な男の話を思い出す。『稲夫様を頼れ、あの人とんでもなくお人よしだからさ』
(頼ってもいいのか?)
今更過ぎる。村を襲っておいて、どの口で言えるのだろうか。
横には隙を見せない男が立っている。このまま何もしなければ再び尋問される。そして最後には死ぬだろう。
(それを望んでいたはずなのに、アタシは何を考えているんだ)
自問しても答えは出ない。それでも、仲間たちの名前を一人ずつ告げていった
ナギ、トワ、ソラ
名前を口にするたび、その顔が浮かんだ。その間に墓標には一人、また一人と名前が刻まれていく。
「イサナ」
そして最後の名前を口にする。誰よりも体が大きく、村を襲うことに真っ先に賛成してくれた。きっとアイツが賛成しなければ誰もついてきてくれなかっただろう。
その結果、皆を死なせてしまった。
日が傾き、夕日が差し込む。眼に溜まった涙が頬を伝う。視界がかすんで良く見えないが、墓標にはいくつもの文様が刻まれていた。
「……終わりだ。殺してくれ」
泣いているのを見られないように俯き、震えそうになる声を必死に押し殺す。
(もう、話してしまってもいいかもしれない)
そんな考えが、ふと頭をよぎった。何をされても話さない。そう決めていたはずなのに、今はその覚悟さえひどく遠く感じる。
墓標へ目を向けるも、視界が滲んで、もうまともに見えなかった。
(……どうすればいいんだ)
死ねばそれで終わると思っていた。それなのに今は、残してきた村のことが頭から離れい。
答えを出せないまま俯いていると、足音が近づいてきた。視線を上げると、目の前に稲夫が立っていた。
「無理にとは言わないけど……何か事情があるなら、聞かせてくれないか」
「どうしてそこまで……」
稲夫は真剣な顔で、とても嘘をついているようには見えなかった。
「困ってるのかもしれないって思ったら、放っておけなくてさ」
そう言うと、困ったように視線をそらし、気まずそうに頭をかく。
「自分でも何やってるんだろうとは思うけど……話くらいは聞けるかなって」
稲夫は言い終えると、こちらをまっすぐに見た。アオイは唇を強く噛み、しばらく動かなかったが、やがて膝を折り、そのまま額を地面につけた。
「どうか、アタシの村を助けてください」




