70話 〈六月上旬〉戦
稲夫は矢筒から矢を抜き取り弓につがえる。弦を引いて狙いを定め指を離すと、放たれた矢が闇を裂き、こちらへ向かっていた男の体へ突き刺さった。男が倒れるのを最後まで見届ける余裕もなく、次の矢へ手を伸ばした。
(……もう何人、射抜いてしまったんだろうか)
そんな考えが頭をよぎり、背筋に冷たいものが走る。最初の一人を射た時には、弓を握ることすらできなくなりそうだった。それなのに二度、三度と矢を放つうち、次の敵を探している自分がいる。人へ向けて弓を引くことに、少しずつ慣れ始めている事実が何よりも恐ろしかった。
(でも、俺だけ戦わずに見ているなんてできない!)
少し離れた場所ではツチハルとヤナギも弩を構え、柵を越えようとする男たちへ矢を放っている。そして門前では、タケルがたった一人で何人もの敵を食い止めていた。
迫る槍を弾き、踏み込んできた男の懐へ穂先を突き込む。次の男が横から襲いかかっても、タケルはすぐさま矛を引き戻して牽制し、その足を止めていた。
「こいつ!強いぞ!」
数では圧倒しているはずの男達が、タケルを前にしてたじろいだ。先ほどまでの勢いは明らかに鈍っている。
「どけ!俺が押し込む!」
怒号とともに、一人の巨漢が前へ出た。タケルよりも頭一つ近く大きく、手には白っぽい素材で作られたこん棒を握っている。
タケルは迫ってくる男へ矛を突き出した。巨漢はこん棒を振って穂先を横へ弾き、その勢いのまま肩から体当たりした。
「くっ!」
鈍い音とともに二人の体がぶつかる。タケルは倒れず踏ん張ったものの、巨漢の勢いを殺しきれずに門前から数歩押し込まれた。踏みしめた両足が土を削り、二本の筋が地面に深く残る。
「今だ!こいつを囲め!」
巨漢がタケルを押し込んだまま叫ぶと、その声に応じて後ろで機会をうかがっていた男たちが一斉にタケルの周囲を取り囲んだ。
「タケル!」
稲夫も慌てて矢をつがえ、男たちへ弓を向ける。
(だめだ!タケルに当たりかねない!)
夜の暗さに加えて敵とタケルが入り乱れている状況では、敵ではなくタケルの背中へ矢を突き立てかねない。稲夫が狙いを定めてる間にも、目の前では何人もの男がタケルへ殺到していた。
「そこだ!」
横へ回り込んだ男が、タケルの脇腹を狙って槍を突き出す。タケルは咄嗟に矛を手放し、巨漢の肩口を両手で掴み腰を落とすと、力任せにその巨体を横へ引き回す。
「ぐっ!」
巨漢の背中へ槍の穂先が突き刺さり、鮮血が散った。
「す、すまない!」
仲間を刺してしまった男がたじろいだ。その一瞬を逃さず、タケルは巨漢を槍男へ突き飛ばす。二人の体が絡み合い、そのまま地面へ転がった。
タケルはすぐさま足元の矛を拾い上げると、今度は別方向から銛を持った男が突っ込んできた。男が銛を突き出すより早くタケルが踏み込み、鉄の穂先をその胸へ突き立てる。
「がふっ……」
男の口から血がこぼれた。タケルはそのまま矛を引き抜こうとしたが、柄が動かない。致命傷を負った男が、残された力を振り絞るようにして、両腕で矛の柄を抱え込んでいた。
「おれに構わず殺せ!」
血に濡れた口で男が叫ぶ。その声に応じるように、先ほど転倒した巨漢と槍男が立ち上がった。巨漢の背には槍で負った傷が残り、血が流れている。それでも二人は再びタケルへ向かっていった。
タケルは矛を引き抜くことを諦めると、柄を抱えている男の胸を蹴り飛ばした。
「ぐっ!?」
男は矛が刺さったまま地面へ倒れ込む。その直後、巨漢が大きくこん棒を振り上げ、タケルめがけて振り下ろす。
タケルは一歩踏み込み、勢いが乗り切る前にこん棒の柄を両手で掴んだ。巨漢は歯を食いしばり、そのまま体重をかけて押し込んでくる。
「よくもっ!」
さらに槍を持った男が横へ回り込み、タケルの脇腹めがけて穂先を突き出す。すかさずタケルは片手をこん棒から離し、迫ってきた槍の柄を掴んだ。そのまま腕を外へ押し出して穂先の軌道を逸らす。
(まずい……!タケルが!)
タケルは正面からは巨漢に押し込まれ、横から伸びる槍まで片手で押さえている。
稲夫は弓を構え、弦を引く。だが巨漢も槍男も、タケルとの距離があまりに近いため、矢を射る事ができなかった。
どうにか狙いをつけようと弓を構えていると、タケルの背後に人影が回り込んでいる。それまで男たちへ指示を飛ばしていた女が、矛を両手に構えてタケルへ近づいていた。
「タケル!後ろだ!」
誤射するかもしれない。だが、もはやそんなことを考えている余地はなかった。稲夫は咄嗟に女へ弓を向け、引き絞っていた弦から指を離した。
鋭い音を立てて矢が飛ぶ。しかし、矢は女の顔のすぐ横を抜け、そのまま夜の闇へ消えていった。
「っ!」
女の足が反射的に止まる。一瞬だけ稲夫へ鋭い視線を向けるが、すぐさまタケルへ向き直る。
「貰った!」
女が矛を突き出すのと、稲夫の声に反応したタケルが振り返るのはほとんど同時だった。
一瞬、穂先がタケルの体を突き抜けたように見えた。
「タケル!」
稲夫の喉から叫び声が漏れる。だが、血は流れなかった。
矛はタケルの脇を抜けていた。タケルは寸前で体を捻り、脇を通り過ぎた矛の柄を上腕と胴の間へ挟み込んでいた。
「このまま押し込め!」
巨漢が吠え、こん棒へさらに体重を乗せる。槍を持った男も掴まれている柄を奪い返そうと引き、女も挟み込まれた矛を捻ってタケルの脇から外そうとする。
三人分の力が一斉に加わる。巨漢の足が土を踏み込み、槍を持つ男の腕には筋が浮かび上がった。
「ぐぉおおおおお!」
だが、それでもタケルは倒れない。雄たけびを上げながら足元がじりじりと土を削っていくだけで、その態勢を崩しきれずにいる。
「こいつ!化け物か!?」
驚愕した男の声が響いた。しかし、三人がかりで動きを封じられている以上、タケルがいつまでも耐えられるとは限らない。
(このままじゃ――!)
稲夫は弓を下ろした。誤射が怖くて射てないのなら、もう直接助けに行くしかない。そう思って駆け出そうとしたその横を、灰色の影が通り抜けた。
「がぁう!」
オウカが女へ飛び掛かり、体当たりして押し倒す。
「なっ!なんだこいつは!?」
女からの圧力が消えた瞬間、タケルが動く。掴んでいた槍の柄を放すと、そのまま男の腹を蹴りつけた。男が後ろへよろめくと同時に、もう片方の手で押さえていたこん棒を力任せに横へ弾く。
巨漢の体勢が崩れたその隙に、タケルは脇に挟んでいた女の矛を掴むと、一歩踏み込んで巨漢の胸へ突き込んだ。
「ぐがっ……に、逃げろ……姉御」
掠れた声を残し、巨漢の体から力が抜ける。タケルが矛を引き抜くと傷口から血が溢れ、男は膝から崩れ落ちた。
槍を持った男がすかさず踏み込むが、それよりも早くタケルが矛をまっすぐ突き出し、男の喉へ突き立てる。
「……!?」
矛を引き抜くと、男は声すら上げることができず、その場へ倒れた。タケルは矛を構え、すぐに周囲へ視線を走らせるが、新たに襲いかかってくる者はいなかった。
「……終わったか」
その声を聞いて初めて、稲夫も周囲が静かになっていることに気づいた。荒い呼吸と、負傷した者の呻き声だけが夜の中に残っていた。
タケルは奪った矛を地面へ落とすと、鉄製の矛が刺さって倒れている男の胸から自分の矛を引き抜き、オウカが押さえつけている女へ向かう。
「アンタ!よくも仲間を!」
地面に組み伏せられた女は、短く乱れた髪を振り回しながら激しくもがく。胸にはさらしのように布を巻き、腰にも短い布を身につけている。胸元では、月明かりを受けた白い骨の飾りが揺れていた。
「……殺さなかったのか」
タケルがオウカへ目を向ける。オウカは女の肩を前脚で押さえ、身を起こそうとするたび低く唸って地面へ押し戻していた。牙は見せているものの、喉元へ噛みつこうとはしない。
「殺せ!」
「死ねると思うな。お前たちが何者なのか、洗いざらい吐いてもらう」
タケルの言葉に、女はもがくのを止めた。地面へ押さえつけられたまま、それでも睨む目だけは少しも衰えていない。
「……言うかよ」
「まあいい。続きは後で聞く」
タケルは女から視線を外し、周囲を見渡すと、少し離れたところからヤナギとツチハルが荒い息を吐きながら駆け寄ってきた。
「戦士長!ご無事ですか!?」
「何とかなったけど、死ぬかと思った……」
「お前たちも無事だったか」
タケルは短く息を吐くと、オウカに押さえられている女を指した。
「ヤナギとツチハルは、こいつを縛り上げろ。オウカと一緒に交代で見張れ。俺は止めを刺して回ってくる」
「やめろ!」
「断る。どのみち、多くは深手で助からないだろう」
女が顔を上げて叫ぶが、タケルの声に迷いはない。何一つ取り合う余地などなさそうだった。
「タ、タケル……俺も何か手伝うよ」
震える声を抑え、一歩前へ出る。
「では、稲夫様は……いえ、稲夫様は、休んでいてください」
「だ、だけど……」
村は襲われたばかりで、タケルたちも戦った。自分だけ何もせず休むわけにはいかない。そう考えているのに、言葉がうまく出てこなかった。
「稲夫様、ここは戦士長の言う通り、後は私たちに任せてお休みください」
「そうだよ、稲夫様。顔も手も真っ青っすよ」
ヤナギに言われ、稲夫は初めて自分の手を見た。血の気が失せた指先が、小刻みに震えている。反対の手で押さえつけても、その震えは止まらなかった。
「……分かった。ちょっと、水でも飲んでくるよ」
それだけ言って、稲夫はタケルたちに背を向ける。戦いの跡をなるべく見ないように、一人その場を後にした。




