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米農家、異世界で豊穣神になる  作者: コガネシキ弐玉
第四章 六月

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69話 〈六月上旬〉眠れぬ夜

「ウォーーン!オォーーン!」


 虫とカエルの声がこだまする夜、それを引き裂くような鋭さでオウカの遠吠えが響き渡った。


「んん……オウカが何度も吠えるなんて珍しいな……」


 その遠吠えで、住居で寝ていた稲夫は目を覚ました。まだ眠気の残る目をこすりながらゆっくりと体を起こすと、横で寝ていたタケルとミズキも同じように身を起こしていた。


「……妙ですね。オウカがあれほど吠えるのは初めてです」


「何かあったのでしょうか?」


 タケルはすでに眠気など吹き飛んだように外へ意識を向けていた。一方のミズキは何が起きているのか分からないらしく、不思議そうに住居の入口へ目を向ける。


「アオォーーン!」


 稲夫たちが起き出してからも、オウカの声は止まらない。一度、二度、三度と、夜の村へ長い遠吠えが響いてくる。


「起きちゃったし、ちょっと様子を見てくるか」


「……俺も行きます」


 稲夫は「よっこらせ」と爺臭い掛け声とともに腰を上げ住居を出る。その後ろから、鉄製の矛を背負い、弓矢を手にしたタケルが続く。

 そして、入口をくぐる直前、タケルは振り返った。


「ミズキ、お前は住居から出てくるな」


「え?……わかりました?」


 突然言われたミズキはきょとんと目を瞬かせたものの、素直にうなずいた。

 稲夫とタケルが住居を出ると、再びオウカの遠吠えが響いた。


「アオォーーン!」


 外は暗く、月明かりだけが村を淡く照らしていた。日中に雨が降っていたこともあり、生暖かく湿った空気が肌へまとわりついてくる。

 その中で、オウカは村の南側の一角に立ち、柵の向こうへ向かって何度も声を上げていた。


「どうしたオウカ?仲間の狼でもいたのか?」


「ウォォォーン!」


 近づいてきた稲夫へ一度だけ視線を向けたものの、オウカはすぐさま村の外へ向き直った。近くに仲間の狼がいるようには見えない。それに、誰かへ襲いかかろうとしているわけでもなく、ただしきりに外へ向かって遠吠えを続けている。


「村の外に何かあるのか?」


 稲夫もその視線を追った。


 ――何もない。


 というより、何も見えない。暗いし、遠いし、何より眠い。目を凝らしてみれば、柵の向こうに茂みらしき黒い塊があるような気がする。それくらいだった。


「…………」


 稲夫がぼんやりと闇を眺めている隣で、タケルだけは微動だにしない。じっと村の外を見据えたまま、手にしていた弓へ一本の矢をつがえる。そのままゆっくりと弦を引き絞ると、弓が大きくしなり、張り詰めた弦がかすかに軋んだ。


「タケル?」


 何をしているのかと声をかけた時、タケルの手から矢が離れる。弦が鋭く鳴り、放たれた矢が夜の空気を裂いて飛んでいった。


「ぐあっ!?」


「え?」


 矢が消えた先から、聞き覚えのない男の悲鳴が上がった。それまで静かだった茂みが、一斉にガサガサとうごめき始めた。


 タケルの表情が変わった。


「敵だ!!!戦える者は村の南に集まれ!!!」


 夜を割るような怒号が村中へ響き渡る。


「見つかった!全員飛び出せ!」


 今度は暗闇から、鋭い女の声が飛んだ。その声を合図にしたように、茂みの中から次々と弓や槍を手にした人影が飛び出してくる。暗がりのせいで顔までは分からないが、その数は十人どころではない。


「うおっ!?て、敵!?マジで!?」


 眠気など一瞬で吹き飛んだ。目の前で起きていることを理解する間もなく、タケルはすでに次の矢をつがえている。そして堀へ駆け寄った男へ狙いを定め、そのまま射る。


「ぎゃあぁっ!」


 矢が胸元へ深々と突き刺さり、男が倒れた。タケルは続けざまに次の矢へ手を伸ばし、次々と迫る男たちへ射かけていく。


「回り込め!向こうの柵がない場所まで走れ!」


 再び女の声が響くと、男たちは堀に沿って一斉に走り出す。


「狙いは門か!」


 タケルはもう一本矢をつがえ、門へ走る男達の背へ放った。その結果を確かめることもなく、自らも柵に沿って駆けていく。


「えっと、その……」


 稲夫だけが、突然の出来事に状況を飲み込めず、その場に立ち尽くしていた。

 タケルも男たちも門の方へ走り去り、怒号や足音まで遠ざかっていく。ほんの数秒前まで目の前で人が矢に射抜かれていたのに、何をすればいいのか分からないまま、自分だけがそこに残されていた。


(もしかして、これって夢?起きたらタケルが騒いでるだけだったり?)


 そうであってほしい。そう現実逃避しかけたところへ、駆ける足音が近づいてきた。


「稲夫様!」


 振り返ると、弩を抱えて南側へ走っていたヤナギが、立ち尽くしている稲夫に気づいた。


「ヤナギ!お前も起きてたのか!」


「あんだけ騒がしかったら嫌でも起きますって!それより、まずいですよ!」


 息を切らしながら、ヤナギはタケルが駆けていった方へ顔を向けた。


「柵はもうほとんど完成してるんですけど、門だけまだなんですよ!あそこだけ塞がってない!」


「門……!タケルもそっちに向かった!」


「だったら急ぎましょう!」


 ヤナギが弩を抱え直すと、そのまま走り出した。


「ちょっ、俺も行くぞ!」


 稲夫も慌てて後を追う。頭の中ではまだ何一つ整理できていない。それでも足だけは止めず、二人で南側の門へと急いだ。


 走るにつれて、前方から聞こえる怒号や悲鳴が次第にはっきりしてくる。

 やがて見えてきたのは、柵と柵の間にぽっかりと開いた出入口へ殺到する敵の姿だった。


「うぉおおお!」


 しかし、その狭い出入口をタケルが鉄の矛を振るい、たった一人で迫りくる敵を押し返していた。


「死ねっ!」


 男の一人が槍を突き出す。タケルは半身になって穂先をかわすと、そのまま鉄の矛を男の胸元へ突き刺す。


「がっ……!」


 矛を引き抜くと同時に血が散り、男は膝から崩れ落ちた。


「何だこいつ!つえぇ!」


「柵をよじ登って回り込め!」


 再び女の声が飛ぶ。何人かの男たちが門前から離れ、格子状に組まれた柵へ駆け寄った。堀を越え、柵に張り付くようにして手を掛ける。


「させるかよ!」


 ヤナギがすぐさまそちらへ走った。弩を構え、柵をよじ登ろうとしている男へ狙いを定めると、乾いた音とともに矢が放たれる。


「ぐあっ!?」


 矢を受けた男の手が柵から離れ、そのまま堀へ転げ落ちていく。


「うおっ!?当たった!?」


 ヤナギの動きが一瞬だけ止まったが、すぐに我に返ると、次の矢へ手を伸ばす。


 稲夫もその様子を見ながら、どう動けばいいのか分からず立ち止まっていると、背後から聞き慣れた声が飛んできた。


「稲夫様!ご無事で!?」


「ツチハルさん!」


 ツチハルが息を切らして駆け寄ってきた。手には弩を抱え、その肩には見覚えのある弓と矢筒が掛けられている。


「巫女様から、これを稲夫様にと」


 ツチハルは肩から弓と矢筒を外し、稲夫へ差し出した。いつも練習に使っている、自分の弓矢だった。


「俺の弓……」


「それと――無理はなさらぬように、と」


 稲夫は弓矢を受け取った。いつも使っているものと何も変わらない。だが、それなのに今は妙に重い。


「私はヤナギと右手から援護します!稲夫様は左手を!」


「わ、分かりました!」


 ツチハルは弩を抱え直すと、ヤナギのいる方へ駆けていった。

 その背中を見送り、改めて手元を見る。気づけば自分も弓を持って戦場に立っている。


(……やるしかない)


 弓を握り直し、門の左手側へ走る。すると柵の向こうに、弓へ矢をつがえている一人の男を見つけた。


(いた!敵だ!)


 すぐさま足を止め、矢をつがえる。これまで何度も繰り返してきた動作で弓を構えて弦を引き、男へ狙いを合わせる。


 ――そこで、手が止まった。


(これ、指を離したら……あいつ死ぬんじゃないか?)


 当たり前のことだが、その当たり前のことを今になって初めて理解した。向こうにいるのは的ではなく人だ。この指を離せば、矢はあの男へ飛んでいく。


(本当に……射ていいのか?)


 迷っている間に、男の顔がこちらを向いた。男は弓を持ち上げ、稲夫へ向かって矢をつがえる。


「ひっ」


 稲夫は反射的に、弦を押さえていた指を離した。


 弦が鋭く鳴り、矢が飛ぶ。

 矢は男の眉間へ突き刺さると、その場で崩れ落ちた。


(……死んだ?)


 男はピクリとも動かない。

 稲夫は弓を握ったまま、先ほど弦を離した自分の指へ目を落とした。


(俺が……殺した?)


 周囲では怒号も悲鳴も続いているのに、その全てがやけに遠く聞こえた。頭の中には霧でもかかったように何も浮かばず、稲夫はその場に立ち尽くした。


「この村には、一歩たりとも踏み入らせん!!!」


 その時、タケルの怒号だけが、遠のいていた音を突き破るように耳へ届いた。


 稲夫ははっと顔を上げる。


 門の前では、タケルが何人もの敵を相手に矛を振るっていた。突き出された槍を払い、踏み込んできた男を押し返し、自らの体で出入口を塞いでいる。

 少し離れた場所では、ヤナギが必死に弩へ次の矢をつがえている。ツチハルもまた、弩を構えて敵を狙っていた。


(……何してんだ、俺)


 敵はまだ押し寄せている。自分がここで立ち尽くしている間にも、皆は戦っている。その背後には田んぼがある。畑がある。そして、そこで暮らしている人たちがいる。


(考えるのは後だ……今は、村を守る!)


 震える手で矢筒へ手を伸ばし、次の一本を取り出す。そして再び敵へ向けて弓につがえた。

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