67話 〈六月上旬〉収穫と種まき
畑に着くなり、ヒナタが大きく育ったカブへ駆け寄った。
「ねぇねぇ!これもう食べられる!?食べられる!?」
ヒナタが弾んだ声を上げながら、稲夫とツチハルに大きく育ったカブを指差した。
「どれどれ」
稲夫はしゃがみこんで、ヒナタが指さしたカブを品定める。地面から顔を覗かせたカブは丸々と太り、その上では青々とした葉が初夏の風に揺れていた。
「そうだな。もう十分大きくなったし、収穫するか」
「やったー!」
ヒナタはぱっと顔を輝かせ、その場でぴょんぴょんと飛び跳ねた。
「随分と嬉しそうだな」
「ここ最近、ずっともう食べられるか聞いてましたからね。念願かなったということでしょう」
ツチハルは、はしゃぐ娘へ目を向けて頬を緩める。
「じゃあ取っちゃうね!」
待ちきれないとばかりに、ヒナタはカブの葉を束ねて掴むと、力いっぱい横へ引っ張った。
「うんしょ!うんしょ!」
小さな体を後ろへ反らせ、懸命に引っ張るものの、カブは土に埋まったままびくともしない。
(なんだか、童話の『大きなカブ』みたいだな)
このまま俺とツチハルが加わり、その後ろにミズキやタケルが並んで引っ張ることになるのだろうか。タケルが引っ張ったら、一瞬で終わりそうだ。
「ヒナタちゃん、カブは横に引っ張るんじゃなくて、真上に引くとうまく抜けるよ」
「本当!?」
ヒナタはカブの葉を掴み直して深く腰を落とすと、今度は真上へ向かって力を込めた。湿った土がわずかに持ち上がり、次の瞬間、土をこぼしながら丸々と太った白いカブが姿を現す。
「やったー!取れたー!大きいー!」
「ヒナタ、良かったな。今日は美味しい汁物を食べられそうだね」
ツチハルはヒナタの抱えたカブに手を伸ばし、表面についた土を軽く払い落とした。
「ヒナタ、もっといっぱい取る!」
そう言うと、抱えていたカブを地面へ置き、今度は自分で収穫する株を探し始めた。畝をあちこち見て回った末、ひときわ大きく、葉の状態もいいカブを見つけて手を伸ばす。
「あ、ヒナタちゃん。そのカブは抜かないでほしい」
「ええ!?何で!?」
「種を取るために、育ちのいいやつを何本か残しておきたいんだ」
「ええー……そんなー……こんなに美味しそうなのに……」
先ほどまでの元気はどこへ行ったのか、ヒナタはがっくりと肩を落とした。
「ヒナタ、種が取れればまた次も美味しいカブが食べられる。だから今は我慢しような?」
まだ名残惜しそうにツチハルの服の裾を握るヒナタの頭を、ツチハルはそっと撫でた。
「……わかった。ヒナタ我慢する……」
「じゃあ、残しておくやつ以外から、今日食べる分だけ収穫しようか」
それから三人で畝を回り、十分に育ったカブを選んでは一つずつ引き抜いていく。
「これ食べられる?」
「それはもう少しだな。こっちはいいぞ」
稲夫が収穫する株を見極め、ヒナタとツチハルが葉を束ねて掴み、傷つけないようゆっくりと真上へ引き抜いていく。土をこぼしながら白いカブが顔を出すたび、畝の脇に並ぶ収穫物が一つ、また一つと増えていった。
「結構取れたな。今日はここまでにしようか」
稲夫は畝の脇に並んだカブへ目を落とした。今日食べるには、もう十分な量だ。それでも畑には、まだ青々と葉を広げたカブが残っている。種を採るために、あえて手をつけなかった株まであった。
(前だったら、こんな余裕なかったよな)
この世界へ来たばかりの頃は、食料に余裕などなく、今日の飯を用意するのだけで精いっぱいだった。それが今では、今日食べる分だけを選んで収穫し、残りを明日以降へ回せる。
タケルとオウカが狩りから肉を持ち帰る日も増え、倉庫にも少しずつ食料が蓄えられるようになった。
(少しずつだけど、ちゃんと食えるようになってきたんだな)
ふと自分の腹へ目を落とす。こちらへ来たばかりの頃にはすっかり痩せてしまっていた体にも、いつの間にか随分と肉付きが戻っていた。
「いっぱい取れた!」
「手伝ってくれてありがとうな。ヒナタ」
ツチハルはそう言うと、ヒナタの頬についた土を親指で拭った。
「ヒナタちゃんも、お疲れさま。たくさん取れたね」
「うん!」
元気な返事を聞きながら、稲夫は畝の脇に並んだカブから、収穫を終えた畑へ視線を移した。ところどころカブを抜いた跡が残っているものの、畝そのものはほとんど崩れていない。
「畝も残ってますし、このまま畑に大豆の種を播いてしまいましょう」
稲夫は念のため持ってきていた大豆の種を入れた包みをズボンのポケットから取り出した。
「このままカブを植えていた畑に植えて大丈夫なのですか?」
「ええ。畝の形も残ってますし、水はけも悪くなさそうですから。表面を軽く整えれば、わざわざ一から作り直す必要はないですよ」
「ヒナタも種播きたい!」
「いいぞー。でも食べちゃ駄目だからね?」
「食べないもん!」
すぐさま抗議しながらも、ヒナタは大豆を落とさないよう両手を差し出す。稲夫はその小さな手のひらへ、いくつか種を載せてやった。
「稲夫様、娘が面倒をかけて申し訳ありません」
「大丈夫ですよ。これくらいの子は元気があった方がいいですから」
申し訳なさそうなツチハルに、稲夫は笑い交じりに答えた。
それから畝の表面を手で軽くならすと、ヒナタにも見えるよう、その場にしゃがみ込む。
「じゃあ、まずは穴を開けようか。隣とは手のひら二つ分くらい空けて、深さは指の中程くらいでいい。ここに大豆を三粒入れて、上から土をかぶせる」
稲夫は指先を土へ差し込み、小さなくぼみを作る。手のひらから大豆を三粒つまんでそこへ落とし、土を軽くかぶせていく。
「一個じゃ駄目なの?」
「芽が出ない種もあるから、何粒か一緒に播いておくんだ」
ヒナタは「ふーん」と大豆を見つめると、手のひらから三粒つまんだ。先ほど見たのを真似して穴へそっと落とし、周りの土を指先で寄せて種が見えなくなるように覆っていく。
「こう?」
「そうそう。上手だよ」
やり方が分かると、ヒナタは次の場所へ移って新しい穴を作り始めた。三人で畝に沿って進み、穴を作っては豆を落とし、土をかぶせる。その繰り返しとともに、畝には土をかぶせた跡が等間隔に並んでいった。
「そういえばツチハルさん。タケルから弩を試してほしいって言われてましたけど、どうでしたか?」
次の穴へ大豆を落としながら、稲夫は向かいで作業するツチハルへ声を掛けた。
「やりましたよ。あれなら、私でもなんとか矢を射れそうです」
「おお、良かったです!射手が増えるなら、とても心強いですよ」
柵の内側から矢を放てる人間が増える。それだけでも、今の村にとっては大きな戦力になる。
「ですが、動かない的に当てるのと、人を相手にするのでは勝手が違うでしょう。実際に戦いで扱えるかは、まだ分かりません」
「それは、これから練習して自信をつけるしかありませんね」
そう答えながらも、稲夫にも他人事ではなかった。
(俺だって、本当に人へ向けて射てるかは分からないもんな……)
自分もタケルに作ってもらった弓を引く練習は続けている。初めの頃は満足に引くことさえできなかった重い弓も、練習の甲斐あって、今では的へ矢を当てられるようになってきた。
だが、的と人間ではまるで違う。その違いだけは、いくら的を射ても埋められそうになかった。
「ヒナタも弩?ってやつ使ってみたい!」
話を聞いていたヒナタが、不意に顔を上げた。
「あー……ヒナタちゃんには、まだ早いかなー」
さすがに子供へ武器を持たせるわけにはいかない。ましてや戦わせるなどもってのほかだ。
「ヒナタも戦えるようになって、村もロウも守りたい!」
迷いなく言い切ったその言葉に、ツチハルの手が止まった。指先に摘まんでいた大豆を手のひらへ戻すと、ツチハルはヒナタへ向き直る。
「ヒナタが戦わなくても大丈夫だよ。お父さんがちゃんと村を守ってみせるから、ヒナタは戦わなくていいんだ」
そう言って、ツチハルは娘の頭へぽんと手を置いた。
「でも……ヒナタも守りたい」
「その気持ちだけで十分だよ」
「……わかった」
まだ納得しきれてはいないのか、ヒナタは少しだけ唇を尖らせた。それでも父親の言葉には逆らわず、再び手元の大豆へ視線を落とす。
「これは、ちゃんと村を守らないといけませんね」
「ええ、そうですね。逃げずに戦い抜かねばいけませんね」
ツチハルは短く答え、ヒナタから村の方角へ視線を移す。その声はいつもと変わらず穏やかだったが、口元は固く結ばれていた。
稲夫も何も言わず、静かに頷く。何があろうとこの畑も、田んぼも、村も、そこで暮らす者たちも守らなければならない。その思いだけは、迷う余地がなかった。
(一応神様なんだし、みっともない姿はさらせないよな)
その思いを胸に、稲夫は次の種を手に取り、再び土へ指を差し込んだ。




