66話 〈六月上旬〉備え
日が高く昇り、杭を打つたびに乾いた音が村の外れへ響いていた。額から流れた汗を腕で拭いながら、稲夫は打ち込んでいた杭から手を離した。
「もう随分と形になってきたな」
村の周囲に掘られた堀の上には、胸の高さほどある木と蔦を格子状に組み合わせた柵がずらりと並んでいた。
作り始めた頃は頼りなく見えていたものも、こうして数が揃ってくるとなかなかの威圧感がある。
すでに全体の三分の二以上は設置を終えており、完成まではもう一息というところだった。
「ん?あれは?」
感慨深く立ち並ぶ柵を眺めていた稲夫の目が、一か所で止まった。
途切れることなく続いている柵の中に、そこだけぽっかりと隙間が空いている。人が二人並んで通れそうな幅があり、どう見ても杭を立て忘れたという大きさではない。
「タケル、あそこの隙間は柵を立てなくていいのか?」
少し離れたところで柵を立てていたタケルへ声を掛ける。
稲夫が指差して場所を示すと、タケルもそちらへ目を向け、思い出したように答えた。
「あそこは門を設けるため、柵を立てずに空けている場所です」
「ああ、それで柵を立てていなかったのか」
言われてみれば当然だった。
村を柵ですべて囲ってしまえば、今度は自分たちが外へ出られなくなる。
(というか、今まで柵を作ってきておいて、入口になる門のこと何も考えてなかったな……)
柵を完成させることばかりに意識が向き、その出入口をどうするのかまでは考えが及んでいなかった。
「門か……タケルの前にいた村ではどうしてた?」
「大したものではありません。柵の一部を人が通れるほど空け、そこを出入口としておりました」
「なるほど。扉があるわけじゃないのか」
「はい。見張りもおりましたので、それで十分でした」
確かに、常に誰かが出入口を見張っているのであれば、それでも問題はないのだろう。
しかし、今の村で同じことをするのは難しい。畑や田んぼの世話に、狩りや採集、柵作りまである。人数の少ない村で、門の前に一日中誰かを立たせておく余裕などない。
「ずっと見張りを立てるのは厳しいよなぁ。だったら、やっぱり閉められるようにした方がいいか。普段は開けておいて、必要な時だけ扉を閉められれば――」
「でしたら、出入口を丸太で塞いではいかがでしょうか。通る時だけどかせばよいかと」
「馬鹿野郎!お前しか出入りできないわ!」
思わず声を上げ、稲夫は頭を抱えた。
毎朝タケルを呼んで丸太をどかしてもらう門など、あまりにも使い勝手が悪い。本人は至って真面目な顔をしているあたり、本気でそれを実行するつもりだったらしい。
ただ、夜だけ出入口を塞ぐという考え自体は悪くない。
(普段は開けておいて、夜だけ簡単に塞げるようにする……それならいけるか?)
「まぁ、細かいところはヤナギと相談するとして、とりあえず今は残りの柵を終わらせよう」
「承知しました」
タケルが頷き、再び杭を手に取る。稲夫も作業へ戻り、二人で残りの柵を立て始めた。
しばらくして、木を打つ乾いた音に混じって、遠くからこちらを呼ぶ声が聞こえてきた。
「稲夫様ー!」
手を止めて振り返ると、ヤナギとイトハがこちらへ歩いてくる。
「どうした?」
稲夫が声を掛けると、ヤナギは待ってましたとばかりに手にしていたものを高く掲げた。
「頼まれてた弩、できましたよ!」
「おお!」
稲夫は思わず声を上げ、ヤナギの持つ弩へ目を向ける。
形そのものは、以前稲夫が見よう見まねで作ったものと大きくは変わらない。木の台の上に弓を横向きに取り付け、張った弦を留めて引き金で放つ仕組みだ。
だが、作りの丁寧さは比べものにならなかった。
稲夫が作ったものには削り跡や僅かな歪みが残っていたが、ヤナギの弩は木の表面が滑らかに整えられ、それぞれの部品もしっかりと噛み合っている。弦を留める部分も以前より頑丈に作られており、手に取らずとも完成度の違いが分かった。
「すげぇな。俺が作ったやつより、ずっとちゃんとしてるじゃないか」
褒められた途端、ヤナギの顔が目に見えて得意げになる。
「いやぁ、俺も最初は稲夫様が作ったのをそのまま真似するつもりだったんですよ? でも作ってるうちに、ここの噛み合わせはもっとこうした方がいいとか、ここは削った方が持ちやすいとか、色々見えてきましてね。せっかく俺が作るんだから、中途半端なもんにはしたくないじゃないですか。で、あれこれ直してたら、いつの間にか元よりずっと出来のいいものに――」
「はいはい。すごいすごい。自慢はその辺にして、早く説明しなよ」
「イトハ姉、今いいところだったんだけど!?」
横にいたイトハが、面倒そうにヤナギの話を遮る。
ヤナギが不満そうに振り返る。イトハは気にした様子もなく、呆れたような目を向けるだけだった。
「放っておいたら日が暮れるでしょ?自慢しに来たんじゃなくて、出来た弩を見せに来たんじゃないの?」
「まったく……分かったよ。じゃあ――イトハ姉、撃ち方教えるからやってみてくれ」
「ワタシ!?それで連れてきたの!?何も聞いてないんだけど!?」
突然話を振られたイトハが目を見開く。
「そりゃ何も言ってないからな。何も知らない人が射てるように作ったから大丈夫だって!」
「何が大丈夫なのよ!心の準備ってものがあるでしょ!?」
抗議するイトハをよそに、ヤナギは半ば押し付けるように弩を持たせた。
戸惑いながら両手で受け取ったイトハへ、ヤナギはすぐ隣に立って使い方を教え始める。
「まず、この弦を後ろまで引いて、ここに引っ掛ける。ちゃんと掛かれば手を離しても戻らないから」
イトハは言われた通りに弦を掴み、腕に力を込めた。
「っ……!か、硬い……!」
「イトハ姉にはちょっと重すぎたか?使う人によって、もう少し引きやすくした方がいいかもな……いや、弦を引く仕組み自体を変えた方が……」
「ぶつぶつ言ってないで手伝ってよ!これ以上引けないんだけど!」
「あーはいはい。じゃあ一緒に引くぞ」
ヤナギが横から手を添え、イトハと一緒に弦を引いていく。ぎりぎりと張りつめながら後退した弦が所定の位置まで来ると、最後に小さな音を立てて留まった。
「よし。これで弦は張れた。次は矢をここに置く」
ヤナギは短い矢を渡し、木の台に刻まれた溝へ載せるように教える。
「これで……いいの?」
「ああ、あとは構えて狙いを合わせて引き金を引くだけだ」
イトハは恐る恐る弩を持ち上げた。先ほどまでの抗議する勢いは消え、今は壊れ物でも扱うように両手へ力が入っている。
「ほ、本当にこれで飛ぶの?」
「飛ぶ飛ぶ。試しにあそこの丸太の壁に向かって飛ばしてみてくれ」
ヤナギが指差した先には、タケルが建てた丸太の壁が並んでいる。イトハは震える手で丸太の壁に弩の先を向けた。
「……い、いくよ?大丈夫よね?」
「大丈夫だって。早く撃ってくれ」
急かすような言い方に、イトハはむっと眉を寄せ、ヤナギを横目で睨んだ。それでも言い返すのは我慢したのか、すぐに視線を丸太の壁へ戻す。イトハは一度だけ息を整えると、恐る恐る引き金へ掛けた指に力を込めた。
張りつめていた弦が勢いよく解放され、乾いた音とともに矢が飛び出す。放たれた矢はほとんど横へ逸れることなく真っ直ぐに飛び、的にした丸太へ突き刺さった。
「おお!ちゃんと真っ直ぐ飛んだ!」
稲夫は思わず的の丸太とイトハを見比べた。
弓を扱った経験のないであろうイトハが、簡単な説明を受けただけで矢を飛ばし、きちんと狙った方向へ当てている。少なくとも、稲夫が最初に作った試作品より遥かに実用的だった。
「ほらな!ちゃんと当たっただろ。イトハ姉、初めてにしちゃ上出来だ!」
「そういう問題じゃないでしょ!試すなら先に言ってよ!」
褒められても機嫌は直らなかったらしく、イトハは弩をヤナギへ押し返しながら睨みつける。
「いや、言ったら余計に緊張するかと思って」
「それはそうだけど!練習くらいさせてよ!」
もっともな言い分に、ヤナギもさすがに反論できなかったのか、受け取った弩を抱えたまま気まずそうに視線を逸らした。
一方、タケルは二人のやり取りには構わず、先ほどから丸太に突き刺さった矢へ目を向けていた。的となった丸太まで歩み寄ると、矢に手を伸ばし、どれほど深く食い込んでいるのか確かめる。
「十分な威力があります。それに、今の様子を見る限り、これならツチハルにも扱えそうですね。後ほど一度射たせてみましょう」
「タケルのお墨付きだな。ありがとうヤナギ」
「でしょう?俺が作ったんだから、これくらい出来て当然ですよ!これを作り上げるのに試行錯誤の上に――」
再び始まった自慢話を適当に聞き流しながら、稲夫は完成した弩へ目を落とした。
誰でもすぐ使いこなせるわけではないだろうが、少なくとも長い訓練を積まなければ矢を飛ばすことすら難しい武器ではない。それなら、村を守るための武器として数を揃える意味は十分にある。
「ヤナギ、これと同じものを何個か作れそうか?」
「もちろんですよ。作り方はもう分かってますし、このぐらいなら任せてください!」
ヤナギは迷うことなく引き受け、弩を抱えたまま胸を張った。
普段調子のよいことばかり言うヤナギだが、こういう時は本当に頼りになる。きっと数日もしないで作り上げるのだろう。
あとは、それらの武器を使う日が来ないことを願うばかりだった。




