59話 〈五月下旬〉できること
朝、稲夫が外に出ると、倉庫の前でヤナギが獣の皮を引っ張り出していた。昨日まで積まれていた木材や道具の脇に、剥いだまま乾かされていた皮が何枚も重ねられている。
「ヤナギ、何してるんだ?」
「あ、稲夫様!イトハ姉が皮を加工するって言うんで、倉庫から出してるんすよ!」
「鞣すのか?イトハさん、そういうこともできるんだな」
ここ最近、タケルはオウカの訓練を兼ねて狩りを続けていた。獲物は増えたが、皮を加工する余裕はなく、倉庫へ積まれたままになっていた。
「こんなに溜まってたのか。俺も運ぶの手伝うよ」
「助かります!これ、見た目以上に重いんすよ!」
ヤナギから皮を受け取ると、ずしりとした重みが腕に掛かった。乾いているとはいえ、皮の裏側には脂や肉片がこびりついている。
「これ、本当に綺麗になるのか?」
「イトハ姉なら大丈夫っすよ!」
皮を運んだ広場に行くと、イトハだけでなく、ミズキとアキも作業していた。
イトハは地面に広げた獣皮を、鋭く割った石で裏側に残った肉をこそぎ落としている。
ミズキは水の入った土器で皮を洗い、アキは皮を叩いて柔らかくしていた。
「皆お疲れ様。正直、この皮はどうしようか困ってたから助かるよ」
「いえ、私は洗っているだけですので」
「ウチも手伝ってるだけだよ。大体はイトハさんがやってくれてる」
稲夫が皮を下ろすと、イトハは手を止め、少し困ったように頭を下げた。
「その、こんな些細なことしかできませんが……」
「そんなことねぇぞ!」
すぐにヤナギが声を上げた。
「イトハ姉が加工した皮や織物は一級品だ!オレの鉄器だって、イトハ姉が加工した皮や織物と交換して手に入れた物だからな!」
「大げさよ。実際には、村の人達は怖がって触りすらしなかった。欲しがったのは村の外の人か、ヤナギくらいだったもの」
イトハはそう言って、痣のある右腕に視線を落とす。
だが、アキは首を横に振った。
「いや、それは見る目がなかっただけだよ。石だけで穴を開けず、ここまで綺麗に、かつ均一に肉を削るのは簡単じゃない。しかも手際もいい。これは慣れてる人の仕事だね」
「私も詳しくはありませんが、見ていても真似できる気がしません」
ミズキも控えめに続けた。
イトハは二人から褒められているというのに、どう反応していいのか分からないように少し目を伏せる。
その横で、なぜかヤナギだけが満足そうに頷いていた。
「な?言った通りだろ?」
「何でヤナギが得意げなのよ……」
イトハが呆れたように言うと、ヤナギは笑って肩をすくめた。
「じゃあオレ、また皮持ってくるから」
そう言って、ヤナギは倉庫の方へ戻っていった。その背中が離れると、アキが待っていたとばかりにイトハへ顔を向ける。
「ところで、ヤナギとはどんな関係なの?イトハ姉って呼ばれてるけど、兄弟には見えないし、親戚とか?」
「いえ、ヤナギとは血のつながりはなくて、小さい頃からよく話し相手になっていただけで……」
「なーるほど?じゃあ昔から仲が良かったんだ?」
「どうでしょうか……ヤナギは昔から変な物を作っては自慢しに来ていただけでしたし、慕われているかは、分かりません……」
イトハはそう言いながらも、石を動かす手を少しだけ緩める。
「いやいや!生贄にされそうだったところを助けられたんでしょ?普通そこまでしないって!絶対慕ってるって!」
「そう、でしょうか……だといいのですが……」
イトハの手が止まる。
一瞬、長い前髪の間から嬉しそうな、不安そうな表情を覗かせる。
アキはその反応を見逃さなかったらしく、口角の上がりきった悪い顔でイトハに迫った。
「もしかして、なんか特別な気持ちがあったりして?」
「そ、それは……!その……!」
イトハの白い頬が赤くなり、視線が泳いだ。普段の物静かな彼女が、明らかに動揺している。
「イトハ様」
そこでミズキが声を掛けた。
イトハは助け舟が来たと思ったのか、ほっとしたようにミズキを見る。
「その話、詳しく教えてください」
「み、巫女様まで……」
イトハはますます困った顔になった。
ミズキは真面目な顔をしているが、その目は興味を隠しきれていない。
アキも楽しそうに身を乗り出しており、イトハは完全に逃げ場を失っていた。
(楽しそうだなー)
稲夫はその様子を眺めていた。
生きるだけで精一杯の暮らしでは、娯楽らしい娯楽などほとんどない。だからこそ、こういう話で盛り上がるのも仕方ないのかもしれない。
自分まで巻き込まれる前にそっと離れようとした時、ヤナギが皮を抱えて倉庫から戻ってきた。
「なんか盛り上がってるけど、どうした?」
アキがにやりと笑う。
「ヤナギさぁ、アンタも隅に置けないね!イトハさんが居るのに、なんでウチらのこと口説いたんだい?」
「え……口説いた?ヤナギ、どういうこと?」
イトハの声が低くなる。
ヤナギは一瞬きょとんとした後、気まずそうに頬を掻いた。
「あー……信用を得るために、村の誰かと関係を持つのが一番早いかなーって」
「えぇ……お前マジか……」
稲夫は思わず声が漏れる。
この手の話には疎いが、この状況でその発言は流石にまずいのは分かる。
そう思った時には、もう遅かった。
案の定、女性陣の視線が一気に冷たくなる。
「ふ〜ん……信用を得るとっておきの秘策があるって息巻いてたけど、そんなしょ〜もないことだったんだ」
「ヤナギ様、流石に軽蔑します」
イトハにも、ミズキさえも、静かに冷たく言い放つ。すると、ヤナギは分かりやすくうろたえた。
「え、いや、待って!待ってくれ!あの時はオレも必死で――」
「イトハさん、こんな奴と同じ住居で大丈夫?今からでもヤナギはオウカの小屋に移ってもらう?」
「何で!?アキさん酷くないですか!?イトハ姉!そんな事しないよね!?」
「……ちょっと、しばらく近づかないでほしい」
「ほら、アンタは皮置いてあっち行け!」
アキにドヤされ、ヤナギは抱えていた皮だけを置かされ広場から追い出されることになった。
稲夫はその後を追い、トボトボと歩くヤナギの背中に追いつくと、ぽんと肩に手を置いた。
「やっちまったな」
「稲夫様……これ、オレが悪いんですかね?」
「この手の話題は詳しくないんだけど、たぶんお前が悪いと思うぞ」
「そんな……オレの味方はいないのか……」
ヤナギは本気で落ち込んでいるようだった。
稲夫は苦笑しながら広場の方を振り返る。アキとミズキは既に作業へ戻っており、イトハも表面上は平静を取り戻して皮を削っていたが、ヤナギの方は見ようともしなかった。
「オウカと添い寝したくないなら、今からでも謝りに行こう。手伝ってあげるからさ」
「稲夫様……ありがとうございます。オレ、今ほど稲夫様が神に見えたことないです」
「普段から見てくれよ」
広場の風が妙に冷たく感じられ、ヤナギはもう一度深く肩を落とした。




