58話 〈五月下旬〉まだ見ぬ居場所
夜の村は静かだった。
広場の焚き火だけが揺れる炎を辺りへ投げかけている。その焚き火から少し離れた場所で、イトハは膝を抱えるように座りながら、一人の男を眺めていた。
ヤナギである。
昼間、稲夫様から預かった不思議な武器を膝の上に置き、木片や工具を並べて何やら作業を続けていた。分解しては組み立て、気になる箇所があれば削り、また確かめる。その手つきは真剣そのもので、焚き火の明かりに照らされた横顔には普段の軽薄さが見られない。
しばらく眺めていると、ふとヤナギが顔を上げた。
「ん?どうした、イトハ姉」
「別に……ただ見ていただけよ」
「そっか」
ヤナギは小さく笑うと、再び弩へ視線を落とし作業を始める。
「まぁでも、イトハ姉が村に受け入れてもらえて良かったよ」
その言葉に、イトハは少しだけ目を伏せた。
「ワタシも戸惑ったけど……受け入れてもらえて安心したわ」
昼間のことを思い出す。
村へ来る道中は不安で仕方がなかった。痣を見れば嫌がられるかもしれない。追い出されるかもしれない。以前の村で味わった視線や言葉が何度も脳裏をよぎっていた。
だが、実際は違った。
「稲夫様は痣は危険じゃないと言ってくれた。その後すぐにヒナタちゃんが手を取って村を案内してくれた。村の長の言葉で、ここまで反応が変わるなんて思わなかった」
右腕の痣をそっと撫でる。
以前いた村では、この痣を見れば誰もが距離を取った。子供は親に止められ、大人は露骨に顔をしかめる。まるで自分が災いそのもののような扱いだった。
そんな中で普通に接してくれたのはヤナギだけだった。だからこそ、今日の出来事は未だに現実味が薄い。
「まぁ、稲夫様のおかげだな」
「そうね。感謝しなきゃいけないわね」
そう答えながら、イトハは改めてヤナギを見る。
相変わらず何かを削ったり、組み直したりしている。
「ところで、さっきから何をしているの?」
「これか?稲夫様に改良してくれって頼まれたんだ。この武器、とんでもねぇんぞ!」
ヤナギは嬉しそうに弩を持ち上げ、熱心に語りだした。
「普通の弓と違って、誰が使っても威力が安定して矢が放てる弩っていう武器だ。今の作りだと細かい部分がまだ甘いけど、部品をちゃんと作り直せばもっと良くなるはずだ。矢を置く溝をもう少し真っ直ぐにした方がいいし、弦を引っ掛ける部分も削り直したい。上手くいけばもっと遠くまで飛ぶぞ。いや待てよ、この形なら――」
興奮するほど口数が増えるのは昔からだ。
イトハは半分ほど聞き流しながら頷いた。
「あー、そう。そうなのね。とにかく凄いのね」
「ああ!とにかく凄いぞ!」
まるで子供のように目を輝かせる。
正直なところ、話の半分も理解できなかったが、一つだけ分かることがある。
ヤナギは、生き生きしていた。
(それに比べて、ワタシはどうなのかしら)
ヤナギに連れられ村を逃れ、ヤナギの頑張りで村に受け入れられ、こうして生きながらえている。自分の意志ではなく、ヤナギに生かされている。
生贄に選ばれたあの日から、死ぬ覚悟はできていた。
だが、生きる覚悟はできていなかった。
逃げ出した日から今まで、生き延びたとして、その先で何をするのか。どう生きるのか。そこまでは考えていなかったのだ。
「ねぇ、ヤナギ……ワタシは、これからどう生きていけばいいと思う?」
ヤナギの手がぴたりと止まった。
弩を持ったまま固まり、困ったように頭を掻いた。
「急に難しいこと聞いてきたなぁ……」
「ごめんなさい」
「いや、別に謝らなくていいけどさ、オレだってそんなの分からねぇよ」
ヤナギは少し考え込んだあと、ぽつりと言った。
「そうよね、ごめんなさい……」
「だから謝らないでいいって!まぁ、とりあえずできることをやればいいんじゃねぇか?」
「できること……」
イトハは焚き火を見つめた。
炎が揺れ、ぱちりと薪が弾ける。
いったい何ができるだろうか。今まで厄介者だったワタシが、誰かのためにできる事があっただろうか。
「ワタシにできること、何かあるかしら……」
思わず漏れた言葉に、ヤナギが不思議そうな顔をした。
「何言ってんだ?イトハ姉なら、とっておきのやつがあるじゃん!」
「……何のこと?」
ヤナギはにやりと笑ったが、それ以上は何も言わなかった。
問い返しても教えてくれそうになかったので、イトハは諦めて焚き火へ視線を向ける。
揺れる炎を眺めながら、もう一度ヤナギの言葉を思い返した。
――できることをやればいい。
何ができるのかはまだ分からない。
それでも、少しだけ前を向ける気がした。




