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 「世界をみせるべきか、否か」


 師匠の言葉が聞こえ、クレイは羽ペンを止めた。

 目の前には、単語を書きなぐった紙が散らばっている。教本を真似して書いているのに、いまいちうまく書けない。

 (師匠の見る世界って、どれくらい広いんだろう?)

 クレイは自分の書いた文字を目で追いながら考える。

 クレイの世界は、師匠が広げてくれた。

 クレイは、都のごみ溜めのようなスラムしか知らなかった。一生そこで、仲間と生きていくのだと思っていた。

 しかし、師匠はクレイをこの地に連れてきてくれた。

 初めての土地に降り立った時、とても怖かったことを覚えている。知っている場所がどこにもなく、どこへ行けば食べ物にありつけるのか、わからなかった。

 しかし、この古城を拠点に、森の中を歩き回ると、都にいた時よりも食料が得やすいことがわかった。

 スラムの近くにも森はあった。しかし、行き来に半日はかかるので、金になる薪拾いや、季節の花が取れるとき以外は行くことも無かった。

 この森はスラムの近くにあった森よりも、自然が豊かだ。木の実やキノコ、ウサギや鳥が沢山いる。綺麗な小川には魚が泳いでいる。

 スラムと同じく、お腹いっぱいにはならなかったけれど、ごみをあさることは無く、大人に石を投げられることも無い。競争相手もいないし、ここならば、仲間たちと、もっと楽に暮らせていたかもしれないと思った。

 こんな場所があったのかと、驚いた。

 スラムしか知らないクレイは、生きにくいと感じながらも、スラムを出て行くなんて思いもしなかった。

 今年の冬が来る前に、外にも世界がある事に気付けていれば、スラムから出る決断をしていたかもしれない。

 仲間たちはまだ生きていたかもしれない。

 そういえば、スラムで暮らしていた頃、気が付けばいなくなっていた大人たちがいた。どこへ行ったのだろうと不思議に思ったが、彼らがいなくなったことで自分の取り分が増えたことを喜び、そんな疑問はすぐに消えていた。

 しかし、もっと考えるべきだった。彼らはもっといい場所を求めて、旅立っていった人たちだったかも知れなかった。

 (世界はもっと広いんだね、師匠)

 広い世界を飛び回っている師匠ですら、この土地と、人間の事を知らずにいた。それを考えると、世界は果てが無いように思える。

 それを思うと、少し怖い。

 でも、もしかしたら、もっと素敵な場所があるかもしれないという希望を感じる。

 クレイはその希望を持つくらいには、自分の世界を広げられたのだ。何も知らなかったあの頃より、クレイは広い世界を見ることができた。

 しかし、世界が広がるのは良い事ばかりではない。

 学校へ行けることが決まって以来、クレイは不安を感じていた。

 そして、今日、学校でその不安は的中した。

 ジェナという名前の年上の女の子が言った言葉が、クレイの胸の内にくすぶっている。

 (オレには親がいなくて、吸血鬼の師匠と暮らしていて、何故かケビンも一緒だ……)

 ジェナは変だと言っていた。

 ケビンと女の姿である師匠が両親のようなものでなければ、変だと。

 学校に行く前に、クレイは自分のことを聞かれたら、何と答えようかとずっと考えていたのだ。  

 都のスラムから来たと言うのは、ちょっと恥ずかしい。

 両親がいない孤児であることを言うのは、もっと恥ずかしい。

 では、クレイは誰だ?

 自分のことをなんと紹介すればいいのか?

 クレイはそれがわからなかった。

 自分がどこの誰かということを、自分でもわからない人間は、怪しい類に入るのではないだろうか?

 この土地の人たちは、昔からここに住んでいて、誰もがしっかりした身元を持っている。

 しかし、クレイにはそれが無い。

 一緒にいるステアもケビンも、クレイと直接つながりがあるわけではない、クレイがどこの誰なのかということまでは知らないのだ。二人はクレイの両親でがない。

 それを考えると、不安で仕方なかった。

 スラムで行き倒れていたことは、すでに村中に伝わっているが、それ以上の事は誰も知らないのだ。しかし、クレイは説明もできない。クレイ自身、自分がどこから来たかなんて知らないのだから。気が付けば、スラムで仲間と一緒にその日の糧を稼ぐのに必死になっていた。

 (変な奴だって思われたらどうしよう……せっかく師匠とウォルバートン先生とケビンが色々考えて、村に住めるようになったのに、オレが全部台無しにしてしまったら……)

 そう考えると、不安で不安で、朝ごはんも喉を通らなかった。

 ジェナに変だと言われたとき、心臓が止まるかと思った。

 その後、話題は魔法に移ったが、きっと、あそこにいた皆は、クレイの事を変だと思っているはずだ。

 (どう言えばいいんだろう?俺は俺をなんて説明したらいいんだ?)

 知らない土地に来て初めて、これまでの常識が通じなくなったのだとわかった。

 スラムでは、クレイの事を知っている仲間がいた。知り合いがいた。

 でも、ここではクレイは新参者で、誰もクレイの事を知らない。

 周りが知らない人ばかりというのは、なんと恐ろしいことだろう。頼る寄る辺が無く、自分の周りがぽっかりと闇に包まれたような感覚だ。

 そんな中で、自分の事をどう信頼してもらえばいいのか……

 いつしかクレイは悶々と考え込んでしまっていた。

 その時、突然、師匠が女の姿に化けた。

 「何やってんだ?」

 「し!誰か来る」

 師匠が慌てて身支度を整えていると、扉のノッカーが叩かれた。

 「ケビンおじさん、いますかー?」

 女の子の声だった。

 「ん?この声はマーテルか?」

 ケビンがキッチンを出ていく。

 しばらくして、女の子を二人ともなって戻って来た。

 「クレイ、ジェナとマーテルが話があるってさ」

 今日、学校にいた女の子が二人、ケビンの後ろに立って、クレイの事を見ていた。


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