第四部 幕切れ編 束縛少女 埜逆崎櫻 7
「…嘘だ嘘だ嘘だ」
もはや何を見ているのかわからない目で戒音はぶつぶつと呟いた。地面をずるずると這いながら一生懸命櫻から離れようとする。
櫻はわざと刀を振るうペースを落とす。ギラリ、ギラリ、と刃が煌くたびに血が舞い戒音は身をびくつかせながら豚のように悲鳴を上げた。もはやそれしかできないように。
そのまま戒音が五メートルほど這い回っただろうか。櫻はパックリと口を開くとゆっくりと長く、息を吐いた。
「こっちを向け、なの。向かないと次は心臓、なの」
「ひぃっ、む、向きますっ、向くからっ、向くから殺さないで」
戒音は慌てて振り向いた。そして叩き落された。
ぼろを血に赤く染めて、顔も血まみれにして、その手はとても汚れた手で。
そして両手で高々と掲げた二振りの刀。それは今や下ろされるのをただ待つだけのギロチンだ。
「ひひひっ、そう、それ、その顔、その顔が見たかった、なの」
「そ…す、戒音は約束守った、守ったよっ」
戒音は泣き叫ぶ。それに櫻は笑いながら応えた。
「だから、心臓はやめる。首を切る、なの」
櫻の両手から刀が振り下ろされる。戒音はぎゅっと目をつぶった。
真っ赤な血がただ花弁のように飛び散り櫻を、そしてこの場を染め上げる。
「ギャーーーーーァァァァァァァァァ!!!!」
長く、尾を引く戒音の悲鳴。
だけどその刃は戒音に届くことはなかった。
「……?」
不思議に思い、戒音は目を開く。目の前には刀を振り下ろしたまま、呆然とする櫻。そしてその前に両手を広げて立ちはだかった琉架の姿。櫻の顔はびっしょりと血に塗れていた。両の手に握った刀からも真新しい血が流れている。
「あ、琉架先輩…」
だけど琉架は戒音のほうなどちらりとも見やしなかった。まるで戒音など最初から見えていないとでもいうように。ただ、櫻のほうだけ見て、とても嬉しそうに、笑うのだ。
「ル…ルカ…?」
からからん、と金属音がする。櫻は刀を取り落としているのに気付けない。
琉架の制服は交差して切り裂かれ、そこからどくどくととめどなく赤いものが流れていた。
覚束ない足取りで琉架は櫻へと歩みを進める。
「…げふ」
琉架は口からびちゃびちゃと血を吐いた。足元にまるで水溜りのように血が広がっている。櫻の刀が内臓を傷つけるほど深く抉ったのは間違いない。
それでもゆるゆると琉架は足を進める。その足取りは地面を歩くのになれきっていないようにさえ見える。ひょっとすると空へ浮き上がってしまうのではないか、と思うほどだ。琉架はなんとか櫻の前にたどり着き両の手でしっかり抱きしめた。あまりに強く抱きしめようとしたせいか、琉架は櫻の背中につめを立ててしまう。
「ルカ…イタイ、なの」
言っててとても馬鹿らしい言葉のように櫻は感じていた。琉架を目の前にして、なにを言っているのだろう。琉架はそれでもぎゅっと櫻の背中につめを立てたまま、その胸の中に崩れ落ちる。
「…すみません…わたし、裏切っちゃいましたね…最低です…
でも、櫻さんももう…昔の…櫻さんじゃないんですから…あまり悪いことをしたら…ダメですよ…」
そのまま風景に消えていきそうな、透明な笑い方だった。とても幸せそうなのに、風が吹くだけで消えていってしまいそうな。琉架はそのまま、目を閉じる。
ガクリ、と糸の切れたように琉架の頭が垂れ下がる。急に力を失った身体は重く重く、櫻の細くて華奢な身体に圧し掛かった。手に触れた琉架の身体は出血のせいかどんどんと熱を失っていく。
「あ、あ、あぁぁぁぁぁあぁああぁあぁぁぁぁあ!!!!!!!!」
血に塗れたまま、櫻は叫んだ。まるで、初めて声を上げるケモノのように。それは聞く者全てを切なくさせる痛々しい音色で、身体が千切れてしまいそうだ。とても人を斬るたびに笑う、そんなバケモノのあげる声には思えなかった。
櫻は琉架の崩れ落ちた身体を抱きしめ返して、言う。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
泣きじゃくりながら、琉架の胸に頭をこすりつけながら櫻は何度何度も謝った。琉架の胸から溢れる血だけが暖かさを感じさせる。喉がかれて、声がかすれてしまっても何度も何度も謝り続けた。




