«四面平等»・左右田 上下
『正直なところ、正直なんて存在しない。』
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僕と菱森は不外の襲撃を受けた後、激しい疲労感に苛まれた。
ゆえに二人とも静けさに荒んだ事務所内で、会話らしい会話もせず、安静に身体を休めていただけだった。
ひたすらに。
いたずらに。
数時間の後に、たまたま不外の«束縛»を運良く逃れて外出していた医者・八橋 京さんが帰宅した。
「──というわけでして。」
僕は現状も含め、ここに至るまでの経緯を大まかに説明した。
説明したが、それがどこまで伝わるかについては半ば諦めているところもある。何せいきなりすぎて、何が起こったのか僕自身も解らないのだから。
「はあ・・・仕方ねえな。文句の一つも吐いてやりたいけど、案外そんな余裕もないみたい。洞木くんも毒にやられてるしよ。」
しかしそんな懸念とは裏腹に、彼女は僕の雑把な説明を一発で理解した。さすが頭脳の聡明なこと、しかし僕の中にはどこか、解ってくれないままで良かったのに──そんな思いがあった。
「毒?」
窶れた顔を無理に繕って、普段通りの表情を浮かべる菱森はそう訊いた。訊いたというよりは、ただ単語を反復した感じなのだが。
「うん。洞木くん、診たところ毒薬を仕込まれている。経口摂取かな・・・。ただでさえ重傷だってのに、そのせいで回復力が極端に低下してるのさ。」
十中八九、意図的にやられてるだろ──そう付け加え、舌打ちするように京さんは言った。
「解毒とかできないんですか?」
「いけるっちゃいけるが、でも多分間に合わないぜ。毒の正体を突き止めるとこから始めてたら、その前に洞木くんは死んじまう。だったら毒を盛ったやつを見つけてぶん殴った方が早いっしょ。」
それはなんとも言えないが。
しかし毒を盛った人物なんて、そう容易に特定できるのだろうか?
それこそ出来たとしても、莫大な労力を要するし、膨大な時間を要するだろう。
それに──だ。
もし犯人が、解毒薬なんて都合のいいものを用意していなかったら?
「どうだろうな。流石に柱の男だって用意してただろ。」
「あれとは状況がかなり違いますけどね・・・・・・。」
解毒薬をかけた決戦。
そんな機会があるのならば、否応なく僕はそれに身を投じなければいけないわけだが──どうなのだろう?
「いや、多分大丈夫だと思うぜ。だって不外の野郎が来たんだろ?」
京さんは妙に確信めいた口調で言う。
「丁度今噂になってんだよ──変な組織が発足してるってな。その中に私の知り合いが2人含まれてる。」
「不外 魁と、左右田 上下さ。」
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左右田 上下。
二つ名・«四面平等»。
職業は薬剤師。
別名は超毒師。
京さんとは旧知の間柄らしく、不外 魁とは犬猿の仲だという。
そしてそんな2人が、«命題»を狙っているらしい奇妙なチームに属していることが、まことしやかに噂として囁かれつつあった。
僕は嘆息し、洞木の部屋やパソコンを調べてみたものの、しかし有益な情報──それは例えば、その組織の情報とか、あるいは不外 魁や左右田 上下などの個人に関する情報、そういったものは一切見つからなかった。別段、«命題»が急激に狙われるようになった要因と思われるものもない。
もちろん公式の団体ではないから、活動自体を快く思わない輩も一定数いるとは思うのだけれど・・・・・・でも今回の事件は、そういうちゃちな次元じゃあない。
「動かずとも、待ってりゃ向こうから行動を起こしてくるはずさ。」
そんなことを京さんは言っていたけれど、しかし悠長に待っている余裕はない。組織との特定──特に左右田 上下との接触は可能な限り急ぎたい。
「だからさ。なんか知ってたら、教えてほしいんだけれど。」
«命題»の誇る情報屋・朝比奈ちゃんも意識を喪失してしまったとなると、僕の知る限りにおいて次に情報通なのは彼女だろう、そう踏んで僕は小さな邸宅を訪れた。
僕の後輩であり、式神遣い。
暗望 闇樹である。
「まさか2話連続で出番がもらえるとは思いませんでしたよ・・・どういう風の吹き回しなんです?これは。」
「また臆面もなくメタいことを・・・・・・どうもこうも、よく分からないさ。言わば暴風って感じだけど。確かお前、山茶花姉妹と衝突してたじゃん?それも未解決だし、関係あるのかなって思って。」
そう。
確か夏頃、そんなことを言っていた。
拘束されて拳銃まで突きつけられたのだから、憶えていないはずがない。思い出すだけでも怖気が走る。
「ええ、まだ未解決ですよ。互いに何の動きもありません。伏線のつもりではあったんですけれど、回収のチャンスを逃してしまいましてね。」
「・・・・・・・・・・・・。」
だからさあ。
やめようぜ、台本みたいな会話を表向きでするの。
「で、左右田 上下と謎の組織について──ですね?」
確認するように繰り返して、暗望は数度瞬きする。何やら思考しているらしく、口を出すのはなんとなく憚られた──ので、僕はやることもなく周囲を見渡していた。
「申し訳ありません。組織については分かりかねます。役立たずなこの私を、煮るなり焼くなりどうぞご自由に。」
「いいよ、そこまで言わなくても・・・組織については、ってことは──そう。どうせお前のことだ、左右田については知っているんだろう?」
「教えろよ。僕は今、かなり切羽詰まっているんだ。」
吸い込まれるような黒い瞳を見つめ、真剣な面持ちで言う。
「・・・厳密に言うと、知っているというわけでもないんですけれどねえ。ある人物の口から、その名を聞いたことがあるだけで。」
ある人物。
僕は反芻するように、その言葉の意味を考える。
いや、考えるも何も、それは左右田と何らかの関係性を有する別の人物というだけに過ぎない──となると、そいつともいずれは接触することになるのだろうか?
「寧ろ彼女からしかその人には辿り着けないんじゃあないですか?組織として活動するなら、暗殺者よろしく基本は隠れているはずですよ。不外さんってのが口が軽いだけで。そう容易くは特定できないと思いますが。」
「ふうん・・・でもまあ、その口が軽いやつに最初に出会えたのは幸運かもな。で、その彼女って誰なんだ?」
「非神 匣火──二つ名は確か、«共鳴»。」
«共鳴»。
そう呼ばれるらしい少女の名を口にした暗望は、思いついたように自分のスマートフォンを手に取った。カバーなどを含めて、一切の装飾がされていない、単純なものである。
「そう言えば彼女のラインは登録していましたよ。電話でもかけてみます?」
そんな飛び抜けて余裕に満ちたことを言った僕の後輩は、僕の動揺の声を待たずに通話を開始したらしい。聞こえる限りにおいては、少し長めのコール音の後に、やっと非神は電話に出たそうだ。
「もしもし、«共鳴»。今から会ってほしい人がいるんだけれど。・・・うん。そう。君の家族を救ってくれる人。わかったよ。それじゃあね、ばいばーい。」
緊張感などまるでないように話し終えた彼女は、非神の呼び出しにも戸惑った様子はなかった。
寧ろ長年の付き合いを経た友人のように、少ない言葉でことの全容を話し終えたような雰囲気すら醸している。
「そんな気軽に会えるものなのか・・・・・・。」
少し拍子抜けした気分だ。
そういう組織の幹部みたいな存在って、基本的には総じて接触すらも困難なものだろうという印象があったのにな。
「ええ。まあ秘密組織と言えど、彼女は境遇が特殊ですからね。別に敵でもない以上、会うのを躊躇う理由はありませんよ。」
「特殊──そういえば、家族がどうとか言ってたな。」
家族。
そんなことを言うと、少し前に知り合った少女・三春坂さんのことを思い出さざるを得ないけれど。
非神 匣火もまた、家庭においてなかなかの不幸に見舞われているということなのだろうか。
「ええ、まあ。そこらへんは是非とも自分自身の目でお確かめください。」
私には説明しかねますからね、と暗望はそう言って、いつの間にやら真っ黒なコートを身にまとっていた。
「ああ、今から会うんだね・・・・・・なんか不安だぜ。」
「少なくとも彼女はまだマシですよ。不安を感じる必要はありません。感じるとしたら不穏でしょう。」
暗望は例の如く、そんな不吉なことを独白のように呟く。
結局彼女は、僕の準備を待たずに扉を開けてしまう──外からは冷たい空気が流れ込み、僕の首を緩やかに絞めた。




