悔いて流離い
見慣れた風景を辿って、やがて僕らは«命題»の事務所に流れ着いた。
建物の外観としてはこちらと何ら変わりはなく、つまり中を開けてみるまでその実態がわからないわけで、思わず僕は立ち竦む。
しかし窓から白い灯りが漏れている──人はいるのだろう。
この世界にも僕らという存在はいるわけだから、変に身構えず普通に入ればいいのだ。何も緊張することはない。
「・・・というわけで」
僕はただ固唾を呑んで事の成り行きを傍観していたかったのだけれど、俯瞰していたかったと本当に心の底から願っていたのだけれど、後方に立つ式神遣いとナイフ使いがそれを断固として許してくれなかったため、已むなく鍵穴に鍵を挿し込む。
かちゃり、と耳に心地好い音が響く──さすがに鍵穴が正反対という奇天烈なことは起こっていないようだ。その他にも四則演算や物理法則など、一般的な常識において何の変化もないことを既に確認している。
なるほど、遊海ちゃんの謂を借りるならば僕もこれでキーパーソンというわけだ(まあ語り部だし)。
扉を開き、こそこそと靴を脱ぎ、何も言わずに廊下を歩く。
あちこちの部屋で点灯している・・・・・・やはり人の気配だってある。
でもいろんな意味で逼迫したこの状況では、「ただいま」の一言を口にすることすら憚られてしまう。
「あら、お帰りなさい。帰ってきたなら言ってくれればいいのに。」
と、不意に居間から顔を覗かせた女の人が言った。僕らの背後から投げかけられたその言葉は、ヘタレな僕を恐怖と緊張の底へ叩き落とすには充分に事足りる。
彼女はこちらに数歩ばかり歩み寄り、優しい瞳でこちらを見つめて微笑んだ。
身長が高く、なだらかな曲線を描いたそのボディラインが美しい。
なんだか全てを包み込むような、母性に溢れる人だ・・・・・・誰だろう。
これが正反対ってことは、つまり身長が低く、子供っぽい人ってわけだよな。
暫しの思考の末、すると該当する人物は最早一人しかいないことに気づく。
「朝比奈ちゃん・・・・・・!?」
「? どうしたの、そんなに驚いて。いつも一緒に仕事しているじゃない。」
彼女は不思議そうに首を傾げ、それから訝しげなふうに少し口を尖らせる。
というか、よくよく見ればいつものゴスロリ服だ。
体つきがそれらしくなってきたから、メイドっぽく見えなくもない。これは今後が楽しみだ。
とか、冗談を言っている場合ではなく。
「ああ・・・うん。そうだったね。えっと、その、他の皆は?」
このほんわかした感じの温厚な女性が朝比奈ちゃんだったことにまずこれ以上なく愕然とした。
新手のトラウマになりそうだ。
これが彼女の裏面?
まあたしかに、初期は年に不釣り合いな大人びたキャラだったけど、途中から尽く幼くなっていったよな・・・・・・。
でもそのキャラを今更拾ってどうするんだ。
「洞木くんと葉落くんならお仕事、緋雨さんなら二階の部屋にいるわよ。京ちゃんも、もう眠くて寝ちゃったみたい。」
そう言って朝比奈ちゃん──いや、朝比奈さんはくすくすと笑う。その口ぶりからするに、熟睡中だという京さんはかなり幼くなっていそうだな。洞木たちは外出中か。なら緋雨さんの部屋を訪ねてみるしかない。この調子だと、あの人もなかなか、どころか相当の変化を遂げていそうだ。これは覚悟を決めなければならない。
「わかった。ありがとう、朝比奈・・・ちゃん。」
こうもなってしまうと、こちらもおいそれと話せない。問うに落ちず語るに落ちるというのか、今『黒白』の影響で入れ替わっていることがバレると、やはりなかなか厄介だ。協力は可能な限り仰ぎたいと思っているから、どちらにせよいずれバラすのだけれど、今はまだその時じゃあない。
そもそもこちらでの僕はどういうやつだったんだろう。
急速にお姉さんキャラを確立してきた朝比奈さんに対して、今までは敬語を使わないで接していたのかなー、とか。『さん』と呼ぶべきか『ちゃん』と呼ぶべきかすげー曖昧で困るなー、とか。
そういう余計なことをあれこれ混乱した頭で考えつつ、僕は遊海ちゃんと暗望を率いて二階へと続く階段を昇る。
古びた階段が軋み、それがますます不安と焦燥に拍車をかけた。
集中力も、これじゃ散漫してしまうってもんだ。冷静でいろってのは無理がある。
「にしても彼女、結構変わってたわね。」
しかしそんな僕とは裏腹に、ここでも遊海ちゃんは動揺することなく、あくまでもクールに言ってのける。
「ですね。まず見た目からかなり違いますもん。劇的ビフォーアフターに出演させます?」
暗望もよくわからない冗談を混じえて、気楽そうにそんなことを言っていた。
「あのね二人とも・・・少しは僕の気苦労もわかってほしいな。こう見えても僕、今めちゃくちゃビビってるぜ?」
何にビビってるかといえば、それはもう全てと答えざるを得ない。
あらゆる全てに。
あまねく全てに。
さすがにほんの少し会話を交わしただけなので明らかではないが、これで朝比奈ちゃんが«全知全能»の能力すらも喪失しているようならば、或いはそれが全く別のベクトルへと作用してしまっているようならば、僕はいよいよヤバいと思っている。掛け値なく。誇張でもなく。見栄を張るまでもなく、虚勢を張るまでもない。
・・・・・・なんてことを言ってみても、僕の前を臆することなく進む彼女ら二人は«命題»のメンバーではないし、あまりこの感覚は伝わらない気がするが。
読者であるあなたには尚更伝わらないだろう(メタい)。
「着いちまった・・・緋雨さんの部屋。」
少し長めの階段を昇るだけなので、着いた、なんてわざわざ言うほどの距離でもないのだが、それでも僕の精神状態を平静に保つためにも、なんとなく呟いてみる。
「今更言っても仕方がないでしょ。開けなさいよ。」
という遊海ちゃんの冷たい言葉に急かされ、僕は仕方なくそのドアノブに手をかける。
しかし次の瞬間。
その黒いドアが──爆発した。
「なッ────────!?」
その爆散した木屑を腕でなるだけ防御してから、微かに立ち込める白煙の中で、薄く目を開けた。
「・・・・・・・・・・・・。」
僕にとっては既に見慣れた姿。
筋骨隆々とした、逞しい高身長。
今どきの若者らしい、カジュアルなファッション。
よくわからない派手な金属系のアクセサリーが嵩む、神凪 緋雨のその出で立ちに、何故だか僕たちは圧倒された。
何故かって?
そんなもの、解りきっている。
彼がこちらへ向けるその強い睨眼が、先ほど遭遇した«大虚鳥»などとな比にならないくらいに殺気立っていたからだ。
僕は久方ぶりに、彼を心の底から怖いと思った。
恐怖。
どころか、戦慄だ。
こわい。
こわい。
こわい。
「・・・・・・・・・・・・。」
神凪 緋雨は何も言わず、立ち尽くしたままこちらを睨めつけている──かと思えば、急に口元を歪めた。
それは如何にも狂気に満ち満ちた、この上なく悍ましい笑みである。鋭い攻撃的な眼は大きく見開かれていて、«敵»を認識した時の、喜ばしい恍惚とした色を浮かべていた。愉悦に満ち溢れているその顔は、僕ですら初めて見た表情だ。
「危ない、シンくん────!」
流石は殺し屋、戦闘のプロフェッショナルといったところか。
遊海ちゃんの叫び声に膠着した意識が呼び戻され、間一髪のところで放たれた蹴脚を回避できた。
「ぐう・・・・・・ッ!?」
なんとか受け身をとったものの、慌てて退転したために背中と肩を壁面に強く打ちつけてしまう。
空間の狭さ──────この閉塞感。ヤバい。
この状況、とんでもなくヤバいぞ・・・・・・畜生。
緋雨さんの攻撃(別に蹴りに限った話ではないが)はシャレにならない威力を誇る──────それこそ、彼が«殺戮兵器»という別称を持つ所以だ。
「くそっ、«罪悪»ッ──!」
僕は右腕を払って叫ぶ。しかし結果を言えば、その甲斐もなく僕の右腕は人間のままだった。
悪魔の腕が──«罪悪»が使えない、だと?
こんな経験は初めてだ。«大虚鳥»と殺し合った時、似たような経験をしたけれど・・・・・・あれはどう考えても別物。成長のようなものだ。今回は本当の意味での不発、何が原因かわかったものではない。
誤作動ではなく──────不発なのだ。
「・・・・・・遊海ちゃん、頼む。」
僕は小声で呟くと、無言で彼女はそれに応ずる。
差し出した手には確かな感触を持つ凶器が乗せられた。
刀子のような、刃先の形状が特殊なナイフ。型としては、僕の一番慣れているものだ。
「彼の異変は何なんです?」
暗望が目を凝らし、緋雨さんの動向を注意深く監視、観察しながら訊く。
「さあ・・・まるでわからないな。見た目は特に変化はないんだけれど。まるでこれじゃあ、無差別に、無作為に人を殺す機械じゃないか。タチの悪い戦闘狂だ。」
「タチの良い戦闘狂はいません」
たしかに。
字面からして穏やかではない。
そういえば、元の世界の緋雨さんも、戦闘狂という言葉に相応しい戦い方をしていた・・・吠えて、吼えて、咆えて、哮えて。
有栖川の時は僕が足を引っ張ってしまったから、彼としては些か物足りなかったんじゃあないだろうか。
そう、物足りない。
彼は文字通り、戦闘を楽しんでいるような節がある──自分より強い相手を探すのが、楽しくて楽しくて、愉しくて愉しくて仕方がないでも言わんばかりに。
「あのさァ、お前ら」
と、緋雨さんの違和感を必死に考え込む僕に、目の前の彼は突然口を開いた。その表情はある種の失意を浮かべており、つまりは期待外れ──────的外れ。
言外にそんな雰囲気を醸しつつあった。
「仮にも«対岸»の人間なんだからよ──────もうちょいマシな戦いができんだろ?え?」
苛立ちと不機嫌さを明らかに露呈させた口ぶりで、威圧するように彼は言う。しかし僕としては、別に緋雨さんと戦うべくしてここに来たわけではない(当然だ。死にたくない)。
なんだ?
今の彼は一体、何において«裏側»なのだ?
「楽しませろよ──────俺は今、退屈してるんだ。滾る衝動が、募る情動が、余って余って仕方がねえ。愉快で愉快で痛快で痛快で爽快で爽快で軽快で軽快で豪快で豪快で明快で明快で笑っちまうような、そんな戦闘を俺にさせろォッ!!」
彼はそう叫ぶやいなや、床が罅割れて亀裂が走るくらいに踏み込んでから、跳躍で僕らのところまで一気に距離を詰めた。
「はああああッ!」
蹴り下ろされた脚に対して遊海ちゃんはリーチの長いナイフで応戦するも、しかし相手は神凪 緋雨だ。相手の皮膚が切れるどころか、そのままナイフが圧し折られる可能性の方がはるかに高い。
「くそっ──────逃げるしかないか・・・・・・!?」
逃避。
逃走。
狭い部屋という限られた空間内というのが何よりもマズい。近接は緋雨さんにとって絶好の舞台、逃げていられるのも時間の問題だろう。
ましてや、«罪悪»が不発である今現在の話だ。応戦など臨む方が無謀だという話である。
わかっている・・・・・・。
ここまでくれば、既に逢着する結論はひとつしかない。
彼は──神凪 緋雨は、日々抑圧され続けた戦闘衝動の具現化だ!
考えてもみろ。
元殺し屋序列2位出身、武器無しで大抵の事物を«破壊»し、人間ではなく«殺戮兵器»として扱われるほどの実力者である彼のことだ。
そりゃあ殆どの戦闘の機会においてだって、程度の差こそあれ、かなり自分の力を制限しているだろう。無関係な周りを巻き込んだら流石にヤバいってんでな!
無意識、無自覚。
意識の外で抑えつけられた戦闘衝動や破壊衝動が、«裏側»では惜しみなく全面的に吐き出されている。今や彼にとって、僕らはストレス発散の格好の餌食だ──────朝比奈ちゃん、なんでそのことを早く教えてくれなかった!?
「つまんねえええええッ、なんだよ・・・・・・失望したぜ。その程度なのか?«罪悪»、«危険色»、«式神遣い»。」
彼は舌打ちしながら、防戦一方の僕らを見下すように睨みつけて言う。
「もういいぜ、死ねよ」
その呟きにこもった胸の内は──────
失望であり、絶望であり、悲観であり、諦観であり、愚痴であり、独白であり、告白であり、空洞であり、空白であり、放棄であり、放置であり、憤慨であり、憤怒であり、とにかく黒く、黒々とした、文字通り暗澹たる感情の渦巻く心だった。
緋雨さんは腕を手刀のように構え、僕らに向けて高く上げる。
これを一気に振り下ろせば──それだけで僕は絶命だ。
絶体絶命。
体も命も、無残なまでに──そして無惨なまでに、バラバラに分解される。絶える。後に残るのは物言わぬ肉塊と、生々しく惰性で続く鮮血のみ。
しかしどうだろう・・・・・・一気に三人も始末できるだろうか?
もちろん緋雨さんならば当然のようにやりかねないけれど、もし僕の死に対して意識が集中した一瞬、つまり空白の瞬間があるなら、どうか遊海ちゃんと暗望だけでも逃げてほしいものだ。
そりゃあ女の子の前で人間がバラバラにされるのは、彼女たちの目に良くないものが映るわけだが(遊海ちゃんは慣れている光景かな)、それでも彼女らの命には代え難い。
「そんじゃあ─────«破壊»」
その声が、部屋の殺伐とした冷え込む空気に溶け込んだのを思って、胸中に一抹の虚しさを憶えてから、その空虚さを抱きしめるようにして、僕は目を伏せた。




