閉塞、或る一室にて。
どうしようもない倦怠感に包まれて目が覚めたが、しかし気怠い身体に鞭打つように僕は無理矢理に上体を起こした。
周囲を見回すと、人通りの一切が途絶えた夜遅くのネオン街である。
「・・・・・・・・・?」
ネオン街というのは基本的に喧騒に塗れたような場所だろう、しかし人がいないとここまで気味が悪い光景なんだな──そんなことを呑気に考え、そして地を手で押して立ち上がろうとする。
「う・・・・・・っ」
!?
手に力が入らない。
辛うじて立ち上がることはできたものの、どうしてもふらついてしまい、傷だらけの壁に凭れかかる。胴体に走る微かな痛覚と、夜道の静寂が僕を包んだ。
「あら。起きたの?おはようシンくん。と言っても今は夜なのだけれどね。」
聞き覚えのある声。
ポニテ姿の背の高い女性──例の殺し屋が、僕のそっと手を引いてそう語った。
って、ポニテ?
「遊海ちゃん・・・いつの間に着替えたの?つーか、ここどこ?」
「知らないわよ、そんなの。目が覚めたらここにいて、服装も普段着のこれになっていたわ。」
そう言って、鮮やかな黄色いアクセサリーで装飾された黒地のセーラー服をぱたぱたとはたく遊海ちゃん。
思えば僕の服も、下はグレーのジーンズ、上はTシャツの上にパーカーという、如何にも私服といった感じのスタイルになっている。
「それより。彼女はどうするの?」
そう言って遊海ちゃんは地のある場所をぶっきらぼうに指でさす。
そこにはなんと、暗望が縄で拘束されていた。
口も白い布のようなもので封じられており、しかしそれでも尚のこと彼女はにこにこと微笑を浮かべ続けているのが余計に気持ち悪い。
「この子がどう考えても黒幕でしょう。恐らく『鯨』も、元々は彼女の扱う式神の一つだったはずよ。そしてそれが原因であることも、最初から知っていた。どう?違う?」
「ひふぁいふぁへんほ」
「・・・・・・。」
僕は既に獲物を捌く目になっている遊海ちゃんの様子を恐る恐る窺いながら、暗望の口を覆う白布を破く。
「ぷはぁ。いや、ありがとうございます先輩。恩に着ます。って、私が今着ているのは濡れ衣ですけどね。」
「違いませんよ。強いて言うなら、最初から知っていたのではありません。先輩と話しているうちに、次第に薄々勘づいていたのです。『鯨』──いえ、『黒白』。あらゆる面で«正反対»の世界に人を呑み込む怪異。いつの間にか札から出ていたようですね。」
「ようですね、じゃないわよ。管理くらいきちんとしなさい。」
「いやだなあ、何か勘違いをしていませんか?本来私は式神の存在を人為的に確立しているだけなのですよ。自由自在にコントロールできるわけではありません。増してや鯨はその力が強大だ。存在を縛りつけておくのも生半ではないのですよ。」
と、弁明のようなことを言う暗望。それは以前にも似たようなことを聞いた記憶があったので、それとなく遊海ちゃんを宥めてみたが、怪訝そうな顔をしてこちらを睨みつけた後に、無言でその縄を断ち切った。
つーか、怖いよ。
露骨に機嫌悪いじゃん。
「・・・とりあえず、あなたもことの収拾には協力してもらうわ。ひとまずここがどこか、それを突き止めましょう。」
静けさが唸る夜の細道を歩きながら、遊海ちゃんは言う。
「僕ら以外に人はいるのか?」
「人はちらほらいるわ。どこも不審な様子はない。・・・そしてここはどうやら、私の知っている場所のようね。見覚えがある。」
急に周囲を一瞥し始める遊海ちゃん。言われてみれば、そうだ、僕もこの場所には見覚えがある──というより、刻み込まれた本能というのか、無意識下に身体に怖気が走る。
知らぬ間に恐怖が煽られる。
「あ。思い出した。」
「ここ、シンくんを襲ったところよ。」
「えっ!?」
なぜか一番声を上げて暗望が驚愕した。
しかし本当に言われてみれば、である。
最初に遊海ちゃんと出会った場所──確かあの時は、一方的に敵対されていたように思う。
ナイフで頬を掠められた記憶が・・・・・・。
「襲った・・・?あ、ああ。お二人はそういう関係なんですか。思えば普段から仲良さげですもんね。」
咋に視線を泳がせる暗望。
心做しか声が震えていて、少し身を捩りたじろいでいる。
「・・・・・・勘違いをしないでほしいわね。何?あなた、溜まってるの?」
心底呆れ返ったように溜息をついて言う遊海ちゃん。その口調には僅かに怒気がこもっているように聞こえる。
あー。
そういうことね。
僕からしたら、端から頭の中にない可能性だったな。
てか、襲われるってさ。
「・・・・・・っ。なんでもないです。ほら、早く行きますよっ!」
おやおや。
暗望は赤面して、僕ら2人の前を足早に歩く。
可愛いところがあるじゃん。
「よお、久しぶりじゃん。」
僕らが談笑(?)しながら歩いていると、不意を突くように威勢の良い声が響いた。その方向を振り返れば、これもまた見覚えのある華奢な少女が立っている。
僕の同級生・華道 林檎だ。
「・・・?おお、久しぶり。」
僕がここで困惑したのは、彼女の妙な口調である。華道は周囲からの人ウケも良く、言ってしまえば人気者という立ち位置だったわけだけれど、だからといってこんな男勝りな口調ではなかった。
お淑やか──ともまた別になるけれど、彼女は普通の喋り方だったはずだ。
「何だよ何だよ。こーんな可愛い女二人も侍らせやがって、随分生意気じゃあねーの。ああ?」
なんて、こんな不良みたいな絡み方をするやつでは絶対になかった。思えば服装も変だ。華道の私服を見た事は数度しかないけれど、今彼女の着ているそれは印象からひどく遠ざかるような派手なものだった。
「どうしたんだよ、お前なんか変だぞ・・・・・・。」
僕がその変貌ぶりに戸惑っていると、遊海ちゃんが僕の首にぐるりと手を回し、思い切り引き寄せた。
「危険よ。あの女の子、なんか変。シンくんに危害を加えるようならすぐさま切り裂こうと思っていたけれど、これだと無闇に敵対するのも控えた方が良さそうね。」
と、小声で耳打ちするのだ。
「・・・じゃあどうするんだよ。そもそもこの違和感の正体が何か分からない以上、対処しようがないだろ。」
「それもそうね。じゃあ私か暗望さんに任せなさいよ。シンくんだと、相手が知り合いであればあるだけ混乱しちゃうでしょ。」
まあ、そう言われてしまうと返す言葉もない。僕の精神はそれくらいに弱いから、日頃仲の良い友人の姿をしているというだけで、どこか油断してしまうのかもしれない。
懊悩とする僕を傍目に、遊海ちゃんは華道かもしれない誰かに近づいていく。
「ごめんなさい。シンくんのお知り合いだそうですけれど、私たちは今急いでいるの。」
「・・・・・・・・・・・・。」
すると表情も一変、華道の顔から瞬く間に笑顔が消えた。
遊海ちゃんを値踏みするように──というか、単に心の読めない無表情。ひたすらにナイフ使いに負けず劣らずの鋭い視線で睨めつける。
「ああ、そうかい。それなら仕方ねえな!」
しかし華道は一拍の間をおいて、再度にかっと気の良さそうな笑みを浮かべた。
緊張は一気に弛緩し、僕は思わず拍子抜けしてしまう。
「・・・・・・?」
「じゃあまた!」
僕の混乱を意に介することもなく、彼女はひらひらと手を振って、僕たちに別れを告げる。
終始愉快そうに、けたけたと笑う華道だった。
それにしても、思慮分別のつく人間で助かったぜ。
「ほんとですねえ。しかしあの方は先輩の何なんです?」
と、暗望。
どうだろう・・・同じ八宮高校の生徒なのだから、廊下で擦れ違ったことくらいはあるのではなかろうか。
「華道 林檎──僕の同級生だ。補習常連・強制講習皆勤賞の異名を持つすげーやつ。」
「そりゃまた、すごい方ですね」
「ただし全部自称だ」
「やばい方ですね」
その通り。
元の華道だって、あれはあれで意外とボケを挟んでくる。
暗望が慇懃な言葉遣いを崩すくらいにはやばいのだ。
「暗望はどうなんだよ。高校一年生ならまだ躓くこともないだろうけれど、成績は良いのか?」
「ええ。わざわざ言うほどのことでもないですから今まで秘しておりましたが、しかしこの私の不遜なこと、烏滸がましく学年一位をとってしまっていますねえ。努力家たちの苦心も甲斐無く、偏に私の天才性に潰されてしまっているようです。」
「へえ。」
嫌味なやつだな。
たしかに暗望がテスト勉強なんかしている印象は全然ないけれど・・・・・・。僕が口出しすることでもないが、でももし同学年にこんなのがいたらすげえ目障りだ。
「嘘ですけどね」
ほらね。
こういうところも含めて。
「実際、そこまで良くもありませんよ。中の上くらいです。数字だけで相手にマウントをとって何になるんです?結果も大切ですけれど、それは相対ではなく絶対、つまり自分自身のために頑張った人が手にするものですよ。」
ほう。
たまにはまともなことも言うらしい。たしかに他人と競ってばかりだと、いつかは他人ありきになってしまうからな。
「先輩はそういう意味で良い反面教師です」
「どういう意味だ!?」
「落ちこぼれってことじゃない?」
会話を聞いていたらしい遊海ちゃんが、平坦に、というより冷淡に呟く。
「落ちに落ち、堕ちに堕ちぶれた落ちこぼれ──さしずめ堕落三昧ってところですか?」
おいおい。
それじゃ博士じゃねえか。
多分元ネタがわかる人は限りなく少ねえよ。
「しっかし、華道は本当にあんな性格じゃないんだよ・・・・・・どうしちまったのかなあ。」
「まあまあ。落ち着いてください。」
僕が焦燥混じりの声で、最早愚痴のように零したのを見かねてか、暗望はここぞとばかりに僕を煽る。
「まだ引きずってたのかよ・・・そろそろ落ちるとこまで落ちてるよ」
「ん」
落ち着かない落ちこぼれトークに無理矢理オチをつけるかのように、遊海ちゃんは手を僕と暗望の前に広げて制す。その様子の豹変ぶりに驚いた僕は一歩退いたし、また暗望も眉を顰めて警戒しているようだ。
「あれは・・・・・・?」
暗がりに紛れるように、ある民家の屋根の上に立っている少女の陰影。
紅の眼光が鋭くこちらへ向いている。
それは害意であり、悪意であり、敵意であり──────────。
«殺意»である。
そしてあろうことか、僕はその正体を知っていた。
知っていたが、いや知っていたからこそ、彼女がここにいることがより荒唐無稽な疑念へと化ける。
疑いようのない光景、疑いたくない真実。
到底信じ難い──────だって、彼女は。
「こんばんは。«罪悪»、«式神遣い»、そして──────。」
「«下僕»。」
ふと隣を見遣ると、冷徹であり冷酷であり冷血無比のナイフ使い、殺人鬼・切裂 遊海は、その瞳に恐怖を宿らせて、何かを話そうとしながら膠着してしまっていた。




