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無題  作者: ねろ
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«黒ノ厭世士»

あれから。

夕焼けの照らす地面をなぞるように進む僕らは、無事に事務所に戻ることができた。当然ながら、京さんからは治療と、そしてついでに罵倒と呼んで差し支えないほどの激しい叱責を受けた(僕だけ)。

不死身とはいえど、ああも無茶をすると身体にかかる負担は生半ではない・・・僕はまだしも、グラハムなどは言うまでもなく。


「おいおいおいおにーさん。動くなよ。傷に響くっつーの。」

グラハムの傷を丁寧に消毒した後、胴を覆うようにして包帯で巻いてから、またゆっくりと彼を寝かせる京さんを見て、僕はなんとなく変な気持ちになる。

曲がりなりにも医者なんだな、とかね。

そんな益体のないことを考えながら、ぼんやりとした気分で林檎をナイフで小さく切り分けていた。


「グラハムさんグラハムさんグラハムさん!見てこれ!コートの下から見つけたのっ!」

すると突如、ベッドに横になっているグラハムのもとへ、いつものように騒々しく駆け寄る朝比奈ちゃん。知性の片鱗すらも窺えないその少女の実態が、世界すらも掌握しかねない情報操作のプロフェッショナルだというのも考えてみればおかしな話だ。


ともかく、彼女のその手には一葉の写真が握られていて、グラハムは腹を庇うようにしてゆっくりと起き上がり、その写真を受け取る。


「これは・・・・・・!?」

彼は大層驚愕したように目を見開いた。そこには、僕らなら到底知りえない、しかし魔術師の彼ならば知り尽くす面影が並んでいたからだ。


どこか皮肉のようにも受け取れる、色のない白黒の写真。しかしそれは明瞭に彼らの表情を映し出している。


「これ、グラハムさんだよねっ?」

朝比奈ちゃんが、ひょこんと顔を覗かせて訊ねた。


「ああ・・・俺だよ。昔の俺だ。」

グラハムは口を開いたかと思えば、震えた声で彼らの名前を語り始めた。


左から順に、エセルバート・ロイ。

ケイト・ツキシロ。

レイチェル・ワーグナー。

セインツ・シャロ。

グラハム・ウェストン。

心の底から穏やかに微笑む四人が、並ぶようにして写されている。


「・・・・・・あの。林檎、剥けましたよ。」

あくまでも落ち着いた、平静を保った声で──というよりは、僕自身の中で騒ぎ出す感情を抑圧するようにして言いながら、僕は林檎の入った透明のガラス皿をそっと丸テーブルの上に置く。


「わーい、りんごーっ!」

朝比奈ちゃんはフォークを握りしめ、美味しそうに黄金色に光る実を口にしていた。

どうやら相当に熟したものらしく、その甘さに朝比奈ちゃんは恍惚とした表情を浮かべている。


「その写真、ずっと前のですよね」


「・・・・・・?」

僕の言葉の意図を掴みかねたらしく、グラハムは不可解そうに首を傾げる。


「その写真に写っているあんたは、今のあんたとはあまりにも違いすぎる。こんなに安穏な笑顔を浮かべる人だとは思わなかったぜ。」


「かもな。・・・いろいろあったんだろう、多分。あるいは何も無かったのかもしれない。何にせよ、忘れるには尊すぎた過去だ。」

失くすには。

亡くすには。

惜しすぎた記憶だ。


「しかし愚かだと言わば言え。正義を信じて疑わなかった俺のことを──強制された運命を強いられていたことに、虐げられていたことに、気づきすらしなかった俺のことを。いっそ笑ってくれた方が気が楽だ。」

グラハムは自己嫌悪を込めた口調で言うものの、前のような自暴自棄にも似た刺々しさは既に抜けている。どうやら彼も彼なりに、いろいろと考えることはあったらしい。


「笑わねえよ。」

そう言って、よくわからないデザインをした外国製の椅子に腰掛ける(事務所にはとにかくいろんな種類の椅子や時計がある。洞木の趣味だ)。


「僕はあんたを笑おうとは思わない。だって自分のために戦ったじゃないか。それで充分、それ以上に何を望むっていうんだ?」


「あんたは本来、自分のいるはずでない世界でそれを成し遂げた。『自分のために生きる』っていう、僕が長い間悩み続けた障壁をいとも容易く越えてみせた。足踏みと遠回りを何度も繰り返し続けた僕に比べりゃ、ずっとすごいぜ。」

逃げてきた僕に比べれば、本当に。

目の前で横たわっている彼は、本当に強い人間だった。


「そうだろうか。寧ろこちらの世界だからこそ、ここまでやってこれたのかもしれない・・・そうじゃあなきゃ、俺は元々すぐに押し潰されてしまうくらい弱々しい。」

へえ、と力なく返事をすることしか僕にはできなかった。

それ以上何を言うでもなく、僕ら二人は黙ったまま。空間をゆるりと伝う静寂の音を聞きつつも、目の前で林檎を齧る無邪気な少女を眺めていた。


「俺の話をしても構わないか」

突然、グラハムが問う。

僕は少し考えてから、椅子の背もたれに体重を預け、「どうぞ」と答えた。


「俺のいた世界は、こことは違う、風変わりな場所だった。平静も平穏もなく、常に正義なんて幽かなものを追い求めている。そんな世界だった。」


「知っての通り、俺は魔術師で、勇者エセルバートの«陣営(パーティ)»の一員だった。後方のサポート役に徹して、仲間を支援し続けていた──────つもりだった。」


「つもりだった?」

僕は空虚に響く、独白じみたその言葉を反芻する。


「ああ。俺が己を弱者とする所以とでも言うのかな・・・臆病だったんだ。敵を攻撃することが出来なかった。文字通り、強化だけだ。」


「迫害されてしまったよ。反逆の意思があると看做されたらしくてな。何も考えることはできなかった。遠く寂れた孤島で、ひどく苦悶と苦渋を強いられながら、藁にもすがる思いでいて──────実際にすがったのは、ただの毒草だった。」


「・・・・・・・・・。」

絶句。

したわけではない。

別にその過去を聞いたところで、僕は何も思わなかった。

彼が『捨てられた人』であるならば、僕はかつて、『捨てた人』だったからだ。

周囲から差し伸べられたその手を、醜穢と呼べるその惨めな意志で──惨めな意地で、拒絶した人間だったからだ。

グラハムの気持ちは、痛いほどよくわからない。

だがそれでいいのだろう。

わかるはずもなければ。

わかっていいものでもない。


「自殺未遂・・・結果的にはそうなったが、あれは殆ど自殺と呼んで差し支えないよ。即効性の猛毒だからな。臓器をいくつも傷めたし、神経麻痺、身体の痙攣だって起こしていた。呼吸もままならなくなっていたかもしれないし、溶解しきった赤黒い血の塊だって地に吐きまくった。そんなみっともない姿を最初に見たのが、アッシュ・ヘイムダルだ。」

アッシュ・ヘイムダル。

倒されるべき存在だったもの──彼は既に、今亡き人であるという。

魔王という立場であった彼は、死にたがった厭世士を、死にきれなかった厭世士を拾い、多くを語らったそうだ。

十指には到底収まらない、本当に数多くのことを。

『彼』は語り、『彼』は思った。

僕はそれを始終、何も言わずに聞いていた。


「アッシュさんは」

やっと口を開く。


「・・・アッシュさんは、今何処にいるんでしょうね。」

何処にもいない。

というわけではないだろう。


「そうだな、いるんだろう。きっと、ここじゃないどこかに。」

グラハムは僅かに微笑む。


死んだ者の魂は天国か地獄行きというのが、まあ平凡で平和な世間を暮らす高校生である僕の中では一般的だ。

天国に行けばそれはそれで幸せだし。

地獄に行けば多分、なんだかんだ山茶花姉妹と仲良くやっているだろうし。

グラハムのもとへ戻るのなら──────それもそれで、またよし。


「その写真さ」

僕は再び、グラハムを呼ぶ。


「その写真、一番右端に誰かいたみたいじゃあないか?」

端的に言って、不自然なのだ。

写っている面々が、皆総じて妙に左へ寄っている。

まるで誰かあと一人、そこにいたような──そんなふうに。


「いたはずだ。あと一人。」

強い確信を伴った口調で、敢えて遠回しに僕は話す。


「・・・・・・そういえば、ここは『辻褄の合わない』世界なのだったな。」

グラハムは僕の言葉の真意を受けたらしく、シニカルに微笑して言った。


そうだ。

辻褄の合わない世界だからこそ、それは有り得た未来。

或いは、有り得た過去だ。

本来ならば、決して有り得ない彼の存在。

本当ならば、決して相容れない彼の存在。

勇者たちと共に、そこにいたはずだ。

実体は瞭然と写っていないし、僕には見えるはずもないけれど、グラハムにはきっと見えている。

小柄で、中性的な風貌の灰色が。

全てを騙し、全てを託し、全てを愛した廃色が。

命を(なげう)つに値する、その温もりが。


「いたよ。いた。俺と共に、今も生きている。」

グラハムは普段と全く変わりのない声の調子で言う。

しかし頬には、一筋の涙が伝っていた。

なるほど、今回の奇譚はそんなオチか。

今更ながら、『傑作だ』と思った。

窓から黒々とした闇が覗く、夜11時の話である。






翌日。

僕は気づけば、椅子の上で目を覚ました。窓からはカーテンを通り抜け、白い朝日が射し込んでいる。

「・・・・・・あのまま寝ちまったわけか。」

僕はそれとなく周囲を見回す。


変わっていたことと言えば、毛布がかけられていたことと、林檎の皿が空になっていたことと、グラハム・ウェストンがいなくなっていたことだ。

事務所中を探したが、何処にもいない。

件の写真と共に、彼は忽然と姿を消した。

何も言わずに。


「京さん。グラハムさん、帰ったんですか?」

僕は訊ねる。しかしあの負傷で動けるものだろうか?それも不自然と言えば不自然で、やはり気がかりと言えば気がかりなのである。


「あん?誰だソイツ。」

しかしあろうことか、僕の予想とは全く違う言葉を彼女は口にした。


「誰って・・・・・・いたじゃあないですか、グラハムさんですよ。京さんが初対面でナンパした、イケメン風のお兄さんです。」

にしても、思い返せば思い返すほど初対面の印象が最悪だな。


「は?夢でも見てんじゃあねえのかよ。私は知らねえぜ、そんなモン。」

と、いくら話してもキリがないばかりなのだった。


ので。


「朝比奈ちゃん、グラハムさんはどこ行ったんだ?」


「・・・誰?それ。」

と同様に。

どうやらとぼけているわけでもないらしいので、いよいよ手詰まりになってしまった。


あれ???


本当に夢でも見ていたのだろうか。

やけに暗く、黒く、辛く、寂しく、悲しく、哀しく、怖く、恐く、冷たく、でも何処かに救いのあった、そんな奇妙な夢だった。


僕は目を覚ました椅子に戻り、再び腰掛けてみる。


「・・・・・・。」

駄目だ。

何も分からない。

犯人は現場に戻る、みたいな謂を信じてみたが、どうやらあれは当てにならないらしい。


「グラハム・・・・・・さん。」

僕は朧気ながらに、彼の名前を口にする。

グラハム。

その名前からして、彼は外国人だ。グラハムというのは下の名前で、では名字は──何だ?


彼は誰かを探していた。

それは誰で。

それは何故だったか?


僕と共に誰かと戦った気がする。

それは一体、いつのことで、どこのことで、誰のことだろうか。


「ダメだ・・・くそっ。」

ここ最近の記憶を辿るが、5W1Hその他細かな記憶を初めとし、今月に体験したはずの新しい«怪異»に出遭った・・・・・・気がする。

その後も数時間にわたって思考したが、最早それ以来、«彼»の名前や顔や声を思い出すことは無かった。







奇譚(モノガタリ)

▓▓▓▓▓▓▓▓はこの一件をこう形容しただろうか。

不確かな記憶だが。

幽かな記憶だが。

その言葉は、何故か脳裏に深く焼きついている。


すごく僕に似ている人と──でも僕と違って、とても強い心を持った人と、共に前に進めた。

ような気がする。

気のせいかもしれないけれど。


ならば僕はそれを誇りたい。

この先ずっと。

とは言えない。

あと数十分で忘れてしまうかもしれない。


でもそれまでの間、この世界にはひどく不釣り合いで、甚だ不相応な存在である▓▓▓▓▓▓▓▓▓▓▓▓▓▓▓▓の依頼を受けたことを、僕は憶えている。

他は誰も憶えていないかもしれないが、僕は憶えている。


誰かのために▓▓▓▓▓▓▓▓は生きようとした。

誰かのために▓▓▓▓▓▓▓▓は死のうとした。

そういう生き方は、かつて僕がなろうとしていた姿だ。


ならばせめて、祈ろう。

僕は既に正しさを捨てたけれど、僕の記憶はまだ正しいはずだ。ギリギリかもしれないが。

▓▓▓▓▓▓▓▓は▓▓▓▓▓▓▓▓を探して、今も何処かで旅をしている。

世を憂いながら。

世を想いながら。


痛みも苦しみも糧にしてしまえる彼のために──遠くで戦う友達のために、僕はせめてその成就を願おう。

忘れてしまわないうちに。


目を伏せ、その言葉を口にする。

意識するまでもなく、考えるまでもなく、口をついて流れ出た、逆らいようも抗いようもないその言葉。

僕の言葉であり、▓▓▓▓▓▓▓▓の言葉。




『モノガタリの中で生きる厭世士(きみ)に幸あれ』




へえ。

ハッピーエンドとは言い難いかな。

だがこれはこれで、悪くない。

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