忘れ難し忘れ形見
僕の中には、未だ解消されていない疑問がある。
未知に迷う──つまり怪異現象の仕業であるとはいえど、失った友愛の相手の影を追い求めたことは、果たして正しかったのだろうか?
僕が異世界からの来訪者、即ち魔術師である彼の依頼を引き受けたのは立場上という理由こそあれ、その裏にはもっと形容し難い蟠りがあったのだと思う。
まるで。
大切な人を次々と失った僕のように。
大切な人を次々と殺してしまった僕のように。
彼はなろうとしているのではないかと──そう思ってしまった自分が、確かにいた。
僕を責め立てる僕が、そこにはいた。その実、ただの自己嫌悪だというのだからタチが悪い。
「それこそ未練だろ。最後に笑って去った彼らの温もりは、それだけで生きる希望になる。」
僕は言う。
「つまらねえよ。そんなのは綺麗事だ。喪失は冷たく、傷痕は深い。一生ずっと、途絶えることも、途切れることも、有り得ない。それならその追憶にいつまでも縋りついていたい。楽していたい。逃げていたい。」
僕は言う。
「でも──────」
でも。
だからって。
だからこそ。
「それでも前に進もうとする、みっともない無謀なその姿は、僕にとっての光だ。」
僕は言う。
君は言う。
唸る怒号は、暗澹たる暗闇の中でやがて無念へと飽和する。
ならば射し込むその光こそ、僕が掴むべき一縷の糸。
例えそれが、蜘蛛の糸のようにか細いものであったとしても。
手を伸ばして。
「「立ち上がる」」
僕らは叫ぶ。
大丈夫。
その問いの答えはもう、見つかっているだろう?
・
「・・・・・・おや、タフなんだね。」
エセルバートは意地悪く呟く。
声の先では、無事に左腕を復活させたグラハムが、よろめきながらも虚ろな意識で立ち上がろうとしていた。
さっきの攻撃を機に、全身の衰弱を隠しきれなくなったのだろう──眼前で虚剣を構える勇者の怨念はそれだけの戦闘力を有している。それは認めざるを得ない事実だった。
「随分頑張るじゃあないか。まるで僕らの«勇者陣営»にいた頃の腑抜けた君とは見違えるくらいに。ああ、もちろん皮肉だよ。褒めてなどいない。」
「俺はこうするべきなんだ。魔王なら、きっとこうした。こうすることを望んだ。」
弱々しく、しかし芯の通った強い意志のある声でグラハムは告げる。
「馬鹿らしいね。というより単純に馬鹿なんだね?それは愚直極まりない行為だ──意味など無い。」
「──────ッ!!」
グラハムは激昂した。
勇者の放つその一言により、魔術師の中にどうしようもない失望と絶望、そして何よりも黒い憤怒が芽生える。
『彼岸より生まれし漆黒の刃──────』
グラハム・ウェストンは手を翳して詠唱を開始する。
『冥府への道を汝に示す。』
直後、黒い稲妻を纏った小型ナイフが十本、二十本と彼の周りに浮遊して出現する。
その本数は最終的に、目で追って数えることすらままならないほどへ増加していった。
漆黒の双翼──そんな比喩こそが、まさに相応しい。
「・・・それは何だ?」
勇者は僅かに顔を顰めて訊ねる。
「忘れたくても忘れられなかった、俺の中の苦悩だ。」
死にきれなかった辛い日々と。
殺せなかった苦い記憶。
その数々。
「この追憶をもう一度『馬鹿らしい』などと侮辱してみろ。その時は既にお前は細切れだよ。」
「ふん。何度でも言ってやる──────そんなものッ」
エセルバートが鬱陶しそうに口を開いた瞬間、まるで毒蛇のように靭やかな起動を描き、全てのナイフが一斉に勇者へと向かう。
「!? 無駄だァッ!」
エセルバートは咄嗟に虚剣を斜めに振り下ろし、空間を切り裂いたものの──闇へと消えたナイフは全体の僅かで、まだまだ数多くの鋭刃が執念深く牙を突き立てる。
「くっ・・・グラハム、お前ッ!」
エセルバートは大きく退転した。
虚剣は刀身の大きい太刀のような形状をしているため、短時間に何度も振り回すことが出来ない──つまり消しきれなかった分のナイフは、対処しようがないのだ。
「そのナイフは対象を追尾、追跡する。俺の執念深さの顕れとでも言うべきか?お前はもう──────」
奇怪な軌道を見せるナイフの数々を徐々に消滅させながら退避するエセルバートの視界には、おそらくそれこそ絶望という言葉に相応しい光景が映っていたことだろう。
「逃げられないッ!!」
グラハム・ウェストンは瞬間、本当に刹那の一瞬にして、更に無数のナイフを自身の周りに展開していた。
その一本一本が、まるで今にも獲物を噛みちぎろうとする肉食動物の爪のようであり、また牙のようであり、勇者の脳裏に、泣き叫びながらも既に半ば血塗れの肉片と化した自身の姿を咄嗟に想起させるには充分すぎる景色である。
赤黒い肉塊と化している自分。
物言わぬ自分。物言えぬ自分。
頭の中を一瞬にして駆け巡るそんな強烈な想像は、総じて彼を戦慄させた。
「畜生ッ、なんなんだ、お前・・・・・・!!」
息も絶え絶えに、心底恐怖した声で叫ぶエセルバート。余裕綽々な先程までの態度は最早消し飛び、そこにはただ喰らわれるのを待つ«悪意»の姿があった。
エセルバート・ロイを模した«怨念の化物»が徐々に馬脚を現しつつある。
勇者という立場が珍しく大敗を喫したシーン──というならばつまり、『正しさこそが正義』という不変たる大前提、概念的な、或いは信念的なその等式は打ち砕かれるというわけである。
人々を盲目的にさせる、その一辺倒な前提は。
壊された。
殺された。
正しさというのは切り裂かれる。
背中合わせの復讐心と。
隣り合わせの劣等感と。
そしてそれを越える強さによって。
「僕らは正しさなんていらないんだよ──────罪も悪も、背負ってみせる。」
グラハム・ウェストンはこの世界で何を見ただろう?
この世界を色鮮やかなものと見たか、白黒の無味乾燥な箱庭と見たか、或いは厭世するにも馬鹿馬鹿しいほどの化物に見えたか。
考えてもどうせ解らないが、しかしただ一つ。
彼のように純粋な人間がいるということを知った僕は、少なからず確かに安堵した。安心した。
まだこの世界も捨てたもんじゃないと思った。
僕はこの世界しか知らないけれど、それでも悲観も諦観も棄却して尚、一度捨てたその希望に手を伸ばそうと思った。
逃げ道じゃない。
隠れ蓑でもない。
感傷なんかとはまた違う、過去でなく未来を見据えた記憶。
そういうものを大切にして、進むべきその旅路を進め。
今日だってどうせ辛いことだらけだ。明日はもっと辛いことだらけだろう。明後日もそうだ。取るに足らない想像だけれど、それは今まで紡いできた僕らの全てだ。縷々とした日々の積み重ね。ふと揺らいで崩れることだってあるだろう。
ならばまた一からやり直しだ。
それは失敗じゃない。
いつからか終わるあの日の空想。
いつまでも続くある日の回想。
それらを箱庭などと呼びたくない。それらを運命などと言いたくない。
掻き消された戯言の残滓を綴れ。
吐き出された泣き言の残響を聞け。
『正義』と呼ばれる全てを疑え。
「«罪悪・厭世»──────!!」
僕は叫び、紅の血脈が鼓動するその悪魔の拳を振り上げ、充分に間合いの詰められた勇者の身体へと振り下ろす。
目の前の«欺瞞»へと。
振り下ろす。
「ぐうッ・・・・・・!」
殴る。
「があ・・・っ」
殴る殴る殴る。
殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴るッ!!!
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」
『▓▓▓▓▓▓▓▓、貴様──!!』
エセルバート・ロイ──否。
«怨念»の声が、壊れた機械のようにノイズがかったものとなる。
実体が黒い濃霧のように揺れ始め、悪足掻きのように伸ばされたその手も力なく地に吸い寄せられた。
『▓▓▓▓▓▓▓▓▓▓▓▓▓▓▓のか、▓▓▓▓▓のくせにッ・・・・・・』
「なんだ。聞こえないな。」
「お前の声など、もう聞こえない。」
グラハムは事も無げに呟いた。
それは永らく、彼自身を縛り続けたあらゆるものからの解放──そして、彼が新たに踏み出した一歩の跫音のように聞こえた。
『この▓▓▓▓▓▓▓▓▓▓▓▓▓▓▓▓▓▓▓▓▓▓▓▓がァァァァァァァァァッ──────────』
沈み積もる、幾多もの死にたがりの思い出の数々。
その一つが、ようやく消えた。




