虚剣
そして今に至る。
今と言えば他の言い表しようもなく今であり、即ち『勇者』を名乗る謎の男、エセルバート・ロイと対峙している現在の状況を指しているのだが────。
「甚だ嫌気のさす«奇縁»だ。此処でも君と出逢うとは流石に予想だにしなかった。」
グラハムとは旧知の間柄であるらしい、エセルバートと呼ばれる男は愚痴のように呟く。
「俺もそう思うよ。なんて«因果»だと。神は賽を振らないなどと言うが、ならば大層ひねくれた性格の神があらせられるものだ。」
「因果──か。ならばいっそ合わせて、" 因縁 "とでも呼ぶべきかな?」
「くだらん」
グラハムは零した。
僕は何やら険悪な雰囲気を放つ両者を余所に周囲を見回す。
事実を説明する上でならば、『迷った』だけで事足りるが、それはあくまでも言葉の上での話である。
迷った──というよりは、いつの間にやら僕らを取り囲んだ、殺風景で、且つ広大な荒地の風景。
白んだ空が目線も高く、未知に狼狽える僕らのことを嘲笑うように此方を眺める。
謎の空間に捕縛された現状や、このエセルバートなる男の出現が、またもレコ・アドミニストレーター──«絶望»という呼称に相応しい彼女の仕業である可能性が否めなかった。
「いないよ、グラハムさん」
僕は少し大袈裟に首を振る。
「・・・・・・幻影じゃあないと?」
「そう言うしかない。他に考えられる可能性などないだろ。」
「しかしエセルバートは俺の前で息絶えた。彼がここにいるのは辻褄が合わない」
「それはレコ・アドミニストレーターや山茶花周防、長門。アッシュ・ヘイムダルだってそうだ。それに──────」
「あんたも。」
僕はグラハムの顔を睨む。
「«箱庭»が『辻褄の合う世界』なら、此処に跳梁跋扈する魑魅魍魎──一言で言っちまえば«怪異»ってのは、『辻褄の合わない世界』なんだ。そうと割り切る他にない。自分の目で見たものを信じろ。」
「・・・・・・«焼き道»」
グラハムは僕の言葉を受け、不意に口をついたかのようにその単語を口にした。それは未だに聞き慣れない、言わば憶えとして新しいものだ。
「«焼き道»と言ったな、あの女は──何らかの感情を強く感じている対象を映し出す怪異現象を。」
「ああ」
僕は頷く。
思い返すまでもなく、月嶋 忍はたしかにそう言った。
「ならばこの現状こそそれではないのか?」
「でもあいつ──エセルバートってやつは違う。幻影でも幻覚でもない、こちらに反応しているじゃないか。」
「彼も迷ったのだとしたら、どうする?」
「え?」
グラハムの口から飛び出したそれは、予測すらもつきそうになかった返しだ。
「勇者のパーティには魔術師あってこそだし、魔術師など言わずもがな。それこそ勇者ありきの立場だろう。互いに互いを無意識下に探し求めた──互い違いに迷い迷って、同じ地点に逢着した。」
「じゃあ僕はどうなる?僕が迷う理由はない──それこそあんたの言う通り『辻褄が合わない』ってやつだろ。」
「『道に迷う』のに理由が必要か?」
む。
そりゃあそうだけど。
そう──先程僕自身が放った一言を思い出せ。怪異は『辻褄の合わない世界』。理由などない。
未知だろうと無知だろうと、眼前に広がるその光景こそが何よりの証左なのである。
「雑談は終わったかい。」
エセルバートが口を開いた。
「あのね、グラハム──僕はあれから息苦しくて仕方がない。身を焦がすような罪悪感が、焦燥と入り混じって僕を急かす。不安定に揺らぐ地の上を足早に駆けて、行く宛もないくせに生き急ぐ。」
「血反吐を吐きながら地を這いずっているうちに、僕は解ってしまったんだ。僕が普通に生きるためにはただ" そこに在る "ものが邪魔というだけ。ありとあらゆる森羅万象、その存在こそが常に我が道程における障壁と成り得る──道を阻む。行く先を拒む。」
だから願った。
『何も無ければ良いのに』。
彼は抽象的なその思念を細かに語り出す。
「だから僕は無を求めた。かつての君と同じようにだ。" 何も無い "こそが美しい。«皆無»こそが、«虚無»こそが、«絶無»こそが素晴らしい。見えずとも我が身を取り囲み──或いは取り込み、狭む箱庭と違って、僕は生きることを許される。だから」
「僕は空洞を求めた。」
「僕は空白を求めた。」
「僕は空虚を求めた。」
「僕は空位を求めた。」
「僕は空間を求めた。」
「僕は空席を求めた。」
「僕は空無を求めた。」
勇者の放つ一語一句が、まるで閉塞の中で反響するように響く。
禍々しい瘴気を放ちながら、独白のようにひたすら叫ぶエセルバート。その言葉にはあてのないメッセージが募っている──なんてことはなく、やはり喪失と欠落による«狂気»の種が芽吹く寸前であった。
「・・・・・・!?グラハムさん、様子がおかしいぞ!」
「ああ、分かっている!コイツは──────」
「僕のために死ね、魔術師グラハム・ウェストンッ!!」
煌々と刃の輝く聖剣を突きつけてこちらへと高速で駆動した勇者の一突きを退転して回避、そしてそのままグラハムは叫ぶ。
「コイツはエセルバート・ロイであるが、しかし同時にそうではない──────」
「別人だっ!!」
・
偽物。
偽者。
厭世士はあろうことか、勇者のことを指してそう揶揄した。
しかしそれも実に的を射た物言いで、つまりは眼前で立ち尽くす彼──悪意も敵意も害意も殺意もおしなべて全てをその刃の切っ先に乗せた戦士、エセルバート・ロイは«実態を持たない»。
虚像と言えばそうであり。
虚構と呼べどそうである。
そいつは間違いなくエセルバート・ロイ本人ではあるものの、しかし彼の中に長いこと眠り続けた怨恨が具現化した形なのだ。
「グラハムさん。かつてのエセルバートってのは一旦忘れろ。あれは『勇者』じゃあない──ただ悪性腫瘍のように時間をかけて肥大化した負の感情が実体化しただけなんだ。」
『勇者』という立場にあり続けた彼は。
正義であることを強要され。
戦士であることを強要され。
いつも正しく、弱きを助け、強きを挫く──それでいて燦々と照りつける太陽のような人間であることを強要された。
人々の英雄であることを。
人々の希望であることを。
強いられていた。
虐げられていた。
そんな中で秘密裏に渦巻いていた不名誉や罪悪感、劣等感や自己嫌悪、厭世感や怨恨、悲哀、苦痛。
それらが百足のように『正義』という取り繕った外面の上を這っていた。
彼の救うものは。
彼を巣食うものと化していた。
恐ろしいのは──それに誰も気づかなかったことである。
本人でさえも。
本人だからこそ。
「僕も知っている。蓄積した感情とかが時間軸を超えて実体化する例は見たことがあるからな・・・しかしやはりヤバい、腐っても戦闘力は『勇者』だ!」
僕は右腕に«罪悪»を宿らせ、その豪拳を立て続けに振るう。しかしエセルバートはその動きすらも完璧に見切っており、ゆっくりとした冷静な足運びで回避されてしまうのだ。
「せめて一発だ。せめて一発、当ててやる・・・・・・。」
「無駄だよ。悪は正義に打倒される──これは不変たる真理。覆しようのないこの世の摂理なのさ。」
エセルバートは一見平静を取り戻したかのような口調でそう呟く。
続けて、彼は体勢を低くし──
「だからッ!!」
こちらへ一直線に駆け、手に構えたその剣を振るおうとする。
が、しかし。
勢いづけた急激な疾走のまま勇者は方向転換をし、その剣を高く振り上げて横に薙いだ。
「な・・・・・・っ!?」
狙いは僕じゃあないのか?
「避けろ、グラハムさん!」
僕は叫ぶ。
「無駄だッ!!」
力強く振るわれたその剣は、鋭い弧を描き、そして標的であるグラハム・ウェストンの左腕を切り裂いた。
「──────────!」
「があああああああああッ・・・・・・・・・!!」
グラハムは当然、痛みに耐えきれるはずもなく膝をつく。
滑らかな断面からは鮮血がゆっくりと流れ出し、辺りに赤黒い染みを作りつつも数秒前まで腕だった肉塊が地に転がった。
「お前ッ!」
僕は役柄として演じられた『勇者』──欺瞞に塗れた怨念の残滓を強く睨みつけるが、気づけば彼は僕の目の前まで迫っていて、即座に二撃目を放とうとしていた。
「ぐ・・・・・・っ!」
間一髪で回避した──が。
何か妙だった。
刀身が描いた残像に、どうしようもなく否めない違和感を憶える。
「・・・・・・?」
僕はグラハムの腕の切り口を見返す。
そこはまるで、元から肉がなかったかのように滑らかで整った切り口が開かれていた。
「『なかった』──だと?」
「・・・・・・«罪悪»ッ!」
僕は天高く突き上げた拳を、力任せに一撃振るう──但し方向は鉛直下方向、つまり僕の足下。
狙いは地面だ。
殴りつけられた地面は衝撃に耐えきれず、大きな亀裂が乱れるように現れる。そこから勢いよく破裂するように大きい岩石が飛び散り、辺りに数個、転がった。
僕はその中から一つ適当に拾い上げ、まるで針に糸を通すように、正確に狙いを定め──────。
「食らえッ!!」
投げる。
真っ直ぐに飛来した岩石は、エセルバートへ勢いを微塵も落とさず向かう。
「無駄だと言ったろうがァ!」
エセルバートは自身の聖剣を縦に振り払うことで、投石による攻撃を防いだ。
切り裂かれた岩石の破片は粉々になり、驟雨の如く辺りに降り注ぐ。
見えた。
あの剣はたしかに、一瞬、その斬撃に黒い«空間»を切り開く。
岩の破片も再度確認すると、一部分だけが奇妙なほどに丁寧に切られているのだ。
寧ろ──その部分だけ«消滅した»ように。
「斬撃の分、空間を«消滅させる»能力──────?」
まさか。
と思うけれど、しかしそれならグラハムの腕の話だって充分納得が行く。
それに。
『空虚こそを求めた』となれば尚更。
" 何も無い "を作る能力。
「クソ・・・ふざけんなっての。」
僕は苛立ちを募らせた声で呟いてから、手刀を腹に突き立てて、身体に穴を開けた。
滝とでも喩えられそうなくらいの大量の鮮血が溢れ出る。
地を這って移動しつつ、その血をグラハムの負傷箇所に浴びせた。
「・・・何をやっている?」
「治療だよ・・・煩わしいことに、僕の身体は«悪魔»だからな。その血液は不死身だ。負傷なんて──────どうとでもなる。」
何もグラハムに傷を負わせてしまった罪悪感から切腹したわけではない。これもこれで立派な戦略なのだ。
逆再生のように、グラハムの腕の断面から新たな腕がゆっくりと生えていくのを確認する。
僕の腹部の負傷も、その頃には全快していた。
流石悪魔と言ったところか、その不死身は伊達じゃあないぜ。
「いつ見ても気持ち悪いんだけどな・・・これ。」
トカゲとかどんな気持ちなんだろうな。マジで。
「嫌なことをしてくれるね・・・・・・だが悪魔となれば尚更、この聖剣で倒さざるを得ない。」
「違うね。あんたのそれは聖剣じゃあない──空間を切り裂く剣なんて、聖剣の名に不相応だろ。」
言うなら«虚剣»と言ったところか。
それはそれで、つまらねえが。




