本音
一度事務所に戻ると、そこには見慣れた顔があった。
「ちーっす、シンくん、よっちゃん・・・と?誰だアンタ?」
ソファの上に寝転がって漫画を読んでいる長身の女性。室内だと言うのにロングコートを着込んでおり(しかもまだ夏だ)、その手には深い漆黒の手袋を填めている。
艶やかな黒髪が重力に抵抗することを諦めたようにだらしなく垂れ下がり、何ともガサツな感じの印象を受ける人だ。
「京さん・・・お久しぶりです。」
幸村 歪──もとい、八橋 京さん。
己の二面性の狭間を彷徨い続けた、医者兼探偵。
「おう、おひさ。お邪魔してるよん。にしてもそこのお兄サン、随分イケメンだねー。どう?あたしと遊ばねえ?」
京さんは素早くソファから起き上がり、グラハムにぐっと近寄る。
それなりに身長の高い、モデル体型の女性なので、見劣りするとかいうわけでもないのだが・・・・・・しかしこう見ると、京さんは雑把に言えば美人というようで、所謂『カッコイイ系』の女性だし、グラハムもグラハムで、やはりなかなか精悍な顔立ちをしている。
「やめてよ京ちゃん。グラハムさんは人探しをしてるんだよー!」
恐らく不慣れであろう『ナンパ』に狼狽えるグラハムを見兼ねたらしく、朝比奈ちゃんが可愛らしく拒絶する。
「へええ?人探し。超面白そーじゃん。何であたしを呼ばねーんだよお前。人探しっつったら探偵だろうが!」
ああ。
言われてみればそうかもね。
「すみません・・・忘れてました。正直に言うと、果てしなく忘却の彼方でしたよ。だってあなた、長らくの間ずっと話に登場してなかったじゃないですか。てっきり使い捨て用キャラなのかと」
「名探偵キーック!」
「ぐっ!?」
長い脚ですげー綺麗な回し蹴りを食らってしまった・・・急に何すんだこの女。
暴君か。
「馬鹿かてめーは。そういうメタな話をここでするんじゃねえよ。蹴り殺すぞ。」
「・・・脅迫にしてはだいぶ遅いですよね、それ。」
事後報告じゃん。
やべえよ。
「で、グラハムさんよお。人探しの調子はどーなの?上首尾にことは運んでるかい?」
「・・・・・・いや。実は、だな」
あまり進んで語りたいようには見えないし、そもそも語るべき話ではないがために致し方のないことではあったのだが、やはりそれでもグラハムは口を開き、訥々と事の一部始終を語り出した。
アッシュが怪異の魅せた幻影であること。
己が進むべき道を悩みに悩み抜いていたこと。
そしてようやく。
ほんのわずかな光が見えたこと。
その顛末を、京さんは事も無げに、もっとわかりやすく彼女の口癖を借りれば、『つまらな』そうに聞いていた。
「あのさあグラハムさん。あんたを必死に説得するシンくんの姿、あんたにはどう見えたわけ?」
「?」
質問の意図が今ひとつ掴めないらしく、口元を僅かに曲げるグラハム。それに対し、若干の苛立ちを感じさせる強い口調で京さんは質問を重ねる。
「だから。シンくんはなんでこんなにも必死になってあんたを説得しようとしてると思う?実際あんたはこのガキの言葉に突き動かされたろ?それだけは否定なんかするなよ。」
「俺は・・・俺は彼が、俺には見えない何かを見ていると思った。俺を見据えているその瞳には、もっと奥、もっと遠く、喩えるなら、立ち込める暗雲の先に広がる蒼天を見ているような。」
「正直なところ、言葉に出来ないこの言葉を叫べと言われた時、俺は傷ついた。絶対的に、今まで避け続けて──否、逃げ続けていたことだからな。でもそれでいい、そう思えたのはきっと。」
「彼の叫ぶ戯言が、誰でもない彼の言葉だったからだ。統一も規制もされていない、吐き気のする程に理路整然と定まった箱庭の枠に収まっている安い言葉でもない。乱れて穢れて、傷ついて、迷い苦しみ、しかしそれでも前へと悪足掻きをし続ける、誰にも縛られない希望だったからだろう。」
グラハムは言う。
多分、彼の世界においては『システム』なる世界の仕組みのせいで、流動する様々でさえもがひどく荒廃してしまっているのだろう。
色褪せた世界。
荒れ果てて彽徊。
「俺は──目の前で叫ぶ彼を、ありとあらゆる艱難辛苦に対して、現実に対して反撃の狼煙を上げる彼を、こう形容したかった。」
グラハムは言った。
何にも囚われず、縛られず、収まらず、制されず、殺されず、絡まれず、抑えられず、彼が彼なりに紡いだ彼自身の言葉で。
僕のことをしてこう言った。
『勇者』。
「・・・・・・場違いだな」
その呼び名の不相応さに、僕は思わず失笑してしまう。
・
「そーだね。分かってんじゃあねえか。安心した。・・・あたしもさあ、シンくんに助けられたことがあるんだ。その時はホント、横っ面をぶん殴られたような感覚だったよ。こんなちっこいガキが、知ったようなことを、分かったようなことを、平気な顔して言葉にするんだ。その声は震えていたし、掠れていた。まるで溢れ出す悲哀や苦痛を己が傷として受け止めてくれているようだった。私はそれが嬉しかった。」
普段の自信家な態度とは打って変わって、とても安らかな、落ち着いた表情で京さんはそう語る。
「だからよ。私もグラハムさんも、シンくんに現実を突きつけられて、初めて目を覚ましたようなもんなんだわ──あたしら、似たモン同士かもな。」
京さんはそこでようやく笑う。
「・・・かもしれないな」
グラハムも。
笑う。
「にしても、『勇者』って語彙はいただけねえな。あたし的には『英雄』って呼びたい。さっき会ったムカつく野郎と同じことを抜かしやがるじゃあねーか。え?」
「やめてくださいよ・・・僕はそんな大したヤツじゃあない。『勇者』とか『英雄』とか言われる筋合いも甚だ皆無だ。」
というか、どっちでもいい。
意味合いもそんな変わらないし。
「京ちゃん。誰なの誰なの?そのムカつく野郎ってのは。」
朝比奈ちゃんは口を開いたかと思えば、殆ど独り言のように呟かれた京さんの言葉の末節が気がかりらしく、詳しく追及しようとしていた。
「あー、さっきな。ここに来る前、急に知らねーヤツに喧嘩売られちまってさ。そいつが『勇者』がどうのこうの抜かしてたなあって。私って売られた喧嘩はまあめちゃくちゃに買い占めちまうからよ。もう爆買い状態なワケ。」
「どんな奴だ?」
声を一層張って、突如グラハムが尋ねる。その勢いは、そう、最初にアッシュの捜索を依頼した時のそれとひどく似ている。
「あ?」
「どんな奴だった?そいつは。」
「うーん?よく覚えてねえなあ。三割くらいしか力出してねえのに呆気なくボコボコにされちまってたし。そんな格下の奴は眼中にナッシングっつーか。」
僕はその冗談なのかどうか不明瞭な物言いを話半分に聞き流す。
京さん、性格的にも結構いろんなことを大袈裟に誇張して話すからな。
彼女の三割は実際のところ三倍だと思っていた方が身のためなのだ。
凡人にとっては三乗とも。
「ただ名前は覚えているぜ。うざってーくらいに執拗に名乗ってきやがったからな。そいつの名は」
京さんは呆れ果てたように嘆息し、そして多分、僕には聞き覚えのないであろう、長ったらしい横文字構成の名前を口にする。
しかし彼女の、威厳のある澄んだ美声から発せられる文字列は、聞き馴染みのない僕だって明確に聞き取れた。
僕はその名を声に出して反復してみる。
「エセルバート・ロイ・・・・・・。」
はて。
誰だろうか。




