道標
「ふーん?それで君たち、揃って私のところへ泣きついてきちゃったわけね。いいよいいよ。おねーさんが助けてあげます。よしよーし。」
朝比奈ちゃんと僕を両腕で抱擁するおねーさん。
そう、あらゆる憑き物の専門家・月嶋 忍さんだ。
今は明るいストレートの茶髪を肩まで伸ばしていて、年齢に不相応な(!?)派手なパーカーを羽織っているが、寧ろそれが格好良く、逆にそれが粋というふうなファッションになっている。
魔王アッシュの出現を世界線を越えた何らかの呪いの類と見切りをつけた朝比奈ちゃんの提案により、僕ら三人は今、古びた木造建築の家屋で月嶋さんに相談を持ちかけているのだった。
「きゃー。しのちゃんしのちゃん。もっとぎゅーして!」
とはしゃぐ朝比奈ちゃんと。
「何してんですか・・・いい歳して。そろそろやめてくださいよ。」
と冷淡に言い放つ僕。
胸当たってるし。
いろいろとヤバい。
「・・・・・・・・・・・・?」
そして怪訝そうな顔をしてその珍妙な光景を見つめているグラハム。
うん。
正しい反応だ。
「いつから道を間違えたんだろ、僕・・・。」
前はもっと、なんつーか。
硬派だったよね。シニカルなフリして厭世的なこと言ってカッコよくキメてさ。
絶対こんなやつじゃなかったよな?
「んにゃ。今も昔も大して変わんないよん。」
と月嶋さん。
僕を黒いソファに座らせてから本棚に向かった彼女は、暫くして埃の被った群青色の革表紙をつけた書物を一冊、取り出した。
ゆっくりとした手つきでそれを紐解き、暫く眺めた後、妖しい笑顔でグラハムを振り向いてこう語る。
「«望郷路»」
「グラハムさんだっけ?此処に来る途中──此処というのはこの世界のことを言っているわけだが、あなた、道に迷わなかったかい?」
「道──か。たしかに迷った。アッシュと思しき人影を追う内にな・・・。」
「ふむ。ならば多分間違いない、それだろう。«望郷路»──別称を«焼き道»と言うのだけれど、それは文字通り、道の憑き物。道に取り憑き、人を迷わせる化物だよ。」
「対象の大切な人──それは例えば親友とか恋人とか、或いは共に戦った仲間、とか。そういった大切な人の幻影を見せて、未知の場所に引き込むのさ。«焼き道»と呼ばれるのは«妬き満ち»から年月を経て変化したのだろう。文献を紐解くに、やはり嫉妬によって遭遇した人間が最も多いようだからね。」
見透かしたような顔で、飄々と言ってのける月嶋さん。
些細な言葉がグラハムの琴線に触れてしまうのではないかと内心途轍もない焦りを感じている。
しかし月嶋さんの専門家という立場を信頼して彼女の見解を見ると、成程それならば今回の件もそれに違わずと言ったところか。
灰色の魔王の姿を見せられた──────魅せられた黒の魔術師は、己にとって未知の世界に迷い込むこととなったわけだ。
「・・・妙な物言いをするな。«未知»とは一体、どういうことだ?」
目を細めて訊ねるグラハム。
彼もなかなか冷静沈着なようで助かった。
月嶋さんは性格上、合わない人とはとことん合わないからな・・・。
これで人間関係はやたらと広いから不思議なもんだ。
「大した意味はないよ。ただの言葉遊びさ・・・«道に迷う»。それが意味することは即ち、«未知に迷う»ということ。知らないと言うのは怖いんだよ?無知はそれこそ罪であり、罰であり、咎である。知見の無さは時に人をも殺めるのさ。あなたにも憶えがあるだろう?」
未知であるがゆえに、道に迷う。
無知ではなく、未知なのだ。
やがて全てを、知ることになる。
「言わんとすることは分からんでもないさ。しかしな、というべきか・・・まさか、アッシュが。」
「うん。ただの幻覚だったわけだね?」
にやにやと意地の悪い笑みを浮かべる月嶋さん。
流石にこういった類の対処にも手慣れているようだった。
「嘘だろ・・・月嶋さん。そんな救いのない話があるかよ。」
僕は耐えきれず、会話の外から介入するようにして身を乗り出す。
希望が潰えたと言うのか?
グラハムはアッシュを追ってここまで来た。謎の追っ手や地獄の番人に襲われてもそれを振り切って、僕らの言うことを信じてここまで来た。
だというのに。
「あるんだよそれが。救いも報いも何も無い。そんなものが都合良くあるのは創作だけだろう。だが現実の方がよっぽど無慈悲だ。」
「それで、あなたは一体どうするんだい?«焼き道»を祓うには、その根源を断たなきゃ解決はできないよ。」
「根源?」
「つまりね。今回の件は、ミスター・グラハム。あなたの胸中に残り続ける未練が招いた話だ。」
「・・・・・・・・・。」
グラハムは尚のこと何も言わない。
彼と魔王の間にあったあれこれは、山茶花姉妹との戦闘を見る限りにおいては、決して「未練」などという軽薄な言葉では片付けられないはずだろうに。
「ならばあなたは選ぶべきだ。いつまでもその重りを、十字架を背負って歩くのか──或いは。
その枷を外すかい?その身にだらしなく残り続けるかつての思い出の残滓──『心残り』すらも、さながら蛹のように捨て去って前に進むかい? 」
「どうしろとは言わないさ。私の干渉すべき話じゃあないものね。ただ傷つく覚悟を決めなさいな。犠牲なくして変われると思っちゃあいけないよ。」
「・・・・・・お前は」
唐突にグラハムは口を開く。
それも、その尖ったナイフのような視線をこちらに向けて。
「お前は、俺の中に募るこの感情を『未練』だと思うか?」
「・・・・・・・・・えっと。」
何と答えるべきなのだろう、返答に窮する。
僕みたいなのはこういう話においては場違いなのではないか?
いやいや、そうじゃないにしてもだ。
かなり核心的な質問なんだよ、それは。
そういうのを急に振られても困るというかさ。
「答えてあげなよ。君だって、思うところがないわけじゃあないのだろう?何せ君と彼は──似ている。」
月嶋さんは嫌味ったらしく言うが、言葉に反して表情だけは穏やかだった。
穏やかというか。
それこそが正しさだと。
そう言わんばかりなのである。
「思いません────と言えたらあなたにとって気楽な答えなのでしょうけれど。」
やがて言葉を絞り出すように、僕は言う。
なるべく慎重を期した物言いで、つまりは言葉を選別して。
僕は彼を縛る鎖に触れる。
「でも実際、それは『未練』だし『心残り』ですよ。」
今ここで僕は確信めいたものを掴む。
グラハム・ウェストンはかつての僕だ。
他人のために傷つくことを厭わなかった頃の僕。
傷ついてこその自己の確立を為していた«罪悪»の僕。
犠牲と捨て身によって生き永らえた僕。
さながら狂った悪魔のような──────人間の僕。
彼だって同じだ。
魔術師という見方において自己強化の魔法を主な取り柄としているのだって、出自を辿ればそこに逢着するように。
グラハムは優しいのだ。
かつて苦楽を共にしたらしい魔王を追って、道に迷って──未知に迷ってしまうくらいには。
未知に縋ってしまうくらいには。
ならば僕は言わなきゃいけない。
思いの丈を叫ぶべきだ。
二度と間違わないように。
彼だけは間違わないように。
僕みたいに。
間違わないように。
ゆっくりと、口を開く。
「あなたは未練がましく過去の記憶を追っているだけだった。それは心の空洞を埋めるべく感傷に凭れているに過ぎないんだ。」
「でも違う。そうじゃない。そこまで弱々しく惨めなあんたをアッシュ・ヘイムダルはきっと望んじゃいない──過去に喪失した思い出の数々が現在のあなたを決定づけるというなら、今こうして懊悩と思い悩んでいるあなたも、きっといつかあなた自身の希望になるはずなんだ。」
「だとすればあなたがすべきことは忘れないことだ。ここで僕や朝比奈ちゃん、月嶋さんと出会ったこと。«焼き道»に憑かれ、未知に迷ったこと。散々葛藤し、自問自答もしただろう。自己嫌悪だってしたかもな。それだってあなたを形成する部品の一つだ。噛みしめるべき苦い記憶は、握りしめるべき冷たい空白は、総じてあなたの旅路における足跡であり、道標だ。忘れるな。」
忘れるな。
忘れるな。
忘れるな。
絶対に。
「──────灰色のことを、忘れるな。」
時間というのは蓄積する。
さながら粉雪のように、鬱陶しくも白々しく降り積もる。
思い出と共に。
記憶と共に。
だから罪深い。
けれどそれを受け入れるなよ。
しかしそれを受け止めるなよ。
時間の流れに身を任せるなよ。
時間の流れに身を委ねるなよ。
君の中に秘めた過去は、絶縁すべきものでも、忘却すべきものでもない。
「時間の流れに抵抗しろ。良くも悪くも数多くの想いを──幾多もの『きみ』を風化させてしまう怪物に。」
道と時間は同系列か、と話しながら確信した。
そりゃあそうか。
進むべき方向が定まっている一本道において、前に進めば進むほどに、それに伴って時間は経過するのだから。
至極当然のことだ。
ならば道の怪異とは、時間の怪異でもあるのではないのか?
人を過去に迷わせ続ける──人は過去に囚われ続ける。
「悔いは残さずとも、その心に抱えた思いは残すべきだ。思い残すことは何も無いなんて、悲観や諦観を無理に漂白した嘘っぱちの虚言でしかない。ならばあんたは正直であるべきじゃあないのか。言葉にするべきなんじゃあないのか。アッシュ・ヘイムダルのことを忘れたくないと、そう叫ぶべきなんじゃないのか!」
僕は最早、考えることをやめていた。
目の前で立ち尽くすかつての自分へのメッセージ。
言いたいこと、伝えたいことが次々と口をついて溢れ出る。
堰を切ったように。
足掻くべきだ。
踠くべきだ。
自分に抗え。
世界に逆らえ。
それこそが君の希望だ。
生きる理由だ。死ねない理由だ。
厭世士などと謳った君の。
世界に対する«漆黒»の存在証明だ。
「・・・・・・それがあんたの、一番強い魔術だよ。」
息を切らしながらも、僕は己の独白を締める。
別に、所詮は悪魔の囁く戯言と思っていただいたって構わない。
「お前に何が解る?」
眉を顰め、若干険しい表情を浮かべたままのグラハムは訊ねた。
「何も解らねえよ。自分で自分のことを理解しているやつなんてそうそういないぜ。」
「・・・・・・詭弁だな。」
振り向くと、グラハム・ウェストンの顔は安穏そのものであった。
安らかな微笑を浮かべ、ひたすら目を伏せている。
「かもな」
僕は答える。
否定など、到底できようもない。
だが肯定など、するべきではないのだ。




